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【なろう版】魔国の勇者  作者: マルコ
幼年学校1年 :流民と盗賊団

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神の奇跡と無限の軍勢

 洞窟の最奥。

 湿った岩肌に閉ざされた空間には、甘く、重苦しい香りが澱んでいた。


 泥と血にまみれ、震えるティナ。

 その凄絶な姿を、五対の瞳が見下ろしている。


「……凄まじいわね」


 愉悦をたっぷりと孕んだ声が、岩壁に反響した。

 リュシアは、艶めく唇の端を吊り上げる。


「手足を砕かれ、尊厳を泥に浸けられた。あまつさえ、この催淫花の香を吸ってなお折れない。騎士の矜持かしら」


 リュシアが肩越しに流し目を送る。

 背後に控えていた二人の女兵士が、頬を朱に染めて身じろぎした。

 彼女たちの瞳は潤み、呼吸は浅く乱れている。


「うちの兵ですら、とっくに毒気に当てられたのに。ねぇ?」


 揶揄を含んだ問いかけ。

 女兵士たちが恥じ入るように俯いた。


 ティナは、脂汗の浮いた眉を寄せた。

 理解が追いつかない。

 困惑で、痛みに歪んだ顔が強張る。


 それを見たシエラが、呆れたように短く息を吐いた。

 彼女は優雅な所作で一歩、前へ出る。


「この甘い香りのことですわ」


 シエラは足元に散らばる、暗紅の花弁を指差した。


「この香りには、強力な催淫作用がありますの」


 淡々とした事実の通告。

 彼女自身、数分前に得た知識だとしても、その態度は堂々たるものだ。


「……貴女、周りをよく見てみなさいな」


 促され、ティナは鉛のように重い首を上げた。

 視界が揺れる。

 熱に霞む目で、周囲を捉えた。


 事実、泥と糞尿にまみれた洞窟の中で、いっそ可憐ともいえる小さな花がそこかしこに咲き、毒々しい甘さを撒き散らしている。


 黒髪の少年も。

 二人の魔族の少女も。

 後ろに控える兵士たちも。


 全員が、口元を厚い布で覆っていた。

 水で湿らせた布が、彼らの理性を守るフィルターだったのだ。


 この場でただ一人。

 ティナだけが、無防備にその毒気を、肺腑の奥底まで吸い込んでいた。


「っ……ぁ……」


 喉の奥が焼ける。

 胎が疼く。

 この身を内側から焦がす衝動は、死の間際の幻覚などではなかった。


「貴女が蹂躙されて、快楽を感じたのだとしても……無理はないですわ」


 シエラは表情を変えずに告げる。

 その言葉は、冷たい宣告のようでいて、奇妙な救いを含んでいた。


「すべては、この毒花のせいよ」


 毒のせい。

 不可抗力。

 その事実は、泥沼に沈みかけたティナの理性を、首の皮一枚で繋ぎ止める糸となった。


(私の……心が弱いからでは、ない……?)


 安堵が胸を撫でる。

 張り詰めていた糸が緩み、目尻に涙が滲んだ。


 だが、心の安寧は肉体の暴走を加速させる。

 抵抗をやめた途端、押し殺していた疼きが濁流となって全身を巡った。

 安堵すらも快楽の燃料となり、吐息が甘く、ひきつるように震えた。


「……っ、う、ぅ……!」


 熱に浮かされた視界の端。

 それまで沈黙を守っていた黒髪の少年が、動いた。

 彼は、控えていた女兵士たちへ視線を投げる。


「二人とも。その人の汚れを拭ってあげて」


 穏やかな声だった。

 叫ぶでもなく、威圧するでもない。

 日常会話のような、自然なトーン。


「はっ! 直ちに!」

「御意!」


 しかし、女兵士たちは弾かれたように動いた。

 リュシアへではない。

 少年に向かって、直角になるほどの最敬礼を捧げた。


(……え?)


 思考が軋む。

 霞む頭の中で、違和感が警鐘を鳴らした。


(この、兵たちの態度は……何……?)


 ティナは視線を彷徨わせた。

 威風堂々たるダークオーガの少女を見る。

 彼女は、少年の指示に口を挟まない。

 それどころか、誇らしげに目を細め、その背中を見守っている。

 まるで、ティナが姉に対してそうするように。


(違う……)


 認識が、音を立てて崩れ去る。

 将は、あの魔族の少女ではない。

 この場の支配権を握っているのは。

 兵たちが真に頭を垂れ、命を捧げている相手は。


 ティナは濡れた顔を上げ、少年を凝視した。

 黒い瞳。

 底知れぬ闇のような深淵。

 ただ立っているだけで、場の空気が彼を中心に回っている。


(この、人間の子供があの声の主……“リオス”……?)


