1-2『白狐の名前は《世界の切り札》!?』
『キャラクターの名前を音声登録してください』
白い空間に、黒く大きな文字が浮かぶ。目測だが、一文字で俺の身長位だろうか。ちなみに横書きである。脇に小さく、『※名前にしたい文字だけを発音ください。音は正確に入力されます』と注意書きがされていた。
状況を整理すると。
俺、早坂翔馬は今。仕事の真っ最中である。
内容は、…………あー……、忘れた。何か小難しい話だったもんで、何を言われたかはほとんど解っていない。『詳細はゲーム内でまた説明しよう』と先輩が言っていたから、あまり心配は要らないだろうが。
あのあと。チャルメラのおじさんとトロッコで屋敷まで行った俺は、まず学校の校舎大のバロック建築物が3つ陳列しているのに驚愕した。んでもって屋敷に入るなり、おじさんと入れ替わりで出てきた眼鏡でシワシワなメイド長さんに、真っ白な、清潔だが殺風景な部屋に案内され。
そしてその何もない部屋にどどんと仁王立ちしていた、秘書みたいな格好の見上先輩に、せっつかれるみたいにしてゲームに誘われた。
そうそう。1つだけ解ったのが。
報酬は月に18万ということ。悪くない。というか、高校生が稼ぐには逆に非合法な職である事を疑わなければならないくらいの給与である。
しかし何故か、それほど危険な感じはしなかった。何より同じ高校の生徒であるし、どちらかと言えば安心してしまった方である。
……どうにもユルいなぁ、俺の頭は。そう思った。
さて。
まぁ、とりあえず。登録を済まさなければ始まらない。
「パルド」
そう発音した。俺がゲームをする際の固定ネームである。もっとも。俺は家計に負担が来るのは嫌なので、基本的にはお金のかからないゲームしかしない。俺が普段やっているオンラインゲームがあるのだが、そちらもブラウザゲーである。アプリをダウンロードしなくていい上に、携帯のバッテリー消費を抑えられる為、かなり経済的だ。
『職業、種族、容姿を選択してください。以下が各項目の一覧になります』
今度はずらずらと大量の小さい文字が現れた。上に項目名、そして項目名よりも幅をとって、一定の間隔で文字が並んでいる。その様は、さながら文字しか見えない掲示板のようでもある。ご丁寧に『※必要な文字だけ発音――(以下略)』と書かれている。
「職業、『盗賊』。種族、『フェルパー』」
種族を告げた辺りで、容姿の文字数がガバァ、と減った。いきなりの変化に身構えてしまったが、この場には俺しかいない。恥ずかしがる事もない。
減った項目の文字を見ていると、選択するつもりは無かったが興味はあった『角1』や『翼6』というような文字列が減っていた。残念に思う一方で、それでも残りの文字列の多さに軽く呆れてしまう。
さっきの『種族』でもそうだったが、このゲームはとかく選択肢が多い。ざっと1000ほどは在るだろう。文字だけ見て、目についた種族にする以外の方法でなければ、見終わるまでにかかる時間は計り知れない。
ちなみに『フェルパー』とは、猫ヒトの事だ。普通の人間にネコミミと尻尾を生やした種族で、このゲームでは知らないが、大抵は素早さにパラメータ補正がかかる。それが目当てではあるが、別に思惑と違えていても構いはしない。育てる際に素早さを上げていけば良いだけだ。
「容姿、『黒髪短髪1』『サイズM』『二重2』『ネコミミなし』…………」
必要な文字を発音していく。1つ決まる度に、他の文字列は消滅していくので、やっていてとても爽快である。終わる時など、もう終わりか、なんて思ってしまった。
『では、キャラメイクを終了します。お楽しみください』
その文章が現れてから一瞬で景色が一変した。その言葉を読む暇もなかったので、記憶から視覚情報を取り出して理解し直すしかない。
「……おぉ!?」
俺はいつの間にか、どこの馬の骨とも知れない神社の境内にいた。古臭い木造建築に、寂れた阿吽の石像。目の前には苔のはえた賽銭箱がある。
「……っとに、ゲーム、か?」
俺は賽銭箱に右手で触れ、感触を確かめる。腐れかけの木材、苔の感触から、それらの自然を感じさせる匂いに至るまで、全てがリアリティーで溢れている。
「……」
振り返ると。
朱い鳥居の向こうに、江戸時代の城下町の様な町並みが見える。そのどれもが、2次元ではあり得ない色数の多さを調和して、目に痛くない景色を成している。見事な3次元の世界だ。
そして、朱い鳥居の上に留まる巨大なキツネに、ここがゲームの世界で在ることを思い知らされる。
「……すげぇ…………」
思わず口をついて出たのはそんな言葉だった。そのキツネはお座り状態でも人の身ほどある白狐で、どこから見てもモンスター以外の何者でもない。だが俺は、あまりにもリアルなゲームの世界に、ただただ感心するばかりで。心底ワクワクしている気持ちを、抑えられない。
「おぉ〜……」
すげぇ。すげぇすげぇ。これがバーチャルオンライン。ワクワクする。すげぇって言葉しか思いつかないくらいすげぇ。
鳥居を見上げる。朱い鳥居に空の蒼、周りの木々の、生命力あふれる翠。そして白狐のファサファサした白。見ていて、とても心地が良い。
さぁ、冒険が始まる。まずは……。
「あっ!! 先輩のとこ行かねぇと」
感心するばかりで、忘れていた。仕事の詳細を聞かなければならないのに。
