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日輪夜叉姫5

 月あかりが淡く辺りを照らしている。

 裕福な家のなかには門の前に行灯を置いている者もいる。

 江戸の世の田舎町、夜闇を照らす光はそれくらいしか無い。常人であれば4間(約7メートル)まで近づかねば、他者の存在を視認できないだろう。視覚より聴覚に頼りたくなる状況かもしれない。

 だが宗司は長年盗人として夜闇の中で生きてきた男、かろうじての若さも相まって夜目は効く方だった。

 その目を凝らして、足音の方を見つめる。忌むべき待人が再来した。

 「よう、昨日よりゃ幾分か調子良さそうだな」

軽口と同時に踏み込む。

 「おかげさまで……な!」

 紗霧の返事を待たず距離を詰め、放った横薙ぎは件の木刀によって防がれた。初撃の不発を悟り後退する。

 そこで宗司は軽く目を見張った。紗霧の腰に、打刀が差されていた。

 「一昨日は無かったよなぁそれ。日輪夜叉姫様ともあろうものが帯刀とはな」

 「この闇の中だ。例え役人どもに見つかったとて、それで捕まるような下手を打つ私ではない。お前こそ、2日前と違って言い訳の効かない、立派な獲物を持っているじゃないか」

 「……」

 あざける調子の宗司に対して、紗霧の声はどこまでも冷淡だった。否、声だけでない。その表情も立ち居振る舞いも平時のそれと何も変わらず、流れる雲でも眺めるかのような顔で、宗司を見ている。

 宗司の脳内に、一昨日の事件が蘇る。事切れた友を抱きかかえて叫ぶ彼に、紗霧が向けた目は今と同じもの。人を殺めた直後でありながら、何の感慨も感じさせなかった。宗司の拳が固く握られる。一昨日と何も変わらない、喪失と怨思を含んだ目が紗霧を捉える。




 その眼光を受けて自分の身体が硬直するのを、紗霧は感じた。鼓動も早い。手足に力は入るが思いどおりに動いてくれるだろうかと、妙な焦燥に駆られる。

 なによりも自分がこうも動揺することに、驚きを禁じ得なかった。これまで幾度と戦闘を経験し、自らの命を危険に晒してきたがこんなふうに緊張したことはなかった。

 だがそれを表に出すようなことはしない。不安や恐怖心を敵に見せてはならないと、幼い頃より師に厳しく叱咤されてきた彼女は、戦闘や緊急時にこそ鉄仮面に徹する癖があった。その癖が目の前の男の神経を恐ろしいほどに逆撫でしていることには、遂に気付かぬまま。

 刀を手にした宗司が再び紗霧に斬りかかる。

 袈裟懸け──のようなものを木刀で受け流す。そのまま後退しながら、遮二無二の斬撃をすべて防いだ。宗司の動きは剣の道に通じたものではなく、読みやすい。研鑽を重ねた紗霧には及びもつかない素人芸だ。無駄な動きも多い。どんな激情も、力量差を埋める道具にはならない。

 ただとにかく速かった。攻撃を防がれてから次の攻撃まで、宗司にできる最短最速で振るわれる。無遠慮に距離を詰め、紗霧目掛けた決死の斬撃がとどまることを知らず襲いかかる。

(この男、防御のことを一切考えていない……!)

 だからその隙をついて、紗霧が頭にでも一閃を打ち込めば、たとえ木刀でも、それが致命傷になるだろう。だが今無数の斬撃を防ぐ手を少しでも緩めれば、相打ちとなる未来しか想像できない。宗司にとっては、()()()()()である。剣技で紗霧に遠く及ばないことは承知の上で、己の感情に従って仕掛けたのだ。自分の命に執着はなく、どうあれ刃を届かせることだけを考えている。

 と、そこで紗霧の手に嫌な感触が伝わる。メリッという音を鳴らし斬撃を受けた木刀が折れて、そのまま振り抜かれた刃に左肩を裂かれた。

「──ッ」

敵を正面に見据えたまま瞬時に距離を取り、打刀を引き抜くが宗司は構わず突っ込んでくる。この戦いで初めて、金属同士が打ち合う音が鳴り響いた。



 通常、剣技に優れ大体の者を打ち倒せる紗霧にとって、それでも戦いの悩みとなるのは、相手との膂力の差だった。刀を手にする以上、相手取るのは男になるのがほぼ全てなのだが、男というのはそれだけで脅威となる筋力を持つ。長身で鍛錬を積み重ねてきた紗霧は決してひ弱ではないが、力で上回るのは難しい。ろくに鍛えてもいなさそうな相手が、生まれ持った力だけで自分の脅威となる屈辱を、彼女は長く感じてきた。今決死の表情で刀を振る宗司にしてもそうだ。むしろ鍛えられた彼の筋力は紗霧のそれを凌駕していると言ってもいい。純粋な力で押し合えば、彼女が押し切られる──それもほとんど拮抗できないままに。事実、紗霧は宗司の斬撃を受けさばきながら、戦いが始まった位置より大分後方まで後退し続けていた。

 だから、流麗な剣技と手数の多さで対抗する──速さで勝負するというのは、本来は紗霧の領分だった。それを今は宗司がやってきている。言いかえれば、彼は剣速と引き換えに、筋力というアドバンテージを活かせていない。一合一合の振り幅が短い分、体重も力も乗らず、軽い攻撃の連続になっている。もっとも、一概にそれが誤りだとは言えない。重さも防御も捨てて速さを優先することで、紗霧を防戦に追い込めているし、素人ながら運動能力センスのある動きは型にはまらず、読みづらさを生んでいる。攻撃の重さを優先して少しでも動きが大振りになれば、今よりも紗霧にとって捌きやすいのは確かだった。重さもまた、紗霧の脅威にはなり得るが。

 宗司の中に、そんな計略的な思考があったわけではない。ただの野生の嗅覚で、そのように判断したと言って差し支えない。そのある意味無謀な選択の実行は、彼の持ち前の運動能力と、友の仇を前にしての怒りの賜物だった。しかしそれゆえに、彼のなかでその選択は、絶対の決まりごとではなかった。……斬撃同士のぶつかり合いが、何刻続いた果てか、別に強く意図したわけではなかったが、宗司はそれまでより予備動作を広げ、少し大振りに剣を振るった。

力で押し負ける紗霧に、刃が迫る。

「……っ!」

 受ける位置をつばの間近まで引き寄せ、宗司の刀を横に払って(思ったほどは押し返せず)、強引に大きく距離をとった。深く息をはいて、心を鎮める。

 そんな紗霧の様子を見て、宗司は筋力を活かすことを有効だと感じた。

 結果、それまでよりもやや、大振りな動きを始めた。重い斬撃が紗霧を襲う。しかも、速さも少しばかりしか損なっていない。宗司の袈裟懸けを正面から受けるも、力負けして自分の刀ごと顔に迫った。どうにかのけぞって躱したが、鼻の上から右頬にかけて、2寸ばかりが裂けた。

 斬撃を受けられずとも減衰させた剣とのけぞり躱す速さ、どちらかがあと少しでも鈍ければ顔を深く斬られて死んでいただろう。斬撃を受けるたび、何度手から刀が弾かれそうになったことか、分からない。再び距離を取ろうとしたが、いい加減その動きにも慣れられたのだろう。同時に詰められた。宗司はその上段に構えた剣を、全霊の力を持って振り下ろした。

 

 


 

 

 

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