森奥の賊討伐
朝の村は、白い靄がほどけていく途中だった。
郷宿の前の広場に、兵たちと、鎧を着た子供の一団が並んでいる。
胸当てと小手、脛当て。
金具の光はまだ新しく、革の匂いが朝の冷たい空気に混じっていた。
リオスたち3人は、その子供用装備を身につけている。
肩から腰にかけての重みが、訓練より少しだけ増した気がした。
リュシアは胸当ての紐をきゅっと締め直し、腰に下げた剣の位置を確かめる。
髪を束ねたシエラは、脛当ての留め具を片足ずつ膝をついて確認していた。
そのそばで、フィノアが予備の紐を手に、最後の具合を見て回る。
「動きに支障はありませんか、リオス様」
フィノアが問いかける。
今日ばかりは従者たちも、いつもの優雅なメイド服ではない。
彼女たちもまた、兵士たちに比べてかなり軽装ではあるが、届いた鎧を身につけていた。
胸当ては、胸郭を薄く覆い、動きやすさを考慮して大きく削られた設計。
腕の小手と、スカートの下に少し覗く脛当てが、最低限の防御力を確保している。
本格的な戦闘訓練を受けていない彼女たちにとっては、動きを阻害する重い鎧よりも、このくらいの軽装の方が、機動性を保てる分、むしろ安全に繋がる。
「大丈夫。実戦訓練でも着てるものだし」
リオスは腕を一度前後に振り、肩の可動を確かめた。
金属どうしが小さく鳴る。
全員の装着が完了し、グリードが兵たちに向けて声を張り上げる。
「全員、聞け」
低い声が、鎧の列を貫いた。
兵たちの背筋が揃って伸びる。
「本日、我々は森奥に巣食う賊の拠点を叩く。
昨日捕えた街道の盗賊と、村を襲っている連中は別口――その点、肝に銘じろ」
ざわり、と小さな緊張が走る。
「相手の頭数、装備、士気、どれも不明だ。
この村を何度も襲っている以上、甘く見て良い相手ではない。
隊列を崩すな。離れた者から死ぬと思え」
兵たちの返答は短く、力強い。
グリードは頷くと、視線をリオスへと向けた。
「――以上だ。ここから先は、リオス様に」
一歩下がるグリードに替わり、リオスが前へ出た。
兵たちの列、その後ろには村人たちが固まって見守っている。
その顔には、不安と期待が入り混じっていた。
村長、農民たち、子供を抱えた女、腕を組む若者。
そして、商隊の荷馬車の脇には、ドランたちの姿もある。
リオスは深く息を吸い、胸に手を当てて一礼した。
「領主のリオスです。村の方々は、こんな子供で、人間の領主など、不安に思う方もいるかもしれません」
貴人の意外な言葉に、村人たちにざわめきが広がる。
リオスは、それが一通り収まるのを待ってから続けた。
「しかし、ここの兵たちは信頼してほしい。
彼らは、グリムボーンの精鋭です。
必ず、この村の脅威を取り払ってくれるでしょう」
リオスの言葉に、兵たちがそろって応、と応じる。
その様子をみて、村人たちから不安の色は消えていった。
◇
準備が整い、いよいよ森へと出陣する。
案内役は、賊の拠点を遠くから見たという猟師だ。
彼は顔に濃い髭を生やし、森の匂いを纏うような人間の男で、強張った面持ちで先導役を務める。
一行が村を出る際、集まった村人たちが、そして村に残っていたドランたち商人までもが、彼らを見送っていた。
「若旦那、ご無事を祈ります!」
ドランが代表するように声をかける。
リオスは彼らに小さく手を振り、森の入口へと足を踏み入れた。
湿った土を踏みしめる兵士たちの足音と、金属が擦れる微かな音が、奥深い森に吸い込まれていく。
