1-1『1話目なのにゲーム無し!?』
「どうしたもんかねぇ……」
平日の昼日中。夏休み中の高校1年生である俺は、バイト先で呆然と青空を眺めていた。ちなみに手ぶらな半袖制服姿である。
雄大な自然もとい広大な庭が、黒い鉄格子の向こうに佇んでいる。屋敷どころか小屋すら見当たらない。木や繁みの中から覗く、爛々とした獣の眼。上空では明らかに南国育ちの色鮮やかな怪鳥。極めつけは、こんなんが日本で育つのかと、我が眼を疑うほどに高い高い長木。
普通の平凡な田舎の住宅地で、一際異様なこの土地こそ。俺のバイト先であり、我が校のマドンナ的存在『見上幸子』(みかみゆきこ)先輩の自宅である。
……相当な金持ちだとは聞いていたが、まさかこれ程とはね。白壁1枚挟んだ隣の家の方々が可哀想だ。ズシン、ズシンと何の足音か解らない地鳴りに、日々を恐怖しつつ生きなければならないなんて。
隣家がジャングルだ、なんて事なら友人に自慢できるなぁ。なんて思ったら大間違いだ。未開の森と草むらでは、棲んでる動物も天地の差がある。動物園と同じ感覚なら痛い目を見るだろう。
まぁ要するに。
俺が言いたいのは、目の前の異世界を己の身一つで乗り越えねば、バイト代どころかバイト人生がダイしてしまう、という深刻な状況だという事。
「一応、鍵は貰ってるけどさ……」
―― なに、動物園の様なものだ。楽しんできたまえ。
なんて、呑気な先輩の一言が脳内再生される。
これでも、ここに来る直前までは見苦しく喜んでいたものだが。これを見ては、帰りたくもなる。正直、過去の自分を叱り飛ばさなければ、なんて本気で(漠然と)考えている。生死の境を楽しむなんて、俺にはできそうにない。
「………………」
いや、まぁ。分かっている。やらなければ始まらない。
俺にはこれでも、妹と姉という、家族がいるのだ。母は離婚して、残った父はこないだ脳梗塞でくたばったし。姉には働かせたくない。それはあくまで俺の個人的なプライドのせいだが。とにかく、このバイトすら出来ないようでは、家族2人を守れない。
行くしか、無いのだ。
ゴクリ、と喉を鳴らして、ゆっくりと鍵を挿し込み、そして回す。
カチャリ、と重苦しい見た目とは裏腹な、不思議な感じの音がなる。少しビクついて、いそいそと中に入った。
「……あ」
そうだ。自己紹介の練習でもしよう。
道らしき獣道をしばらく進んでいると、未だに心底ビクついていた俺は気を紛らわそうと思い付いた。何故、自己紹介なのか? それは、小心者の俺はこの状況でパニクっていたからである。我ながら、とんでもないチキンっぷりだ。
じゃあ、気を取り直して。
…………えーと。
俺は矢上白山高校1年、早坂翔馬。2人の家族、姉と妹を養うため、日々働いている。
家は木造の一軒家。一応、1人辺り1つの部屋がある。
自分で言うのもなんだが、運動神経がとことん悪く、腕力もない。自転車などはもっての他だ。さらにコミュ力も無いに等しい。何しろコミュニケーションする気がないから。クラスメイトと話すのも、あくまで必要事項などの共通の話題だけだ。別に不自由も無いし、だから何だって感じの話だが。
趣味はサブカル全般。と言いたいが、最近はバイトや勉強ばかりでまともに趣味の時間をとれていない。魔法少女ものの動画や、買っては積んでいたプラモデル。あぁ……、さくらタン。
というのも、多くは教育課程のたまものだったりする。家ではいつも、父が仕事だったから男は俺1人だったし、母は病院ばっかだったから、俺の面倒を見てくれていたのは、年子の姉なのだ。
曰く、『男の子がどういうのが好きなのか良くわからなくって…………』だと。そんな理由で、俺の趣味は姉のお下がりである、『魔法少女』というわけ。
まぁ、それは昔の話。
俺の趣味はそれから、独自の方向に進化する。なんと、魔法少女を愛でる一方でカッチョよく戦うヒーローに憧れ始めた。
後者だけならよく在る男子だ。だが俺は、何故か少女を愛でる様になっていった。姉も理由が分からないらしく、妹に至っては、俺が少女の話をする度、必ず席を外す。
嘆かわしくは思うが、それでも拒否して来ないあたり、性根の優しい娘だなぁ、なんて兄貴モードに浸ってしまう。妹を愛でたいのはしょうのないことなのだ。
それなのに……。
「おぉッ!?」
少々ブルーになりつつも、そこそこ慣れてきた森林を闊歩していると、突如として左前方の繁みから体長2メートルは悠に有ろうかというくらいの、巨大な熊が飛び出してきた。驚きと恐怖で思わず出してしまった声に気付かれたらしく、熊は先程飛び出してきた時とは明らかに違う、のそのそとした動きで近付いてくる。
熊は二足歩行し、ずしん、ずしんと大地を踏み締める。その右目には猟師との死闘の勲章であろう、メの字の十字傷が存在を主張している。
更にこの状況と、熊の特徴から、先日テレビで流れていたグリズリーなる種類の、狂暴な熊である事が見てとれる。素人判断だが、仮にグリズリーでなくても危険な事に変わりはない。
こ、これはあれだろうか。死んだフリとかしなければならないのか? でも、声自体はさっき聞かれてしまったし、熊だってバカじゃないだろうし……!!
