第3話 水門前、滑る足場
ゼロのまま水門前で接触。滑る足場で暗器を落とさせ、相手は川へ逃走。
格子に残された封蝋の欠片から、川下の工房を特定。
外製の毒と内通者の線が一点に結ばれた。
次は川下へ。
合図を理解できる者のリストが、内通者の条件になる。
今日は巻き戻しがゼロだ。それでも、進む。
水門の鉄は苔の帯で黒い。足裏に冷たい鉄が貼り付く。王女の馬車は橋の終わりで止まり、外周の盾が二層に寄る。囮は角の先で空回りし、高めの軋みが雨音に溶ける。
「来るなら、ここ」
副隊長が示す。柱の影と屋根の端が交差する一点。
動いた。跳ぶには遠い。跳ばなければ届かない距離。
苔は水門の格子に厚く、橋の継ぎ目には薄い。相手が跳べば、着地で滑る。こちらが待てば、間合いが潰れる。
「右、一歩」
短く切る。副隊長が即座に従い、盾が格子の縁へ寄る。
影が跳んだ。刃が閃き、石に当たる音。狙いは継ぎ目ではない。盾の縁だ。
痺れた。毒ではない。重い。
「押すな、逸らせ」
盾の角度を変え、刃を石に落とす。影が体勢を立て直す前に、足で暗器を蹴る。格子の隙間へ落ちた金属音が、水に呑まれる。
「下がれ」
列が一歩退き、影との間合いが開く。相手は武器を失い、足場は滑る。追わない。目的は通過だ。
影が膝を折り、格子に手をかける。逃げる準備だ。
「待て」
声を掛けるより速く、影は格子を蹴って川へ落ちた。水飛沫が上がり、流れに呑まれる。
「追うか」
「悪手。深追いは罠」
橋の下に仲間がいる。水位は昨日より高い。こちらが降りれば、流れに足を取られる。
副隊長が格子の縁を指でなぞる。爪に引っかかった何かを拾い上げる。
「これは」
小さな欠片。赤い蝋の破片だ。封蝋の一部。
「封蝋か」
「はい。工房の印が残ってます」
欠片を掌に乗せ、雨に晒す。滲まない。油を含んだ配合だ。
川下の工房。油紙と同じ混ぜ物。封蝋に残る印は、三つ爪の鳥。街の外れ、川沿いに並ぶ工房のうち、この印を使うのは一つだけ。
外から毒を調達し、内から時刻を流す。両線が交わる。封蝋の欠片が、二つの線を一点に結んだ。
「報告を」
王女の声が、カーテンの向こうから落ちる。
「水門前で接触。暗器を落とさせ、相手は川へ逃走。封蝋の欠片を回収しました」
「次は」
「川下の工房。封蝋の印から、場所は特定できます」
「任せる。ただし報告は」
短いほど芯が立つ。
列が動く。王女の馬車が橋を完全に渡り、石畳の音が遠ざかる。
副隊長が封蝋の欠片を袋に収める。
「川下へ行くなら、陸路か水路」
「陸路なら関所。名簿と足取りが残る」
「水路なら夜。川の流れが速い」
「どちらも一長一短」
頷く。陸路は足跡が残るが安全。水路は痕跡が残らないが危険。
「もう一つ」
副隊長が声を落とす。
「合図を理解できる者」
「何だ」
「二本指の合図。あれを即座に理解したのは、限られた者だけです」
「内通者の条件か」
「可能性です」
列の中に、相手の目がある。時刻を流し、足並みを読み、護衛の癖を教える者。
「誰だ」
「まだ分かりません。ただ、合図を理解できる者は、訓練を受けた者だけです」
「リストは」
「作ります」
副隊長が短く返す。短いのは、信用の形だ。
雨が弱まり、光が戻る。
「次は川下」
「はい」
「内通者の線も、同時に追う」
「了解」
列の後ろを歩く。視線で疑いの線を引く。誰が合図を理解し、誰が時刻を流したのか。
川下の工房。封蝋の印。内通者のリスト。
三つの線が、交わる場所がある。
今日は巻き戻せなかった。それでも、進んだ。
次は川下だ。次は、三つを切らず辿り着く。
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水門前での小規模な交錯から、封蝋の欠片という新たな証拠が得られました。
次話では川下の工房で「印と匂い」を突き合わせ、外と内をつなぐ線を追います。