道中、グリードがリオスに近づき、声を潜めて話しかけてきた。
「リオス様、昨夜、村人からもう少し詳しい情報を聞き出しました」
「ありがとう。何か分かったことは?」
「はい。目撃情報によると、襲ってくるのは、半裸のゴブリンやオークといった連中のようです」
リオスの瞳に、思案の色が浮かぶ。
「半裸のゴブリンやオーク……それって、昨日言っていた――?」
「ええ。おそらく、国外から流れてきている賊でしょう。
向こうでの実入りが減ったので、こちらに来たのかと」
「……迷惑な話だね。――案内役の猟師さんの話は?」
グリードは顎に手を当てた。
「拠点は遠くから建物と、柵のようなものを見つけただけで、規模は全く不明とのことです。
どれほどの人数がいるのかも、戦力も分かりません。
最悪、賊を装った傭兵団や、どこかの軍の残党である可能性も考慮に入れる必要があります」
リオスは、改めて装備の重さを感じた。
子供用の軽装とはいえ、この鎧は、彼が単なる貴族の子息ではなく、この地の領主として、最前線に立つ覚悟を示している。
彼は、これから向かう先の未知の脅威を想像しながら、森の奥へと進んでいった。
一行が巨木の根元に差し掛かったとき、前方から、一人の兵が駆け寄ってきた。
彼は、リオスたちの前で敬礼し、報告を行った。
「猟師よりの伝言。そろそろとのことです」
その一言が、張り詰めた空気をさらに凍らせる。
一行は、よりいっそうの警戒で前進していくと、ほどなく耳の良い種族の何人かが、その進路の先にあるはずのない音に、ピタリと足を止め、耳をそばだてた。
グリードもまた、身体を硬直させる。
「何か聞こえるの?」
リオスが声を潜めて訪ねる。
彼の耳にはまだ、ただの森の静寂しか届いていなかった。
「はい、リオス様」
グリードが低い声で応じた。
「戦闘音です。金属のぶつかり合う音と、獣めいた断末魔が……この先で、何者かが争っています」
賊の内輪もめか、それとも別の賊との争いか。
どちらにしろ、警戒を強めなければならない。
「隊列を維持。警戒しつつ、そっと進む」
リオスは短く指示を出した。
警戒しつつ、一行が進む。
木々の間隔が少し開き始めたとき、リオスの耳にもその音が届き始めた。
それは、甲高い金属音と、怒号、そして粗野な喚声の混ざった不協和音だ。
そして、苔むした岩を曲がった瞬間、目の前に木組みの粗末な柵が見えてきた。
賊の拠点。
その入口らしき部分は、今まさに修羅場と化していた。
十数人のゴブリンが、目の前の柵を乗り越えようと押し寄せている。
彼らは、聞いた情報通り、上半身裸で、革の腰巻きをつけ、粗末な石や骨の武器を振り回していた。
その様は、まさに国外から流れてきた魔獣といった様相だ。
対する、拠点を守る人間のほうは、農具や使い古しの剣を持つ民兵らしき者に混じり、それなりの装備を身に着けた騎士らしき者が戦っていた。
「別口同士が争っているようですね」
グリードがリオスの耳元で声を潜めた。
「拠点の守りは人間だけのようですから、村を襲っているのは、あの半裸のゴブリンの方でしょう」
リオスは頷く。
であれば、ここで争っている人間の集団は、村を襲った賊とは無関係の可能性が高い。
「グリード。先ずは双方に投降を呼びかけて」
リオスは指示した。
戦闘に介入する前に、状況を把握し、戦闘を最小限に抑えるのが最善だ。
「はっ」
グリードは一歩前へ出て、周囲の兵たちに合図を送り、声を張り上げる。
「聞け! 我々はグリムボーン領主の派遣した討伐隊である!
