依頼と条件
控え室は、絢爛ながらも微かに艶めかしい香りが漂っていた。
サキュバスの従者が、既に温かいお茶の準備を終えている。
フィノアが着るグリムボーン家の質実剛健なメイド服とは違い、彼女の纏う漆黒のメイド服は、肌の露出こそ控えめながら、身体の曲線と艶やかな光沢で魅惑的なデザインだった。
彼女は客に一瞥もせず、まるで空間の一部であるかのように気配を消し、壁際に控えている。
リオスとフィノアは、リリシアの向かい、上質なベルベット張りのソファに対面に座った。
リオスが緊張した面持ちで本題に入ろうとするより早く、リリシアの琥珀色の瞳が細められる。
「話というのは、あなたのクラスメイトの三人も、引き抜きたいという話かしら?」
「っ……!」
その言葉が、リオスの胸を鋭く刺した。
メンサは娼館の厨房を手伝っていたが、彼女の本業は娼婦。
リリシアの重要な人材を、自分たちが幼年学校に引き抜く形になっていたという事実を、リオスは今更ながらに自覚した。
ビルスやメンサ本人がスムーズに話を進めていたため、その無礼な側面に考えが及んでいなかったのだ。
リオスはすぐに背筋を伸ばし、深々と頭を下げる。
「申し訳ありません、リリシア様。
私の不手際により、ヴェルファーン家の重要な人材を、事実上、強引に引き抜く形になっておりました。
改めてお詫び申し上げます」
リリシアはリオスの真摯な態度を微笑ましく見つめ、からかったことを詫びた。
「ふふ、構わないわ。ビルグがちゃんと根回しをしていたし、そもそも私の娼館は辞めることも自由よ。
流石に、ほかの娼館に鞍替えするとなると話は別だけど、何か他のことをするなら、止めはしないわ」
彼女は用意された上等な紅茶を一口啜り、余裕のある笑みを浮かべる。
「それに、今でも男が欲しくなった時は来てくれる。
気にする必要はないわ」
しかし、次の言葉には、貴族の冷徹な世界を垣間見せる警告の色が宿っていた。
「でも、私でなければ、敵対行為ととられることもあるから、気を付けるように。
逆に、相手の力を削ぎたければ、どんどん引き抜くこともあるわ」
リオスは、貴族社会の厳しい現実を突きつけられた気がして、背筋が冷えるのを感じる。
グリムボーン家の者として、この種の配慮が決定的に欠けていたことを恥じた。
「肝に銘じます。貴重な忠告、感謝します」
リオスは改めて礼を述べる。
「それで、結局三人が欲しいのかしら?」
「いいえ。事実、彼女たちに関わることですし、魅力的な話ではありますが……別件です」
リオスは一度区切り、依頼を切り出した。
「三人に幻惑魔術の先生をつけてほしいのです」
リリシアは、小首を傾げて愛らしくとぼけた。
「私が? ……リオス君に幻惑を見せたことがあったかしら?」
「はじめて会った日、僕とフィノが迷ったのは、貴女が幻惑で部屋の前まで誘導したせいでしょう?」
リリシアは、一瞬目を見開いた後、すぐに妖艶な笑みに戻った。
その様は、まるで仮面を付け替えるかのようだ。
「あの瞬間、違和感を感じていたの?」
「はい、ほんの一瞬ですが」
「……やはり、末怖ろしいわね。
ええ、そうよ。私が少しだけ、あなたたちを惑わしたわ」
リリシアはリオスの洞察力に感嘆しつつ、依頼の根幹に触れる。
「本題に対しては、自分の娼館の娘に幻惑を教えるのはやぶさかではないけれど……グリムボーン家からの依頼を、ヴェルファーン家が無償で請け負ったとなると、問題があるわ。
そこは理解してもらえるかしら?」
「たしかに、ヴェルファーン家がグリムボーン家の下に見られてしまいます。充分理解できます」
リオスは頷き、家同士のプライドの問題を理解したことを示す。
「『貸し』にすることもできるけれど、それはバルトロメイが流石に許さないでしょうしね。
だから、代案を出すわ」
リリシアの琥珀色の瞳が、リオスの隣で泰然と控えるフィノアへ向けられた。
その視線は、獲物を値踏みするような熱を帯びている。
「そこのエルフ……フィノアと言ったかしら?
彼女の性技をヴェルファーンに教えなさい」
リオスは驚き、即座に問う。
「なぜフィノアを?」
リリシアは、にっこりと蠱惑的に微笑む。
「貴方の夜の教師は、その娘でしょう?
二年前の時点で、貴方をあそこまで仕込んだ、エルフの秘術を教えてほしいの」
リオスはフィノアに視線を向けて問う。
「フィノ、君はそれでいい?」
(従者に問いかけるとは、甘い子……いえ、グリムボーン家の家訓だったかしら?)
リリシアは胸中でひとりごちる。
フィノアは穏やかに微笑んで答えた。
「エルフの秘術というほどもない、一般的なものでございますが、それでもよろしければ、謹んでお受けいたします」
(秘術を隠すか? それとも、彼女個人のテクニック? どちらにしろ、暴くことはできるわ)
リリシアは、興味深げにほくそ笑むと、完璧に気配を消して控えていた従者に命じた。
「レーポス、貴女が教わりなさい」
「え……っ!?」
従者――レーポスは、普段の冷静沈着な態度を崩して、初めて顔を上げる。
その瞳には、侮辱されたサキュバス特有の怒りが宿っていた。
レーポスはサキュバスであり、リリシアの側近。
性技に関しては絶対の自信があった。
他のことならともかく、「たかがエルフ」に娼婦としての技を教われ、というのは、彼女のプライドが許さない。
「流石に、主とはいえ、あんまりです! このような恥辱を……!」
事前に打ち合わせしたわけではないが、その反応はリリシアの望み通り。
彼女は、逆らったことを(後でオシオキね)と考えつつ、面白そうに口角を上げた。
「ならば、ふたりの勝負にしましょう」
リリシアは、フィノアとレーポスに向かい、その内容を告げる。
「……っ」
「……っ!」
そのルールに、フィノアとレーポス、両者が息をのむ。
リリシアは、レーポスに向かって、勝敗の条件を告げた。
「レーポス、貴女が勝てば、私の代理として、件の三人に幻惑魔術を教えなさい。
その代わり、その三人は好きに遊んでよいとも許しましょう」
それは、サキュバスにとって魅力的な報酬だった。
「そして、負けた場合は、オシオキ……だけじゃ、貴女は悦んじゃうでしょうから……」
リリシアは、レーポスを射抜くように見つめ、最も恐ろしいペナルティを提示した。
「私自らが教えに行くことにするわ」
「そんな!」
レーポスが慌てる。
たかが学生の指導に、グリムボーン家の要請とはいえ、ヴェルファーン家のトップが赴くなど、あってはならない。
彼女に、ヴェルファーン家の面目という、個人的なプライドを超える負けられない理由がさらに加わった。
一方、フィノアにとっては、性技はリオスの夜の相手として修めたに過ぎない。
しかし、リオスの夜の指導者としての矜持と、彼の信頼を失わせないよう、彼女もまた、負けるわけにはいかない勝負なのだった。
勝負のルールも、多分怒られそうなので、こっちでは書けません……




