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【なろう版】魔国の勇者  作者: マルコ
幼年学校1年 :流民と盗賊団

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母の影

 板机の上に、一枚の地図が広げられる。

 ランプの灯りが、紙の繊維をざらりと浮かび上がらせた。

 室内は干し草と脂、そしてランプの油の匂いが混じり合っている。

 外の喧噪は厚い土壁に阻まれ、鈍くこもった音となって響いていた。


 ズグが机の端に立ち、報告の姿勢を取る。

 対面に座ったリオスは、指先で図面の角を強く押さえた。

 シエラとリュシアもリオスの両隣に陣取り、グリードは半歩後ろに控える。

 ウェルティアは横に立ったまま、目で地図を追っていた。


「ズグ。見たままを、順に」

「はっ」


 ズグは鋭い爪で、川筋と森の縁をなぞった。

 硬質な先端が紙を擦り、乾いた音が走る。

 その動きが、川からほど近い地点で止まった。


「逃げた連中の拠点は、この辺りの岩場です」

「……」

「洞窟が、大口を開けています。リオス様の村を襲った連中と同じでしょう」


 ズグの声が低く唸る。


「薄汚い腰布のゴブリンだけでなく、巨躯のオークの姿も見えました」


 ズグの爪先が、地図の上で小さく円を描き、洞窟を示す印が記された。


「出入口は一箇所しか確認できていません。崖の陰で、見張りも立っていました」

「奥は?」

「見えません。中の戦力も不明です」

「会話は?」

「……獣の鳴き声に近いものです。言葉にはなっていませんでした」


 ズグは眉をひそめ、嫌悪感を隠そうともしない。


「賊同士は意思疎通できている様子でしたが、あれでどうして通じるのか……」


 リオスは地図に描かれた印を見つめたまま、視線だけを上げてグリードへ向けた。


「……攫われた娘が、生きている可能性は?」


 グリードは即答しなかった。

 図面の線を一度なぞり、洞窟から村へ戻る距離を目算する。

 その手つきに迷いはなく、冷徹な計算だけがあった。


「通常の賊が人を攫うのは、売り物にするか……」


 グリードが言葉を区切る。


「女なら、慰み者にするか、です」

「……」


 グリードが顎に手を当て、鼻で短く息を吐いた。

 ウェルティアの拳が腰の横で固まり、甲冑の継ぎ目がきしりと嫌な音を立てる。


「連中が“獣”寄りなら、さっさと食ってしまう事も考えられますが」


 ウェルティアの肩が跳ねた。

 震える指先が、マントの縁を強く掴み直す。

 唇は乾いて割れ、血の気が引いた顔色は死人のようだ。

 リオスは声を落としたまま言葉を継ぐ。

 認めたくない現実を、無理やり舌に乗せるような硬さがあった。


「オークやゴブリンなら……生かしておく理由もある?」


 グリードの目が細くなる。

 言葉を選ぶ間が、灯りの揺らぎと共に机上を這った。


「……群れを増やすための『苗床』にする例も聞きます」

「ッ……」

「レディの前で口に出す話ではないですな」


 ウェルティアの喉が鳴り、カチカチと歯の噛み合う音が漏れる。

 想像したくない光景が脳裏をよぎったのか、彼女の瞳が揺れた。

 それでも彼女は目を逸らさず、地図の一点を凝視している。

 リオスは洞窟の印に指を置き、動かさずに言った。

 押さえた紙がたわみ、インクの滲みが濃い影に見える。


「つまり、生きている目は残る。けど、時間は味方じゃない」

「御意」


 グリードの肯定を聞きつつ、リオスは先ほどの戦いを思い起こしていた。

 グリムボーンの精鋭なら、種族として同格のゴブリンなど難なく蹴散らせる。

 格上のオーク相手でも、後れは取らないだろう。

 問題は、数だった。

 拠点にしているという洞窟の構造も、深さも分からない。

 リオスは、じっとりと手汗の滲む指で印を押さえつける。


「数が分からない……」


 声が喉で擦れた。


「踏み込んだ瞬間に詰まったら、戻れない。

 攫われた娘だけじゃない。兵も――」


 グリードは口を挟まず、机の端へ手袋を乗せた手をついた。

 止めるより、リオスにすべてを言い切らせる構えだ。

 視線は厳しく、それでいて許している。

 矛盾した圧力が、部屋の空気を支えていた。

 その沈黙を割ったのは、リュシアだった。


「敵は減ってるわ」


 短く言い、地図の外周をなぞる。


「さっき殲滅したし――妹さんが攫われた時も、それ以外だって、それなりに退治しているのでしょう?」


 リュシアがウェルティアに問いかける。


「え、あ……はい。その、何匹……何人かは、斬り捨てています」


 匹、と言った瞬間、皆から視線を向けられ、彼女は慌てて言いなおした。