双方、直ちに武器を捨て、投降せよ!」
グリードの低い声が、戦場の喧騒を切り裂く。
人間の守備兵たちは、「領主の討伐隊」という言葉に、一瞬だけ動きを止めた。
その視線が、森の奥から現れた、整然としたリオスたちの隊列へと注がれる。
彼らは戸惑い、投降勧告に反応を示した。
しかし、ゴブリンたちは手を緩めない。
それどころか、自分たちの背後に現れた、まとまった装備を持つリオスたちに、獲物を見つけた獣のように喚声を上げ、矛先を向けてくる。
「ウガァ!」「ギギャア!」
彼らの発する声は、単純な咆哮と、奇妙な音節の羅列に過ぎず、投降勧告の言葉が通じているようには見えなかった。
その時、拠点の柵の内側から、騎士らしき人物が一歩踏み出した。
血と泥にまみれた兜の奥から、くぐもった声が響く。
「ま、待ってくれ! 救援、感謝する!
ここがグリムボーンの領地だとは知らず、勝手に住み着いたことを詫びる!
だが、今はそれどころではない!
頼む、そこの魔族どもを打倒してほしい!」
まだ若い女の声。
疲労と切迫感が滲んでいた。
「……魔族ども、か」
リオスの背後に立つ兵たちの間に、微かなざわめきと、苛立ちの色が広がったのを、リオスは感じ取った。
彼が連れている兵の多くは魔族である。
リオスは冷静に状況を判断した。
距離のせいか、あるいは戦闘の混乱のせいか、相手はこちらの隊列に魔族が多く含まれていることに、まだ気が付いていない。
そして、そもそも「グリムボーン領」と聞きながら、「魔族どもを打倒してほしい」と叫ぶところを見るに、この娘は自分がヴァルゼルグ王国との国境を越え、魔国にまで越境してきているという自覚がないのだろうと推測した。
(話は後だ。まずは目の前の脅威を排除する)
リオスは、グリードに指示を伝えた。
「グリード。兵たちに、拠点を襲っているゴブリンを倒すように伝えて。
ただし、数人は逃がすように。追跡して、連中のアジトを突き止める」
「御意」
グリードは即座に応じた。
「全隊、前進! 賊を殲滅せよ! 追跡班、3名を逃がせ!」
その号令とともに、グリムボーンの精鋭兵たちは、瞬く間に森の静けさを破った。
整然とした隊列から、剣と槍を構えた兵が猛然と突撃する。
戦闘は、あっけなく終わった。
粗末な装備のゴブリンたちは、訓練された精鋭たちの敵ではなかった。
わずか数十秒で、彼らの粗末な武器は叩き折られ、血肉と化した。
3名のゴブリンが、指示通りわざと開けられた包囲の隙間から、悲鳴を上げながら森の奥へと逃げ去っていく。
戦闘が終わり、静寂が戻ると、人間の民兵たちは歓喜の声を上げた。
彼らはリオスたちを救世主を見るかのような目で見ていた。
勝利の熱気が残る中、さきほどの騎士が、血と汗にまみれた兜の留め具を外し、重々しい金属の塊を地面に置いた。
きちんと切り揃えられたショートボブの髪が、兜の重みから解放される。
目の下の隈が深い、精悍な顔立ちの若い女騎士だった。
彼女は安堵の息を漏らし、リオスたちに深々と頭を下げる。
「感謝する! あなた方のおかげで、皆の命が救われた! 私は――」
彼女はそこで言葉を区切り、初めてゆっくりとリオスの隊列を見上げた。
リオス、そしてその両脇に立つリュシアとシエラ。
傍に控える従者たち。
グリード、そして武装した魔族の兵士たち。
騎士の苔色の瞳が、みるみるうちに恐怖と驚愕に染まり、彼女の顔から血の気が引いた。
「…………え?」
彼女の声は、喉の奥に張り付いたようにかすれ、そのまま、凍り付いた。
その視線は、リオスという人間の少年を通り越し、彼を取り囲む魔族たちへと向けられていた。