 兵士たちが手早く腰の水筒を開けた。

 手ぬぐいをたっぷりと濡らす。


 硬い布が、肌を滑った。

 泥は落ちても、刻まれた傷は消えない。

 砕かれた肩が軋み、踏み潰された脚に激痛が走る。

 過敏になった肌に粗い布が触れるたび、羞恥よりも鮮烈な刺激が脳髄を焼き尽くした。


「ぐっ……ぁっ、ぅ……!」


 声にならない呻きが漏れる。

 脂汗が滲み、兵士が手を止めた。

 それを見たリオスが、眉根をひそめ、リュシアへ視線を向ける。


「姉上。先に治療したほうが良いかな?」


 提案というより、確認に近い響き。

 リュシアは金色の瞳でティナを見下ろし、短く頷く。


「そうね。でも、ただ治せばいいわけじゃないわ」


 リュシアがしゃがみ込む。

 彼女の冷たい指先が、ティナの砕かれた肩のラインをなぞった。

 激痛に、ティナの体が跳ねそうになる。

 その動きがまた苦痛をもたらすことは分かり切っている。

 ティナは必死に耐えた。


「この様子だと、骨が砕けて筋肉に食い込んでいる。無理に治癒魔法をかければ、歪な形で固まってしまうわ。じっくり治療しないとダメよ」


 冷静な分析。

 まるで壊れた道具の修理手順を語るようだ。

 だが、その言葉の意味を理解した瞬間、ティナは痛みを忘れて目を見開いた。


「……治る、と……?」


 喉から、掠れた声が出る。

 信じられない。

 肩は砕かれ、脚は踏み潰された。

 内臓も無事ではないはずだ。

 フォールム神聖王国において、これほどの重傷を治せるのは高位の神官のみ。

 それすらも、五体満足に戻る保証はない。

 生き残ったとしても、廃人となる覚悟を固めていたのだ。


「切り落とされた腕を生やすほどじゃないわよ。部品が揃っているなら、繋ぐだけ。ま、簡単に、とは言わないけど」


 だが、不可能でもない。


(そんな……馬鹿な……)


 ティナの常識が根底から揺らぐ。

 しかし、同時に思い出したこともあった。

 人間の国には、一つの都市伝説がある。


『魔族の軍勢は、死んでも蘇り、無限に湧き出てくる』


 恐怖の象徴として語られるその伝説。

 だが、今ならわかる。

 蘇るのではない。

 人間の国では再起不能となるような負傷も、魔国ならば治療が可能なのだ。


(これが……魔国の力……)


 圧倒的な武力だけではない。

 神の御業すら凌駕する、生存への技術。


「……何をそんなに驚いているの?」


 リュシアが小首を傾げた。

 彼女にとって、治癒魔法は独学で修めた技術に過ぎない。

 もちろん、幼年学校の年齢で実戦レベルで行使できる彼女は破格だが、概念自体は常識だ。

 ティナの驚愕が、本心から理解できないようだった。


「リュシア姉様」


 シエラが一歩、進み出る。

 彼女はスカートの裾を正し、ティナを一瞥した。


「フォールム王国では、治癒魔法は聖職者の特権とされているようですわ」


 シエラの言葉には、明確な軽蔑が滲む。


「なんでも、神に選ばれた聖職者にしか行使できない『奇跡』だとか」

「はぁ?」


 リュシアが心底、嫌そうな顔をする。

 美しい顔が、侮蔑に歪んだ。


「医療技術の独占? 呆れたわね」


 吐き捨てるように言った。


「民草の命を救う技術を、権威付けの道具にするなんて。それに、怪我が治せなければ、ロクな鍛錬もできないじゃない」


 死ななければ安い。

 治る怪我なら恐れるな。

 それが、彼女たち魔族の強さを支える根底の思想。

 傷つくことを恐れて祈るだけの人間とは、生物としての在り方が違う。


 ――もっとも、そこまで割り切れる者は魔族の中でも一部だが。


「まあ、いいわ」


 リュシアが、無造作に指先を向ける。


「痛いままじゃ、汚れを拭われるのも辛いでしょ」


 指先から、魔力の波動が放たれた。

 暖かな魔力が、ティナの身体を撫でるように包み込む。

 途端、神経を苛んでいた激痛が、嘘のように遠のいた。


「あ……」


 強張っていた力が抜ける。

 感覚の遮断。

 それもまた、高位の奇跡の筈だった。


 それを子供が。

 ましてや魔族が実現している。


 痛みと共に、ティナの常識も霧散していく。


 弛緩した身体を、兵士たちへ委ねるしかなかった。


 硬く絞った手ぬぐいが、肌を滑る。

 こびりついた泥が落ちていく。

 乾いて張り付いていた体液が、拭い去られる。


 無惨に汚されていた白い肢体が、闇の中に浮かび上がった。

 リオスが掲げた松明の灯りが、その輪郭をなめらかに照らし出す。


「……リオス」


 リュシアが弟の名を呼んだ。

 その視線は、ティナの露わになった腹部あたりに向けられている。


「あなた、殺精の魔法は覚えたかしら?」


 唐突な問い。

 だが、リオスは動じることなく頷いた。


「うん、一応覚えたよ」

「なら、早めにかけてあげなさい」


 リュシアが顎でティナを指す。


「早いほどいいわ。もし既に種を植え付けられていたら手遅れだけど、やらないよりはマシでしょう」


 事務的な指示。

 まるで道具の手入れでも命じるような口調だ。


 ティナは、ぼんやりとした頭でその会話を聞いていた。


 リオスが近づいてくる。

 彼は松明をシエラに手渡すと、ティナの前に膝をついた。


「失礼するよ」


 断りを入れてから、手が伸びてくる。  小さな掌。  その左手が、ティナの下腹部にそっと触れた。


「っ……」


 温かい。

 子供特有の高い体温と、驚くほど純度の高い魔力が、一気に流れ込んでくる。


(な、に……これ……!?)


 殺精の魔法など、小手先の誤魔化しのはずだ。

 なのに、この少年の魔力は、胎内の不浄どころか、絶望すらも洗い流すような説得力にあふれていた。


 少年を見上げる。

 リオスは真剣な眼差しで、ただ淡々と、彼女の深奥へ魔力を注ぎ続けていた。



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