再会
魔王降臨祭の夜。
あの、リオスが初めて王城の大広間に足を踏み入れた日から、数年が経過していた。
グリムボーン家一同は、その時から毎年、この祝宴に参加している。
王都にそびえる王城の中枢、大広間。
前回と同じく金糸を織り込んだ天蓋と、淡い紫の魔光灯が照らす空間は、数多の魔族たちの熱気と、肌を焦がすような甘い香りに満ちた饗宴を繰り広げている。
豪華絢爛な装飾も、高貴な魔族たちの囁きも、初めて来た日のリオスを圧倒した、あの張り詰めた緊張感はもうない。
貴族席の中央付近。
場数を踏んだことで、その礼服がすっかり板についた三人の姿があった。
まず、リュシア。
深紅のベルベット地に漆黒のレースがあしらわれたロングドレスは、さらに一歩大人に近づいた凛としたスタイルだ。
艶やかな漆黒の肌と額の角は、以前にも増して鮮烈な存在感を放っている。
幼年学校の生徒会役員としての威厳と、均整の取れたスレンダーな体躯は、既に十分な気品を纏っていた。
次に、リオスの隣に控えるシエラ。
銀に近い淡紫の髪と深く澄んだ紫の瞳に合わせた、淡い藤色のシルクのドレスは、彼女の青白い肌によく映えていた。
その姿は、完璧な貴族令嬢としての完成度を高めている。
彼女が視線を動かすたび、神秘的な美しさが周囲の視線を引きつけるが、シエラは常にリオスのわずか半歩後ろに立ち、その視線を他の誰でもなく、彼だけに注いでいる。
そして、リオス。
艶を抑えた漆黒の礼服はあの時と同じだが、ぐっと身長が伸び、細身ながらも鍛錬によって引き締まった体躯に馴染んでいる。
黒い瞳の鋭い眼差しも周囲の貴族の視線を集めていた。
大広間では、このために王都に来た父バルトロメイや、その妻たちが他の貴族たちと静かに杯を傾けながら、政治的な挨拶や近況報告を交わしている。
リオスたちが貴族社会の一員として、この場に存在することが当たり前の光景となっていた。
子供たちの行動も毎年同じように始まる。
リュシアは、前回同様、大広間の片隅に設けられた、貴族の子弟たちが集まる交流の場へと足を向けた。
その輪の中に、すぐにルーシーの姿が見つかった。
相も変わらず、彼女は魔王という立場を忘れ、生徒たちと熱心にカードゲームのルールの是非を論じ合っている。
リオスとシエラは、遠目からその光景を捉えると、胸の内で粛然と最敬礼を捧げた。
この場でルーシーは「姉の友人」であり、「魔国の最高権力者」ではない。
彼女がそれを望むのならば、この微妙な関係を崩すわけにはいかない。
ルーシーは、リュシアと談笑する合間に、リオスとシエラの方へ視線を向けた。
その金の瞳は、一瞬の間に二人の胸中の敬意を看破したのだろう。
彼女は口元に満ち足りた、優美な笑みを浮かべた。
その表情は、リオスたちの行為が彼女の願いと合致していることを示していた。
ルーシーも、友人として、リオスとシエラに控えめに接した。
(今年も、玉座で魔王をやっているのは……ミリナだろうな)
リオスは、大広間の最奥、煌びやかな薄布の帳が掛けられた玉座へと視線を送った。
そこには人影が確認できる。
その影の主であるべき、本物の魔王は目の前にいる。
事情を知らない者が平伏しているその影の真の主は、奴隷の少女。
少し笑える。
そう考えながら、リオスとシエラもまた、幼年学校のクラスメイトや、貴族の子息たちとの挨拶を交わす。
挨拶に来る生徒たちのリオスを見る目には、ところどころに畏敬の念が混じっていた。
それは、彼の決闘の戦績と、生徒会の監査で不正事件を解決に導いた出来事が、幼年学校の生徒たちの噂になっているためだ。
その場には、以前リオスと剣を交えたデーモン族のカエリウスもいた。
彼は前回、リオスに敗れた屈辱を忘れていないのだろう。
