8:はじめましては、剣の音とともに
朝の訓練を終え、風呂場から上がったリオスとリュシアは、ようやく体に温かな朝食を流し込んでいた。
訓練後の汗も流し、食後の満足もあって、リオスはほんのりとした眠気に包まれつつあった。
そんな穏やかな時間を打ち破ったのは、侍女の一言だった。
「――お食事後はお召し替えを。1時間ほどでルキフェル家の御一行が到着いたします」
匙を持ったまま、リオスの手が止まる。隣にいたリュシアがくすりと笑った。
「忘れてたの? 今日、お客様が来るって」
「……うん、ちょっとだけ」
正直なところ、リオスはあまり気にしていなかった。
貴族の訪問など、大人たちの都合の延長でしかないと思っていた。
だが、今日の訪問客は違う。
――ゼヴァド=ルキフェル大魔将。父バルトロメイと並び称される、魔王軍の重鎮。
そして、その娘シエラ=ルキフェル。
幼年学校の同期生となる予定の、次代を担う名家の娘。
父同士は旧友、あるいはライバルと呼ばれる関係であり、子供同士の交流は以前から水面下で話されていた。
今回の訪問は、事実上の「初顔合わせ」となる。
「ねぇ、リオス。負けちゃだめよ」
「え……なにを?」
リュシアが唇をつり上げる。
「お披露目の手合わせ。きっとあるわ。うちの誇りを守ってね」
からかうようで、どこか真剣な瞳。
「姉上も手合わせするんじゃないの?」
「わたしは年上だもの。勝って当然。でも、あなたは同い年だもの」
なるほど。とリオスは納得した。
やってくる娘はリオスと同じ年。
とはいえ、魔族の中でも強者種族の魔人だと聞く。
年齢的にも、姉よりも強いとは思えないが、人間である自分よりは強いだろう。
と予想する。
それでも、勝て。と云われれば、勝つしかないのだ。
1時間後――。
グリムボーン家の中庭へ、黒塗りの馬車が滑るように入ってきた。
魔導石の浮揚板で支えられたそれは、振動一つなく美しい軌道を描きながら停まり、前方に控えていた従者が扉を開ける。
最初に現れたのは、堂々たる体躯の男。
黒紫の礼装に身を包み、鋭く光る双眸は獣のようでありながら、知性の炎を宿していた。――ゼヴァド=ルキフェル大魔将。
その後ろから、やや遅れて現れたのは、彼の娘。
父親と同じ青白い肌。銀に近い淡紫の髪。深く澄んだ紫の瞳には、緊張と決意が宿っていた。
少女は一歩ずつ、まるで儀式のように大地を踏みしめるように歩み出る。
この瞬間が――リュシア、リオス姉弟と、シエラ=ルキフェルの初めての出会いだった。
◇
訓練場の中心で、リュシアは肩に訓練用の剣を担ぎながら、来訪者をじっと見つめていた。
向かい合う少女――シエラ=ルキフェルは、彼女と同じく礼服を脱ぎ、動きやすい訓練着に着替えている。
整った顔立ちに、薄い青白い肌。銀紫の髪が日光に揺れ、鋭く澄んだ双眸がリュシアを捉えていた。
「礼はいいわ。こちらの流儀で、始めましょう」
リュシアが軽く訓練剣を構える。シエラも頷き、すらりと腰の訓練剣を引き抜く。
次の瞬間、砂塵が巻き上がる。両者の足が同時に動いた。
空気を裂く鋭い軌道が交差する。
しかし――。
「――んっ!」
刃が交わったかと思うより早く、リュシアの剣がシエラの構えを逸らし、手首を押し上げる。
バランスを崩したシエラの胸元に、訓練剣の切っ先が軽く触れた。
「っ……!」
砂利を踏みしめて体勢を整えつつ、シエラは息を呑む。
「一本、いただいたわね」
リュシアは、勝ち誇るそぶりもなく淡々と告げた。けれど、その瞳には確かな自信と余裕が宿っている。
「なかなか……手厳しいのね」
歯噛みしながらも、シエラは冷静を装った。けれど、その口元には微かな悔しさがにじんでいた。
見守っていたリオスが、思わず息を呑む。
(速い……姉上、完全に読んでた)
そして次の瞬間――場の空気を変える一言が放たれた。
「では、次はうちの弟とお願いしようかしら」
リュシアがにっこりと笑って言った。だがその笑みには、挑発の色がたっぷりと含まれていた。
「……は?」
シエラの眉が、ぴくりと跳ねた。
「あなた、次代を担う子女なんでしょう? 実力を示すには、グリムボーン家の男子とも剣を交えておくべきじゃなくて?」
静かに告げられた提案に、シエラの顔色が変わる。
「人間と剣を交えろと? それは――侮辱ですの?」
シエラが低く呟いた瞬間、訓練場の空気がぴりりと張り詰める。
「侮辱? とんでもない。私にとって弟は誇りよ。
でも、そうね……リオスに勝ったらまた相手をしてあげる。でも……」
そう言って、リュシアはリオスに目をやる。
「負けたらリオスの妾になってもらうわ」
「……妾!?」
シエラの声が裏返った。
「正妻はわたしよ。姉ですもの」
「そ、そんなの聞いてませんっ! ……じゃあ、わたくしは二番目ですの!?」
「二番目はフィノア。忠義に厚い子よ。可愛いし、尽くすのが得意。あなたは三番目」
「三番目……三番目だなんて……!」
シエラの手が震えた。そして、リオスを真っ直ぐに指差し――いや、剣の切っ先を向けて吠える。
「わたくしが三番目!? ふざけないで! ぶちのめして差し上げますわ!」