第4話:川下の工房へ
川下の工房へ。
庇の帯、油の匂い、印刷台を確認。
台車の刻みと封蝋配合が一致に寄り、番頭の重ね押しで印影の手掛かりが出る。
今は露見回避で"見るだけ"。次回、印と匂いを突き合わせる。
川下へ下る。雨は細く、川の音は太い。今日は巻き戻しを使わない。温存する。
王女の馬車の印を布で隠し、外周は二層のまま歩調を落とす。列は静かだ。
工房街が見える。庇が長く張り出し、油が石畳に黒い帯を作っている。風下に立つと油紙の匂いが舌に残る。
「視察の口実は」
「橋の補修材の入札。殿下は目録を見るだけ」
副隊長が短く答える。表はまっすぐ行く。裏は俺が見る。
庇の端に刻み跡。歯欠けの車輪だ。間隔が同じで、石に癖が残っている。薄く写して記録する。
刻みは庇の奥で消える。口は二つ。片方は油紙のロール、もう片方は床板が新しい。
「表は殿下に。裏は俺が」
王女は頷く。「任せる。ただし報告は」
声は低い。芯がある。
番頭が出てくる。帽子は油で光り、指先には赤い蝋がついている。封を割る癖がある手だ。
「殿下、ようこそ」
「橋は町の喉。材の質は喉の健康」
王女は目録を受け取り、視線だけで場を整える。静かに圧がかかる。
裏口へ回る。庇の陰に印刷台が一台。板はまだ温かい。最近使った。箱の端切れに赤い斑点。触れると蝋が硬く、油の上で滑らない。
「混ぜ物は同じだ」
「比率は」
「七三。油七、蝋三。目安だが近い」
副隊長が記す。奥で歯欠けが一つ鳴る。今も動いている。
表の視察が進む。王女が目録に印を付けると、番頭が慌てる。指先にまた赤い蝋が付いた。
「控えを」
「は、はい」
控えは新しい。日付は昨日。補修材の欄に薄い印影がある。三つ爪の鳥。重ね押しだ。王宮印と工房印が混ざっている。
「重ね押し。混在している」
「はい」
副隊長が囁く。視察は礼で終わる。王女は目録を閉じる。「ここまで。あとは確認を」
「承知」
番頭から、ひと息ぶんだけ安堵が滲む。
裏で刻みがもう一度鳴る。庇の影に子がのぞく。横移動。橋の下の子と同じ背丈、同じ身のこなしだ。
「連絡は子が」
「受けと渡しが近い」
今は追わない。露見を避ける。見るだけに徹する。
油紙の端を一枚もらう。「厚みの見本が必要です」
番頭は迷うが、王女の視線で頷く。その視線は刃の背だ。切らずに形だけ示す。
端を折る。匂いが揃う。封蝋の欠片と重ねると、指先で一致を感じる。証拠には薄いが、線は太くなる。
列へ戻る。刻み跡が新しく増えている。押す力が弱い。荷が軽い。抜いたあとの音だ。
「どこへ」
「川下。水門を一つ越えた倉」
地図の縁で線を繋ぐ。昨夜の雨で薄れた跡が、指の下で浮かぶ。
「殿下に報告を」
王女の馬車が一度止まる。布越しの視線が掠める。頷きで返す。
「今夜は動かない。露見回避で"見るだけ"」
「了解」
「明晩、誤送を一度。反応を見る」
「了解」
合図は胸の内で反芻し、外へ出さない。癖を残さないためだ。
川風が冷える。油は薄く、蝋が残る。目録の裏に印影が移っている。指でなぞると紙の毛羽が立つ。毛羽も記録する。
橋の音が遠ざかる。庇は雨が止んでも滴り、油は乾かない。だから跡が残る。
今日は使わない。
それでも、進む。
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小目標=「庇・油・印刷台」を確定し、封蝋欠片と油紙端で匂いを照合。
番頭の重ね押し癖と子の横移動で"内と外"の接点を特定。
明晩は誤送で反応を見る予定。