その双眸は敵意のこもった眼差しをリオスに向けていた。
しかし、リオスもシエラも、その視線を意に介さない。
シエラはリオスの婚約者として、むしろカエリウスのような存在に敵意を向けられることを、誇りにさえ思っている節があった。
「やぁ、リオスくん」
次いでリオスに声をかけてきたのは、デュラハン女子のセリーネだ。
「セリーネさん、そういうドレスも似合いますね」
セリーネは、普段の制服姿と一線を画し、紺色のレースとフリルを重ねた貴族然としたドレスに身を包んでいた。
その姿は、剛毅な剣士の顔とは対照的で、夜の顔とも違った淑女としての品格を際立たせている。
彼女が抱えた頭の、青い炎のような眼差しが、リオスの言葉に驚いたように、普段より優しく揺れた。
「あ、ありがとう……。でもまあ、着慣れないわね」
セリーネは少し照れたように、そっけなく答える。
「いえ、本当に上品で、お綺麗です。
こういった場でのセリーネさんの姿は、僕たち下級生の良い手本になります」
リオスが素直に、そして真摯に、尊敬と社交場での賞賛を織り交ぜて褒めると、セリーネは顔を少し紅潮させ、まんざらでもない様子を見せた。
実力のある後輩からの賛辞は、彼女の自尊心をくすぐるようだった。
一通りの挨拶を終え、リオスはふと周囲を見回す。
この場にいるのは貴族の子弟たちだ。
平民である彼自身のクラスメイトは、この祝宴には招かれていない。
王城でのパーティなのだから、当然だ。
彼らは彼らで、王都の広場で祭りを楽しんでいるだろうか?
もしかしたら、屋台などで楽しませる側かもしれない。
ほんの少し、この違いに物足りなさを感じるリオスだが、すぐに思考を切り替えた。
「ごめん、僕は、他に挨拶をする人がいるから。少し席を外すね」
リオスはリュシアとシエラ、ルーシーやセリーネに告げ、そっとその場を離れた。
子供たちの集まりを抜けたリオスは、自然に隣に付いてきたフィノアに対し、周囲に気づかれないよう、ごく小さな声で尋ねた。
「フィノ。リリシアさんの所在を教えてくれないか」
フィノアの表情が、微動だにした。
彼女はすぐに平静を取り戻したが、そのわずかな躊躇をリオスは見逃さない。
「……リオス様。バルトロメイ様からは、リリシア様との会話は控えるように、と厳命されております」
「わかっている。僕も父上の言葉は重々承知だよ。でも、今日はどうしても挨拶をしておきたい相手なんだ」
リオスは、父バルトロメイがリリシアとの直接接触を避けるよう指示していることは承知している。
そして、グリムボーン家の従者たちが、リリシアの動向を密かに監視していることに感づいていた。
あの時の一件があり、バルトロメイが警戒を強めるのは当然のことだ。
「フィノ。父上の言いつけを破ることになるのは理解している。
だが、これは僕にとって譲れない用事なんだ」
リオスが射抜くような眼差しを向けると、フィノアは観念したように深々と息を吐いた。
彼女はリオスに忠実であると同時に、グリムボーン家に雇われる立場でもある。
その葛藤の末、彼女はリオスの希望を最優先にした。
「……現在、リリシア様は、ここから、あまり遠くない一角におられます。玉座に向かって、4時の方向です」
「わかった。ありがとう、フィノ」
リオスはフィノアを伴い、指示された一角へと静かに歩を進めた。
フィノアの案内でたどり着いた一角。
そこに大魔将リリシア=ヴェルファーンの姿があった。
彼女は、以前リオスが会った時よりもさらに成熟した、肉感的な魅力を全身から発している。
纏うのは、真紅の艶やかなスリットドレス。
深めのスリットが、彼女の磨き抜かれた脚の美しいラインを大胆に露わにし、胸元は豊満な乳房の谷間を深く強調していた。
