第一話 灰色の日常
窓の外は憎らしいほどの快晴だった。
青く澄んだ空を邪魔するような雲は一つも存在していない。その青に誘われた春の陽気が教室に差し込み、少し空いた窓から温かな風が入り込んでくる。
こんな日は、外で遊ぶと気持ちがいいだろうな。
窓際で肘をついてそんなことを考えては否定しようとしてしまう星乃雫は、自分の捻くれ具合が嫌になっていた。
新学年が始まって、もう二週間が経とうとしていた。クラスメイト達はもうすっかり打ち解けていて、教室のあちこちからはなし声が響いていた。
「今日は、テスト返すぞー」
教室に入ってきた担任の一声に全体がざわつく。おそらく先週受けた数学のテストだろう。「自信ねー」や「負けないわ」など楽しそうな声が聞こえてくる。
その声に乗ることもせず雫はそのままの姿勢で、自分の番を待っていた。きっといつも通りの良くも悪くもない、普通の点数。そう思うと胸が重くなり軽いため息が零れる。
「星乃」
担任に名前を呼ばれ、雫は席から立ち上がる。そのまま答案用紙を受け取るために歩き出す。
90点。
おおかた予想通りだった。
「やっぱり、星乃は安定してるな」
担任は軽く肩を揺らして笑った。褒めているのかただの感想なのか雫には分からなかった。
「ありがとうございます」
無難な礼と軽い会釈をして席に戻る。
隣の席の女子が75点で大喜びしている。友達と手を叩き合って「やったー」と声を上げていた。
75点であんなに喜べるのいいな。私は90点なのに喜べないや。
雫は騒ぐ女子を横目に心の中で呟く。
「あれ?星乃さん、90点じゃん。すご!」
いつの間にか振り返っていた男子が雫の点数を見て驚いて声を上げる。
「まあまあだよ」
雫は軽く笑って適当に答えた。男子もそれ以上話題が見つからなかったのか、なるほどと相槌を打って、別の友達との会話に混ざっていった。
そして雫に関わろうとする人が周りからいなくなり雫は窓の外を見る。
青い空の下で体育の授業かサッカーをしている生徒たちが散らばっていた。
昼休み。雫は一人、購買で買ったパンを自分の席で食べていた。
周りでは、グループごとに固まって昼食をとるクラスメイトの姿があった。楽しそうな会話ににぎやかな笑い声。
その中で雫は一人でいた。
雫には友達がいないわけでは無かった。話しかけてくる人もいれば、昼食を誘ってくる人もいた。
しかし、雫は自分からその子たちと自分から距離を置き自分で壁を作った。
その方が心地が良いからだ。
パンを半分ほど食べ終えて雫はスマホを取り出し、なんとなくSNSを開く。
タイムラインには、クラスメイトたちの投稿が数日前のものまでぎっしりと並んでいる。
「今日のお昼も美幸と!!」
「3Month!!!幸せ!!!」
「来週の試合も悔いがないように。」
笑顔の自撮りや部活の集合写真、カップルのプリクラ。自分が憧れる輝いた人生。誰かに必要とされた人たちの幸せの切り取り。
雫は無表情で「いいね」を押す。そして下へ下へスクロールする。
ふと「Misaki」という名前に手が止まる。
それは、一年前から投稿の止まっているアカウントだった。そのアカウントの主は雫の一番の親友と呼べる人物であり、投稿が止まってしまったその日に失踪してしまったクラスメイトであった。
「あっ……」
声とも呼べないほどの音が口から零れ、そのままスマホの電源を切った。
そのまま、何かに焦るようにして残りのパンを口に押し込んだ。
午後の授業はいつも以上に時間が早く進んだ気がする。
部活にももう入っていない雫は放課後、まっすぐ家に戻る。
途中遊びの誘いを受けたが「家のことしなくちゃいけないから」と嘘をつき、雫は足早に学校から後にした。
学校から家までは徒歩で10分程度。なにか考え事をしていればすぐに着く距離にある。
「ただいま」
しばらく経っても返事は返ってこない。
「やっぱり今日もいないか」
そう呟き靴を並べ、自分の部屋に直行する。
雫はここ数年両親と顔を合わせていない。どちらも遅くに家に戻り朝早くに出かけてしまうからだった。
もう慣れ始めていたが、ただいまと言った瞬間だけは、まだ寂しさが胸をよぎる。
雫は自分の部屋に入り、そのままベッドに倒れこむ。しばらく枕に顔をうずめたのちに天井を見つめる。
少し汚れた白い天井。少し視線をずらせばいくつかの賞状が飾られていた。
「第56回絵画コンクール特選」
「学業優秀賞」
「全国作文コンテスト特賞」
どれも中途半端に良いだけの紙切れだった。
そしてどれ一つとして、両親に褒められた記憶がなかった。
雫はそのまま目を閉じる。
「このまま自分はどうするのだろう」
高校を卒業して、大学に行って、それとなく就職して、結婚して、歳をとって、死ぬ。
ありきたりで普通の人生。悪くはない。
ただ、雫には強い渇望があった。何かで大成したい。特別になりたい。誰かの必要になりたい。
「あなたがいなくなったら困る」と言われたい。
考えるほど思いが湧き出ってくる。
しかし、そんな日は来ないと心のどこかで諦めていた。
自分はよくいる優秀な子。そう理解してしまっていた。
だからこそ、雫はどこまでも透明な自分が嫌だった。
その時、部屋が突然真っ白な光に包まれた。
「え……?」
目も開けられないほどの眩い、強い光だった。
「何、これ……?」
現実離れした状況を落ち着かせるために、雫は体を起こそうとする。しかし体が上手く上がらない。まるで何かに引っ張られているかのような。いや落下しているような感覚に近かった。
「待って、何が」
理解できない状況に不安が隠せなかった。
そうしている間にも、光がどんどん強くなりやがて部屋の輪郭が曖昧になっていく。
ベッドも、机も、窓も。17年過ごした場所が光に溶けていく。
「助けて……」
雫の口から不安と恐怖に満ちたか細い声が零れる。しかしその声も部屋と共に光に呑まれる。
やがて違和感程度だった浮遊感が明らかなものになっていく。重力が無くなり光の中でただぼんやりと浮かんでいる少女の姿があった。
雫は恐怖を感じていたが、同時に安心感もあった。そして今まで感じたこともないような温もり。
「夢…?」
自分に問いかけても答えは返ってこない。
すると、遠くの光の中から声が聞こえる。
「君の力を貸して」
男性とも女性ともいえない、誰かの不思議な声。
「力?」
雫が小さく返す。
「そう。君の力は特別なんだ」
特別。
その言葉に胸が跳ねる。雫は心拍数が上がっているのを感じていた。
「私が、特別……」
噛み締めるように繰り返す。
「君のは唯一無二の力があるんだ」
唯一無二。
それらは、雫が一番望んでいた言葉だった。
「ねえ、ここって」
雫が言いかけた時、視界の光がいっそう強くなった。
「おいで、君を迎えに来たよ」
その言葉を最後に、雫の意識はプツリと途切れた。