 ともあれ、賊は当初の数より減っている。

 その事実は揺るがない。

 リュシアは冷ややかな声で続けた。


「ゴブリンの妊娠期間は一週間ほどで多胎。その気になれば、一気に数を増やせるのが強みよ」


 ズグも重々しく頷く。

 魔国内でこそ出生数を管理されているが、兵力や労働力を欲した時、爆発的に増殖できるのがゴブリンという種族だ。

 男しかいない彼らには、母体となる異種族の女性が不可欠になる。

 緊急時は、為政者が倫理を無視してどうにかする場合さえあるのだ。


 法も秩序もない賊のゴブリンが、女を攫って孕ませ袋とし、数を増やす。

 そういう胸糞の悪い事件は、残念ながら魔国内でも珍しくない。

 ウェルティアの呼吸が荒くなり、額に脂汗が浮く。

 リュシアはそれを見て、淡々と言葉を続けた。


「放っておけば増えるわ。時間は敵の味方になるのよ」


 リオスの指が、地図を強く擦った。

 奥歯を噛み締め、顎の筋肉がこわばる。


「子供が生まれれば、敵の戦力になってしまうわ。そうなる前に、母体になる娘を――」

「ダメだ!」


 リュシアの言葉を、リオスの叫びがかき消した。


 リオスが姉の言葉を遮ることは珍しい。

 これほどあからさまに、怒りの感情を露わにしていることも稀だった。


 感情が高ぶり、怒り交じりの魔力が身体からあふれ出る。

 室内の空気がぴりりと張り詰め、皮膚の上を針で撫でられるような感覚が走った。

 ウェルティアは年下の彼の放つ魔力に気圧され、喉をひきつらせる。

 ズグも精鋭と呼ばれるだけあって耐えているが、こめかみを冷や汗が伝っていた。


 シエラやリュシア、グリードは、リオスの怒りを予期していたため、涼しい顔で受け流している。


「生まれる子供は僕だ! 攫われたのは、セラ(かあ様)だ!」


 リオスの瞳に、暗い炎が宿る。


「僕の領地で、そんなの許さない!」


 握りしめる拳に血が滲んだ。

 リュシアとシエラが両側から、その手にそっと自らの手を添える。

 柔らかな体温が重なり、骨ばった緊張がゆっくりとほどけていった。


「あ……」


 それで、リオスは自分の呼吸を取り戻す。


「ごめんなさい、急に、怒鳴ったりして……」


 リオスが謝罪の言葉を口にすると、2人は肩の力を抜き、やわらかく首を振った。


「リオス様が、この状況を放っておけないことは、わかっておりますわ」

「そうそう、言いたいことは飲み込まないほうが良いわ」


 リュシアはもとより、シエラもリオスの出生は知っている。

 その出生ゆえに、賊に娘が攫われ、犯されるという事態を何よりも嫌悪することも、知っているのだ。


「――グリード」

「はっ!」


 リオスの呼びかけに、グリードが即座に応じる。


「どちらにしろ、敵の情報は必要だ」


 リオスの声に、指揮官としての色が戻る。


「現存戦力で敵拠点を攻撃する。敵戦力の把握と、洞窟の構造の把握、囚われている人の数の把握――できれば救出」


 一拍置き、強い意志を込めて告げた。


「可能なら、敵の殲滅も」


 リオスの言葉をグリードが黙って聞き、暫くの後に口を開く。


「強行偵察、ということであれば、よろしいでしょう」


 グリードは不敵に口角を上げた。


「ただし、危険と判断したら撤退しますよ」


 その言葉に、リオスは黙って頷く。


 やりとりを見ていたウェルティアが、恐る恐る口を開いた。


「妹を……助けてくれるのですか?」


 その言葉に、リオスはすぐに応えられなかった。

 攫われた娘を助けたいという想いは事実だが、状況的に越境してきた流民の娘を助ける。

 などとは、リオスの政治的立場では明言できないからだ。


「勘違いしないでほしいのだけれど」


 リュシアの凛とした声が響く。


「リオスは、父上の真似をしたいだけ。そのために、ちょうど良い状況なだけよ」


 リュシアの言葉に、ウェルティアは一瞬面食らった様子を見せた。

 だが、すぐにその場に膝を突き、深々と頭を下げる。

 ガシャン、と膝当てが床を打つ音が響いた。


「それでも……結果的に助けていただけるということであれば、このウェルティア=クリエンテス」


 涙声で、彼女は誓う。


「生涯、忠誠を誓いましょう!」

「その話は、事が終わった後にしましょう」


 ひれ伏さんばかりのウェルティアをなだめつつ、リオスはリュシアにこっそりと囁いた。


「姉上、ちょっとお芝居のツンデレっぽかったね」

「ふふ、いつか言ってみたかったのよ。――やっと笑ったわね」


 リュシアの心遣いに感謝しつつ、リオスは地図の洞窟印を見据えた。

 次の一手を外せば、取り返しがつかない。


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