生地の光沢は、王城の魔光灯の光を受けて、滑らかな肌の陰影を際立たせ、視線から逃れられない官能を振りまいている。
他の者が纏えば下品と評されるような衣装ではあったが、彼女にかかれば、正装として成り立っていた。
彼女は、数名の魔族の男たちを侍らせ、蠱惑的な微笑みを浮かべながら談笑していた。
しかし、リオスが近付くと、リリシアの視線が彼に向いた。
その目は一瞬、前回にはなかった、抑えきれない熱情を帯びた。
「……まあ」
リリシアは艶やかな微笑みを浮かべ、侍っていた男たちに向かって、左手の指を優雅に振った。
「散れ」
冷たいひとこと。
男たちは、まるで操り人形のように、あるいは意識を失ったかのように、会話を中断し、戸惑いもなく方々に退散していった。
一瞬にして空間は、リリシアと、リオス、フィノアの三人だけになった。
リオスは一歩進み出て、儀礼的な挨拶をした。
「リリシア様。ご無沙汰しております」
リリシアは、ゆったりとリオスに近づく。
成長したリオスの顔を、なぞるようにして見つめる。
「リオスくん。久しぶりね。
……ふふ、会いに来てくれなくて、とても残念だったわ」
うそぶく彼女の視線には、前回よりも深い、成長したリオスへの関心が燃え盛っていた。
「申し訳ありません。父から、あまり接触しないように止められていまして」
リオスは正直に詫びるが、言葉の裏には、彼女の反応を試す意図があった。
「止められているのに、なぜ今、来たのかしら?」
リリシアの目が細められる。
「お願いしたいことがあります」
リオスは、能動的に本題を切り出した。
その言葉を聞いたリリシアは、満足げに微笑みを深める。
「ふむ。長くなりそうね。
よろしければ、私の控室へ。
あそこなら、もっとゆっくり話せるわ」
前回と同じような誘い文句。
リオスが頷こうとした、その時だった。
「お待ちください、リオス様!」
フィノアが、二人の間に割って入った。
その顔には、決然とした意志が宿っている。
「申し訳ありません、リリシア様。
控室への移動は……わたくしが、止めさせていただきます」
リリシアは、面白そうにフィノアを見つめた。
そして、前回と同じように、フィノアの意識を奪おうと、甘い魔力を込めた視線を送る。
魅了の魔力がフィノアを包み込む。
しかし、フィノアは怯まない。
その瞳は、微かに揺らぐものの、決して焦点を失わない。
リリシアは驚きに目を見開いた。
フィノアが特別な護符などを使っている様子はない。
完全に、己の精神力で魅了に抗っているのだ。
「あら、驚いたわ。頑張っているじゃない、エルフの子。
前回は、もう少し弱かったでしょうに」
リリシアは、素直にフィノアの成長を褒め称えた。
その賞賛は、リオスにとってフィノアの努力が報われたことを意味していた。
「フィノ、大丈夫。ありがとう。でも、僕は行くよ」
リオスはフィノアに伝え、彼女の肩を優しく押した。
リオスの強い意志を感じたフィノアは、なおも躊躇し、縋るような視線を彼に向ける。
それを見たリリシアは、余裕の笑みを浮かべて、二人に向かって言い放った。
「心配なら、一緒に来なさいな。
貴女の主人を案じるなら、それが一番でしょう?」
そして、大広間に向かってちらりと視線を送り、会話を聞いているであろう監視者に聞こえるよう呟く。
「どうせ、他に監視してるのが、バルトロメイに伝えるでしょ。連絡も必要ないわ」
その言葉は、リリシアがすべてを承知の上で、リオスの行動を歓迎していることを示していた。
「行こう、フィノ」
その一言で、フィノアはついに折れた。
こうして、リオス、フィノア、そして大魔将リリシアの三人は、数年ぶりにリリシアの控室へと向かうことになった。




