リオスの領地視察
六人乗りの豪華な馬車が、初夏の街道をゆっくりと進んでいた。
高い陽光は、荒れた土の道を容赦なく白く照らしている。
幼年学校の夏季休暇に入り、生徒たちはそれぞれの事情で学舎を離れた。
実家での継承準備、訓練場での修行、そしてリオスは、グリムボーン領へ戻っていた。
領主である父、バルトロメイは、本領内における治安の悪化を受け、領内各地で陣頭指揮を執っている。
それを聞いたリオスは、自身の名義で与えられているささやかな領地――ほとんど村一つ分に過ぎないその土地――を、一度この目で見たいと考えた。
与えられたものを確認しておきたい、というのがリオスの本音だった。
だが、その話を耳にしたリュシアと、シエラが黙っているはずがない。
「当然でしょう、リオス。あなたの初めての領地巡りに、この私が同行しないなどありえないでしょ」
リュシアは、優雅でありながらも有無を言わせない威圧感を滲ませた。
「わたくしもです、リオス様。まだまだお若いのですから、しっかりサポートさせていただきますわ」
シエラもまた、リオスへの献身を誓った。
結局、三人は連れ立って出かけることになった。
治安の悪化はリオス個人の領地にも及びかねない。
このため、護衛にはグリムボーン家の選り抜きが選抜され、一団としてリオスを固めている。
リオスは馬車の静かな揺れの中で、これまでの経緯を回想していた。
六人乗りの柔らかなシート。
リオスの両脇には、肌の色の対照的な二人の少女が、そっと身を寄せている。
漆黒のリュシアは優雅な姿勢を保ちながらも、その燃えるような瞳の奥には領地への好奇心と、かすかな戦闘への渇望がくすぶっている。
隣のシエラは、蒼白の肌を寄せ、静謐な微笑みを絶やさない。
反対側の対面シートには、フィノアと、リリュア、アンナが控え、従者たちは馬車の中でもリオスたちが快適に過ごすための配慮に余念がない。
馬車はすでにリオスが譲り受けた領土の領域を走っていた。
周囲の景色は他所と変わらないが、この道、この土地が自分のものだという事実は、リオスの中に期待と責任感を呼び起こす。
「もうすぐ村に着くかと思うと、わたくしまで胸が高鳴りますわ」
シエラは楽しげに声を弾ませる。
「名前のない村だけど、僕にとっては初めての領地だ。どんな場所か楽しみだよ」
リオスが素直な気持ちを口にする。
その横で、リュシアがふと窓の外へと視線を向けた。
その顔に浮かぶのは、優雅さとは裏腹の、獰猛な笑みだ。
「ええ、楽しみね。もし、村が盗賊なんかに襲われていたら、当然、助けてあげるのでしょう?」
リオスとしては、好戦的な姉の言葉に、苦笑いを返すしかない。
「リオス様、まもなく『村』に入ります。馬車の速度を落とすように指示します」
馬車の窓の向こうから、護衛の指揮を執るグリードの声が届いた。
リオスの領地は本邸からも比較的近い。
それなのに、グリードが指揮する選り抜きの部隊が護衛として付いているのは、やはり過剰ではないか、とリオスは感じていた。
「グリード。こんなに近い場所で、手練れを付けてもらうなんて、やっぱり過剰なんじゃないかな?」
リオスの問いかけに、グリードは静かに微笑んで答える。
「それだけ、リオス様が大事にされているのですよ。
今回のご視察について、万が一にも不備があってはならないと、優秀な者たちを選んでくださいました。どうかご安心を」
グリードがそう答えた直後、先頭の方から、短く、切迫した角笛が鳴り響いた。
御者と護衛兵士の間に、張り詰めた緊張が走るのを感じる。
グリードが先頭の隊員に声をかけた。
「何があった」
「グリード隊長! 前方の往来で、商人らしき一隊が盗賊に襲われている模様です!」
その報告に、馬車内の空気が一変した。
「こんな往来筋まで……」
リオスは思わず口の中で呟いた。
本邸に近いこの往来まで治安悪化が及んでいる事実に、リオスも事態の深刻さを感じ取る。
「助けるように指示をだしてほしい。
僕の領地の近くで起こっているんだ。見過ごすわけにはいかないよ」
リオスがそう告げると、グリードは一瞬言葉に詰まった。
「しかしリオス様、我々の第一の使命は、リオス様方の安全確保です。
無用な戦闘は、あくまで……」
グリードが護衛の立場を優先して渋る。
しかし、リオスはそれを遮るように、反対側に座るリュシアに目を向けた。
「じゃあ聞くけど、このまま見過ごしたら、姉上はどうすると思う?」
リュシアはすでに半分腰を浮かし、アンナに腕を抑えられている。
その瞳は、獲物を見つけた猛獣のそれだ。
グリードも、その様子を目の端でとらえ、額にうっすらと汗をにじませた。
「……リュシア様が、お一人で飛び出されるでしょう」
「でしょ。だったら最初から、ちゃんと護衛つきで助けに行った方が、結果的に安全だと思うけど」
リオスの声は静かだったが、言葉の芯は硬い。
グリードは短く息を吸い込み、そのまま姿勢を正した。
「……承知いたしました。伝令! 最低限の護衛を馬車に残し、残余の兵力で商人団の救援に向かう!」
窓の外で、号令が飛ぶ。
リオスは馬車のドアを開け、シエラやリュシアとともに外へと出る。
往来の先からは、微かに悲鳴と剣戟の音が聞こえてくる。
(自分の領地だ。僕が領主として、ここで最初の一歩を踏み出さないと……!)