俺は慌てて、階段を降りて江戸らしき街に向かおうと、視線を下に降ろした。すると、鳥居の上でお座りしていた白キツネが、視界の移動に伴って下に降りてきた。白狐は四つん這いでこちらを向くなり、鈍く光る鋭い牙を見せて笑みを浮かべた。まるで、獲物を見つけた獣だ。いや、まるで、ではないだろう。何故こんな最初から、こんな強そうなモンスターを配置するのか分からないが、とにかく。ピンチなのは間違いない。思わず腰を抜かしそうになって、とっさに反対方向に逃げ出してしまう。
情けない。
さっきまでのワクワクも消え失せて、恐怖と情けなさで胸が満たされた。
「……ひぇ、ぅああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
全身全霊で手足をバタつかせる。森に入れたりするのかは分からないが、まずは逃げなければいけない。
なのに、俺は全く走れていなかった。
腰が抜けた訳じゃない。その回避、というか腰を抜かさなかったから手足をバタつかせている。手足が震えている。そうでもない。よしんば多少震えていても、無理やり動かす気概くらいはあるつもりだ。ならば。
やはり原因は、左肩に乗せられた、白狐のものらしい4本指の手(足?)だろう。
「うわぁあああああ!! くわれるぅぅ!!」
もちろん、食われる訳じゃないのは解っていたが。かといって恐怖を感じない事もない。リアリティーあふれる世界でのモンスターの動作はいちいちリアルで、本当に食い殺されるかのように感じてしまうのだ。
しかし、その心配は杞憂なのだという声が、後ろから投げ掛けられる。
「喰わねぇよ、孥阿呆!! おいらは誇り高き異世界転移神、ワルドジョーカ様だぞ。非食用のバッチぃ肉なんて頼まれたって喰うもんかぃ!!」
「……え?」
俺は背後を振り返り、声の主を確認する。耳の故障や目の故障、ゲームのバグでなければ、間違いない。さっきの声は白狐のものだ。俺の視界には、大きな白狐しかいないのだから。
あくまでも、俺が振り返ったのは声の主を確認する為である。動揺していたんで言葉の内容は知らないし、もしかしたら別のプレイヤーが助けに来てくれたのかも、と思っただけだ。
だから。俺は、振り返って驚きを声に出してしまったのだ。
それに、声の主は律儀に応えた。
「だから、喰わねぇよ」
またもや同じ声。今度は連動して動く白狐の口も見てとれる。近すぎて獣らしい荒い呼吸すら聴こえてくる。
「きっ……、きっ……」
白狐は片眉をあげて、不思議そうに俺の顔を覗き込む。そんな現実離れした動物の動きがあまりにリアル過ぎて、俺の次の発言が促された。
「キツネが、しゃべったぁ!!?」
そこまで口にして、ついに俺は尻餅をついた。痛みは無いし腰も抜けていないが、視点が低くなったことから白狐がより巨大に見える。恐怖と驚きとワクワクと恐怖で、心臓バクバクになって。腰掛け状態ながらも何故か運悪く足がもつれて、うまく立てない。
そんな俺を前に、白狐はお座りをして言った。
「…………あのな、こりゃゲームだからな」
「恐いもんは恐いんだよっ!!」
目の上の白い毛を八の字状にして、白狐は器用に、困った様な表情を浮かべた。その様子を見て、この白狐はきっと、イベントモンスターなんだな、と思い至った。だから恐怖心はまだあるものの。こうして、まともに言い返せている。
そういえば、このゲームについての説明をされていないし、先輩からはゲームには在って然るべき説明書を貰っていない。そうでなくても、ゲームにはチュートリアルくらい付いていて然るべきである。もしかしたらこのキツネは、そういう類いのシステムなのだろうか。少しだが、恐怖心が薄れる。だから、いやだけど。俺は、いかにも胡散臭そうに、睨み付けて言った。
「ところで、お前は?」
「さっき言ったろーがッ!!」
ボクッ。
殴られた。痛い。赤文字で視界の上の隅の方に「13」と表示される。だらりと頭から血が垂れてきて、激痛に目頭が熱くなる。
「悪ぃ」
半泣きの俺に対し、白狐はすまなそうに両手(やっぱり足?)を合わせて謝った。同時に、俺が腰を下ろしていた地面から碧の光が円形に拡がり、温かい感じを最後に、痛みと共に、何事も無かったかのように消え失せた。どうやら回復魔法らしい。
「……すっげぇ」
痛くねぇ。さすが魔法だ。
俺は頭を触り、回復具合を確認しつつ、立ち上がった。恐怖心が完全に消え失せたのを感じた。死ななかった上に、追い打ちが無かった分、より安堵できたのだ。
しかし、さっき聞き損ねたセリフを聞き直しただけなのに、いったい何がカンに触ったのかね?
「おいらは、この町から冒険者たちを異世界に転移させるのが仕事の、異世界転移神、ワルドジョーカ様だ」
「俺は早坂……、じゃなかった。パルドだ。よろしく」
右手で握手を求める。ワルドジョーカは右手(もう足でいい気がする)でそれに応じた。ファサファサした毛に、肉球。何とも不思議な握手をしながら、俺の胸に、ワクワクが、安心感と高揚感となって戻ってきた。
「ちなみに。おいらにゃも1つ仕事が在ってだな。こんゲームの説明、いるか?」
もちろん。要らないわけがない。
俺は肯定の意を示し、ワルドジョーカの話に耳を傾けた。
――――――――
一方その頃。
「……遅いな。やはりワルドは外見に難アリだな……………」
神社の真下のだんご屋で、雇い主はのんびり茶を飲んでいた。
つづく