第0話 プロローグ
儂は死んだ。王都総合病院の一室で、妻に、家族に看取られ死んだ。窓からは涼しい風が入り込み、小鳥が囁いている。死んだというのに実に清々しい。満足な人生だった。
語らせてくれ、儂の人生を。ある転生者の人生を。
儂は……いや、ちょっと待て……体が軽い……魂自体は老いてないんじゃないか、これ?
正直、老人語りはキツいと思ってたし……やっぱり、『俺』でいいすか?
そんなわけで、俺はカイン。カイン・バンビュード。それが俺の名前だ。世間では……いや、やめておこう。最後までのお楽しみだ。
俺には誰にも言わなかった秘密がある。さっきも言ったように、俺が転生者だったという事実だ。
まずは、何から話そうか。そうだ、前世で死んでからの話だ。俺の前世は、なんというか……ブラックな世界だった。
働くだけで命をすり減らし、みんなが端末を通して貶し合っていた。俺は……なんと言ったらいいかな。自動で動く運搬馬車?の運転手。要するに、トラック運転手だったんだ。
運転手ってことは裕福だったと思うだろ? 違うんだ。前世ではそういう「誰でもできる」仕事は安月給だった。だから俺は寝る間も惜しんで働いた。家族がいたからね。
だけど……そのうち体がついていけなくなって、ガソリンスタンドに突っ込んじゃった。
……え? ガソリンスタンドって何? うーん。わかりやすく言うと、馬車の餌やり場かな。
ただ、俺がいた世界の馬は“燃える水”を好んでいたんだ。ぶつかった俺のトラックは、その水に引火して大爆発。
即死さ。即死。苦しまなかったのが幸いだったよ。
そして、気がついたら天界にいた。天界は思っていたよりも何もなかった。楽器を弾く天使はいない。聖水の噴水も、天国の切符を切る門番も。
白い空間はひんやりして、足音が吸われる。空気に、紙みたいな乾いた匂いがした。
いたのはただ一人。まさしく女神のように美しい天使様だった。
ただ、その天使様は少し呆れていた。無理もない。まず、寝不足で死んだってなれば理由を聞かれるだろ?
俺が「給料のため、家族のため」と言うと、天使様はこう言った。
「なぜ、転職しなかったのですか?」
俺は固まったよ。あまりの正論に。俺はそこそこの技術はあったから、転職しようと思えばできた……かもしれない。そう思ってしまった。後悔。はっきりとしたやつが浮かんだ。
言い訳がなかったわけじゃない。
「天使様...その、法律の改訂で業界が忙しくて、辞めづらい空気で……いや、ちょっと待て、むしろ転職者は積極採用されてたのか……俺、なんで気づかなかったんだ......」
「討論はわたしの勝ち、ということですね」
「なんで死んでまで論破されないといけないんですか......」
ただ、絶望だけじゃなかった。天使様は予想外の朗報を告げた。
「残されたご家族が、あなたの会社を訴えました。会社は多額の賠償を支払うでしょう。ご家族四人が困らずに生きられるほどの額です」
「……生きてる時に欲しかったな、それ」
「それだけではありません。今回の件は運送業界の転換点になります。過労で倒れる運転手は——きっと減るでしょう」
胸の奥が、遅れて熱くなる。人の死ってのは、思いもよらない力を持っているんだな、とその時思った。
俺が鼻をすすり始めると、天使様は不器用に、でも真顔で微笑んだ。
「あなたのこの不思議な功績は素晴らしいです。……良くぞ、死んでくれました」
「いや、死んで感謝されても嬉しくないよ……ちょっとは嬉しいけど」
感謝だけじゃなかった。天使様はそっと囁いた。
「あなたには二つの選択を与えましょう。転生者として新たな世を生きるのか。それとも、ここで永遠の幸福を得るのか」
それは選択だった。俺がこれからどうなるのかは、この二択にかかっていた。
もちろん迷った。転生ってのは、要するに「死んで生まれ変わる」ってことだ。ファンタジー、無双、ヒロイン、ライバル……前世には、転生をテーマにした作品がいくつもあった。俺の中では伝説級ばかり。
「俺も転生したら、あんな冒険ができるのかな」——そう思った。
もう一つの選択、天界で永遠の幸福。これも正直、魅力だ。転生して苦労する必要がないかもしれない。そもそも成功するのは一部だけだろうし、凡人の俺は異世界の違いについていけないかもしれない。
でも、天使様は俺の心を読んでいるように、こう言ってきたんだ。
「ふふ......もしあなたが転生するなら、同じ言語で根本的な価値観が同様の世界に飛ばして差し上げしょう。今だけですよ......?」
それを聞いた俺は、キッパリと決めた。天使様が問い直す。
「さあ、迷える魂よ。どちらかを選ぶのです」
俺は迷いなく、胸を張って答えた。
「転生します!」
次の瞬間、奈落に落ちていくような感覚が襲う。こんな感覚、後にも先にもこれっきりだ。
視界が白から暗へ、風だけが耳を抜ける。その最中、天使様の声が届いた。
「では、楽しんで」
——楽しめるさ。きっと。