日輪夜叉姫 3
丸太でも背負っているかのように身体が重い。汗で髪は顔に張り付き、呼吸も荒い。木刀を握る手が震えそうになるのを、無理やり力を込めて止めた。
盗賊の男との間は約2間(3メートルと少し)程だ。
視界は定まらないが、憎しみのこもった強い殺気がひしひしと伝わる。
「お前、名はなんという?俺は宗司だ。家名なんかねぇぜ」
男が不意に訪ねてきた。
氷柱のような冷えた声が、一帯の空気をひりつかせる。
「私の名など知って何になる」
「友人の仇だからな、知っておきたい」
「……柳庭紗霧だ」
「へえ……普通に話すんだな。てっきり黙られるか、嘘をつかれると思ってたぜ」
「……」
(知っているじゃないか)
「日輪夜叉姫はもう、ここらじゃ有名人だからな。今朝方善良庶民のふりして蕎麦屋の旦那に訊いたら、お前の本名も簡単に知れたさ」
まあ、そりゃそうかと、紗霧はぼやけた頭で素直に納得した。
「お前を殺すためにここへ来たが、そんなぐずぐず状態のお前では意味がない。明日の同刻、またここへ来い」
それだけ言って、宗司は歩き去っていった。
憔悴したまま宗司と相対していた紗霧は、背後の民家の陰から自分を凝視する視線に、最後まで気づくことは無かった。
宗司が歩き去った方をしばらく眺めていた紗霧も、ふらつきながらもその場を離れた。民家の梁に身を隠しながら、鉄太は紗霧を見つめていた。紗霧が見えなくなったことを確認し、隠れ蓑にしている空き家へと戻った。
4回戸をたたくと、「おお、入れ」と中から声がした。
「……あの女で間違いないんですね、宗司さん」
ちびちびと酒を飲む宗司に、鉄太は確認する。
「ああ、柳庭紗霧だ」
短い応えを受けて、先ほど見た仇の後ろ姿を、強く頭に刻みこむ。
──鉄太の両親は、彼が7歳の時に流行り病で死んだ。天涯孤独となった彼を拾ったのがどこぞの寺だったなら、一般的な夫婦のもとだったなら、彼の半生は大きく異なっていただろう。しかし、呆然と歩く少年に食べ物と寝床を差し出したのは、1人の盗人だった。その人はひょうがと名乗った。自分達の食い扶持も苦しいのに、子供を拾ってきたひょうがに彼の仲間達は苦笑いをしていたが、少年を追い出すことはなかった。
ひょうがは少し身体が弱かったが仲間内の中で誰よりも頭が良く、明るい男だった。盗みの算段はたいてい彼が立て、豪商を相手に金を盗んでは宴を開き、酒や食べ物を盗んでは宴を開き、ろくでもない日々だった。ろくでもなくて、とても楽しい日々だった。それで両親を失った悲しみが消えることはないけれど、塞ぎ込んで凍えた彼の心を少しずつたしかに溶かしたのは、そのろくでなしの底抜けの明るさだった。
ひょうがだってとても辛い経験をへて、今に至っているだろうに。
だから自分たちはこれからもこうやって、馬鹿笑いしながら生きていたい。嫌われ者だけど、どうしようもない盗人だけど、ここにいる仲間たちだけは、俺にとってかけがえのない人たちだから。そう、思ってた、のに。
その日々は、1人の少女によってあっけなく壊された。
本当に突然に。いつものように盗んだ金で鉄太が買い出しに行っている間にひょうがは殺され、仲間たちは散り散りになっていた。それを為した少女──日輪夜叉姫。賊や悪党を次々に叩き伏せ、ここら近隣では英雄視されている少女だ。その少女に、宗司は仇討ちに挑もうとしている。だが鉄太は、その考えには反対だった。
「いえ、あいつを殺すことには俺は賛成です。俺もあの女が憎いのは同じだ。でも8人で挑んで負けた。そのくらい、とんでもなく強い女なんでしょう?その、だから……」
「だから、2人で挑んだところで勝てない、か」
鉄太が言い淀んだことを宗司が補完し嘆息する。
それは現実的な問題だった。しかし、
「あの女を許してしまっては、俺は俺でいられん。ひょうがにも顔向けできんしな。行かせてくれ」
そう言って小さく笑った宗司に、鉄太はただ閉口するしかなかった。
結局宗司は次の夜、「日輪夜叉姫」に挑みに出かけていった。