こうして、リオスは手練れの護衛隊を率い、戦闘の渦中へと足を踏み出すのだった。
◇
往来の先で、土煙が立ち上っていた。
荷馬車が数台。そのまわりを人影が取り巻いている。
怒号と悲鳴、金属のぶつかる高い音が、風に乗ってこちらまで届いた。
「ずいぶん派手にやってるわね」
リュシアが、腰の剣に手を添えながら笑う。
シエラは表情を引き締め、リオスの袖を軽くつまんだ。
「リオス様、くれぐれも前に出過ぎませんように」
「気をつけるよ。……グリード、配置は任せる」
「ご下命、承りました」
グリードは馬上で片手を掲げ、短い号令を飛ばした。
優秀な護衛たちが、一斉に蹄を速める。
馬車の周囲には少数の護衛が残り、残りは扇状に広がって戦場へと突き進んでいった。
近づくにつれ、混乱の輪郭が見えてくる。
荷馬車のそばには、人間と獣人が入り混じった一団。
革鎧に剣や槍。荷馬車の上で叫んでいる者もいれば、地面に倒れた仲間を庇うように構えている者もいる。
対する側も、人間と獣人が混ざった集団だった。
こちらは布切れを巻いただけの者もいれば、鎖帷子を着込んだ者もいる。
顔に布を巻いている者も多く、見た目だけではどちらが商人でどちらが盗賊か判然としない。
「グリムボーン領軍だーっ! 武器を捨てて伏せろーっ!」
先頭の護衛が、大声で叫んだ。
怒号と悲鳴に負けない、良く通る声。
荷馬車のそばで戦っていた一団が、互いに顔を見合わせた。
次の瞬間、数人が武器を地面に放り出し、両手を高く上げてしゃがみ込む。
獣人の若者が、震える声で叫んだ。
「お、おれたちは商人の護衛だ! 攻めてきたのはあっちだ!」
対する襲撃側の一部は、狼狽したように後ずさる。
けれど、半数ほどは剣を振り上げて突っ込んできた。
グリードは、その瞬間に敵味方を見切った。
「正面の突撃隊、迎撃! 左右の組は回り込め!
商人側にかすり傷ひとつ付けるな!」
護衛たちが一斉に馬を駆る。
槍の穂先が、突っ込んできた男の胸を打ち抜き、別の男の剣をはじき飛ばす。
獣人の盗賊が咆哮を上げて跳びかかるが、横手から駆け込んだ騎士が盾で体当たりし、そのまま馬の蹄で土に叩きつけた。
鋼の鎧に身を包んだ手練れた兵たちと、寄せ集めの盗賊では、戦いにならない。
外側から包み込まれるようにして、盗賊たちはじりじりと押し込まれていった。
「行きましょう、リオス。現場を見ておいた方がいいわ」
リュシアが、もう待ちきれないという顔で言う。
リオスは頷き、シエラとともに護衛に囲まれて前進した。
視界の先で、盗賊のひとりが逃げ道を求めて辺りを見回し、こちらに気づいた。
目が合った瞬間、ぎらりと敵意が走る。
「お、あの小僧……!」
男が短剣を抜き、リオスたちの方へ向かって走り出した。
子供を人質に、とでも思ったのだろう。
その動きを見た瞬間、リュシアの瞳に鮮烈な光が宿る。
「やっと出番ね」
風に髪をなびかせて、一歩踏み出した――その時だった。
「やらせはせん!」
横からグリードの部下が飛び出し、盗賊の足元に盾を滑り込ませる。
膝を払われた男が前のめりに転び、そのこめかみに柄頭で一撃が叩き込まれた。
男はその場で白目をむき、砂埃の中に転がる。
リュシアの足が、空を踏んだ。
「……今の、私が斬るところだったのよ?」
低く不満の声が漏れる。アンナが思わず目をそらした。
「申し訳ありません、リュシア様!
皆様方への接近を優先して排除いたしました!」
兵士が頭を下げる。
リュシアは鼻を鳴らし、腰の剣に添えた手を離した。
「まあいいわ。リオスが無傷なら、今回は許してあげる」
その言葉を聞き、兵士は肩から力を抜いた。
戦場を見渡せば、すでに盗賊たちの多くは地面に伏している。
逃げようとした者も、馬上からの一撃で次々と打ち倒されていた。
「……早いね」
リオスが呟くと、シエラが小さく笑った。
「さすが、グリムボーン家の選り抜きですわ。
リオス様がおいでになるのですもの、本気で制圧にかかっています」
「本気すぎて、姉上の出番が消えてるけど」
リオスの苦笑に、リュシアがじとっとした視線を向けた。
「そうよ。これじゃあ、ただの見学じゃない。少しくらい斬らせなさいよ、グリード」
馬を寄せてきたグリードが、困ったように眉を下げる。
「本音を言えば、リュシア様の剣技を拝見したいところではあります。
ですが、今回は治安状況の確認の場でもありますゆえ。
無駄な血は、できるだけ流さぬ方がよろしいかと」
「盗賊の血は“無駄”に入らないと思うけど?」
「処刑の場は、また別にございますので」
物騒なやりとりだが、リオスは肩をすくめるだけだ。
そんな中、倒れ伏した盗賊たちのあいだで、商人とその護衛らしき人々が、ほっとしたように地面に腰を落とし始めていた。
人間も獣人も、顔には汗と埃が貼りつき、区別がつきにくい。
「こういう時、助けられたお姫様が英雄に惚れるものよね」
リュシアが楽しそうに言う。
「姉上はそういうお話、好きだよね。
でも、どう見ても商人だし、お姫様はないんじゃないかな?
ともあれ、まずは負傷者の確認と、身元の確認だね」
リオスが一歩前に出る。
その肩越しに、リュシアとシエラ、従者たちの視線が、乱れた荷馬車と疲弊した男たちへと向けられていた。