そういえばテレビでも、下手に動いたらキケン、とか逃げたら追っ掛けてくるとか、大きな音で脅かすのはあくまでも遭遇前の予防策に過ぎないとか、死んだフリも場合によっては逆効果とか……!!
ダメじゃん!! 何もできないじゃん!!
オワタ……、俺の人生オワタ…………!!
ごめんよ、親父、母さん。人生の短い親不孝ものを許してくれよな……。
―― パァンっ……!!
「ビョッ……!?」
銃声だったと思う。グリズリーがその音の直後、右側に倒れた。ズズゥン、と重い地鳴りがする。しかも若干、こっちに向かって倒れているので、熊の巨大な腕が目のすぐ前を掠めていく。俺はついに飛び上がって、着地を尻餅でしてしまった。アニメの主人公でもここまではないだろうが、だからといって大袈裟ではない。恐怖で立ち上がれないのは事実だ。
しばらく半泣き状態でそのままにしていると、さっき銃声が聞こえてきた方角から、チャルメラおじさんの頭身が伸びた様な、緑のアサルトベストをきたおっちゃんが走ってきた。おーい、大丈夫かー? ……と叫んでいる。
おぉ……、神よ…………!!
救いを与えてくれて感謝します…………!!
「兄ちゃん、大丈夫かい? この辺、けっこう熊とかイノシシとか多いからさ、気を付けねぇと」
おじさんが熊の革や肉をこそぎ取りつつ、声をかけてくれる。俺は半泣き状態でしばし首を全力で左右にスイングした。あぁ、情けない。とは思いながらも、腰が抜けて立てなかった。
「……そうかい。もう安心だ。あんた、アレだよな? 見上家にバイトで行くんだよな?」
剥ぎ取りが終わって、おじさんはようやく俺の首がフルスイングされてるのに気づいて、そう聞いてきた。疲れからかプルプル震える首が、辛うじて縦に降ることができて。言葉無しで、何とか会話が成立する。
おじさん曰く、屋敷まで送ってくれるらしい。
ありがたい。飛びっきり、思いきり、とてもベリーベリー、ありがたい。とにかくありがたい。俺はもう、死にそうな目には逢いたくない!!
「んじゃ。とりあえず入り口に戻ろうや」
おじさんは一度繁みに消え、しばらくして帰ってきた。繁みを掻き分けての開口一番がこの言葉だった。
俺は担がれて、先程引かれてきた木製のいかにも古そうな台車に、熊だったモノと一緒に積載される。
しかし、何故入り口なんだろう? 俺達は屋敷に行くのだから、入り口だと逆方向になるのでは?
そう考えたのも束の間。おじさんは聞いてもいないのに訳を話してくれた。
「入り口の影にゃあ、屋敷までのトロッコがあんだけどよ。見つけられなかったろ? 見上の嬢ちゃんが隠しといてくれって言ってたから、つい手を貸しちまったけど。…………すまんね?」
…………ありがとうございます。親切なチャルメラおじさん。
俺は、見上先輩に対する深い憎しみを胸に、屋敷を目指す。ちなみに俺は、1人で結構歩いている。
道のりはまだ、長そうだ…………。
つづく