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晴れの大地①

ずっと、あなたを追いかけていた。

豊原大介という男。


頭が良くて、思慮深くて、けっこう抜けてて、どこかへ消えてしまいそうな、ふつうの北海道人。

あなたを追いかけた先は、北海道広尾町の、山の上だった。

あなたがずっと乗っていた、私と巡り合わせてくれた愛車・CT125ハンターカブは、その大丸山展望台の駐車場に打ち捨てられていた。


私はそっと、バイクのリアについているボックスを開けた。

空っぽのボックスの中に、1冊のノートが入っていた。

私……古河茉莉は、静寂に包まれた広尾の海岸線を背景に、そのノートを開いた。


親父が危篤だ。

4月半ば、私の地元、北海道帯広市の病院からそんな連絡があった。


それを聞いたとき、私の心には衝撃も、悲しみもなかった。

「ああ、そうか、じゃあ、帰らないと」。私はそれだけしか思わなかった。


しばらく会社を空けるので徹夜で引き継ぎ書類を作成し、課長に渡したのが午前10時。

新橋のオフィスから自分の家がある埼玉県に戻って、服や靴をスーツケースに押し込み、もう仕舞ったはずのダウンや防寒具を軒並み引っ張り出して、それをすべて身につけてもう一度家を出た。


帯広空港は便数が少なくて料金も高いため、新千歳空港着の飛行機を取った。

新千歳空港についたのが17時。

機内モードをオフにすると、病院の電話番号から着信が来ていた。


ああ、遅かったか。


電話をかけ直すと、やはり予想通りだった。


そこから帯広行きのバスに乗り、結局、帯広駅に着いたのは21時を回る頃だった。


4月半ばの帯広は、まだ雪が降っていた。

駅前の気温計はマイナス8度を指していた。こっちにいたときならなんとも思わなかったが、東京に何年もいたからか、今は本当に「しばれる」。


ダウンのフードを被り、駅から頭に雪を積もらせながら5分ほど歩いて繁華街へ。

帯広駅にタクシーはいないが、帯広駅から5分ほど歩いたところにある繁華街-いわゆる「まちなか」には鬱陶しいほどのタクシーがいた。

水曜日だというのに飲んだくればかりの繁華街でタクシーを拾う。


「帯広厚生病院に」


身体についた雪を払いながらタクシーの運転手にそう言う。大荷物で病院へ行く、間違いなく何かあった人だというのに、私の口調はいたって落ち着いていたことを自覚した。

タクシーの運転手は何も喋らずにシフトをDに入れた。


しばらく走って帯広厚生病院へ。競馬所の目の前の病院だ。

競馬で負けて血管がはち切れてもすぐに搬送できるように、という帯広市側の配慮だろうか。


「すみません、豊原栄の息子です」。私は病院の受付に声をかけた。人が死んだというのに、その事務員は至って事務的に、まるで人の死など日常になっているかのように、私を父のいる病室へと案内した。


「親父……」


そこにいた親父は、親父ではないかのようだった。

じゃがいも農家として毎日体を動かしていたから身体は頑丈だと思っていた。

しかしそこにいた親父は、1年前に帰省したときよりも遥かにやせ細り、十勝晴れによってこんがり焼けていた肌は真っ青になり、


「急性心不全です。こちらに来たときにはもう危ない状態で……」


看護師が私の後ろでそういった。心不全。そうか、心不全か。心不全。

心不全心不全心不全。


言われてもどんなものだか思い浮かばない。

でも、確かに生前も心臓は悪かった。


医者から死亡診断書をもらって、その日はタクシーで実家に帰った。

タクシー費用は8000円。高かった。


その日から怒涛の一週間が続いた。息をつく間もなく火葬場と葬式の手配、葬儀、死亡届の提出、年金受給の停止、その他役場での手続き、農地の相続……。


会社で忌引として休暇が取れる限度の7日を使い果たして東京へ戻らんとする頃には、もうヘトヘトだった。


仕事に戻ろう。仕事に。いつもと変わらない、もう大きく変わることはない、いつもの日常に……。


親不孝者。私はそうつぶやいた。

親の農地は農地バンクに出し、若手の農家に貸す。親の死に目には会わない。農家も継がない。

男手ひとつで俺を育ててくれたのに。

俺は親父に、何かしてやれたのか?

俺は親父に、何もしてやれなかったんじゃないか?


十勝を飛び出して札幌の大学に、北海道を飛び出して東京の企業に。

どんどん実家との、十勝との距離を離していった。

ひとえにこの街が嫌いだっただけじゃない。もっと都会で、もっと大きい街で、自分を試したかったのだ。

私はこんなものじゃない。私はもっと上へ行けるはず。

俺は、じゃがいも農家としてのんびり生きている親父みたいにはならないぞ、と。


親父は私のことを、どう思っていたのだろうか。

ろくでなしの私を、どう思っていたのだろうか。


帯広駅からバスで空港へ。帯広空港から飛行機に乗る。いやらしくも十勝の大地は、私を快晴で送り出した。

小さい空港の小さい保安検査場を通過し、搭乗の時間を待つ。

六花亭の店舗を見て時間を潰しているうちに搭乗案内のアナウンス。しばらく待ってから乗り入れる。


荷物を仕舞って六花亭のお菓子を膝の上に広げ、CAの配給するコーヒーを待とう。


飛行機は長い焦らしを終え、助走をつけて滑走路を飛び立ち、東京までの800kmの旅路に漕ぎ出した。

標高が上がっていくにつれて、凍てつく風と雪を耐え忍ぶ、真っ白で広大な十勝の平原が顔を出していた。

挿絵(By みてみん)


数年前、実家に帰ったときに親父に言われたことを思い出した。


「お前が自由に生きてくれさえすれば、俺はそれでいい」


私の中で、何か、抑えていたものが、ダムが、決壊した。

離れゆく十勝平野を飛行機の窓から見て、私は、泣き続けた。

三日三晩泣き続けて、泣き疲れて、仕事を数日休んだ。


そこからの記憶は定かではない。精神、肉体ともに完全に疲れ切っていたからだ。


でも一つ、一つだけ、明確に言えることがある。

それは、私は「会社を辞めて十勝に帰った」。ただそれだけだ。

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