訓練計画、始動
放課後の鐘が鳴り響き、帰り支度を終えた生徒たちが教室を出てゆく。
リコリスとヴィーゼル、ネリア、ルゥナ、サララ――
リオスの周りにはいつもの面々が集まっていた。
「行商で身を守れんと商売にならんし、対抗戦は腕試しにはちょうどええな」
ヴィーゼルが拳を固く握った。
鍛錬への真剣さが、その仕草から窺える。
「僕は不安だな……」
リコリスが声を落とした。
その声は、少女と見紛うほど繊細で澄んでいる。
「植物を操れても、火で焼かれたら終わりだから……」
彼の言葉は、アルラウネとしての種族的な脆さへの不安を示していた。
リコリスの細い指先が、服の裾を小さく握りしめる。
「その通り、植物は火に弱い」
リオスは首肯した。
彼は仲間の不安を否定しない。
「だからこそ、戦略で補う」
リオスの瞳には鋭い光が宿る。
「もし樹木に火をつけられても、敵の方へ巻き込んで倒せば、相手も対処に時間を取られる。
それに、蔦は退路を塞ぐ形で伸ばす。火をつけた敵が逃げる足を奪うんだ。逆に焼いてしまおう」
リオスの言葉に、リコリスはハッとした顔で感心した。
ネリアたちも思わず息を詰める。
(えげつないなぁ……)
ヴィーゼルは内心で舌を巻き、糸のような目が細くなる。
(大人しそうな顔をしてても、やっぱり武家の子なんやな)
リオスの思考は徹底的に実戦を想定している。
それが彼には理解できた。
リオスの提案に、男子ふたりの顔が引き締まる。
だが、3人のサキュバスの表情には陰りが落ちていた。
ネリアが俯いた。
「わ、私にも不安があるよ」
彼女の細い尻尾が、微かに震える。
「私たち3人とも、幻惑魔法が全然使えないの」
ネリアは一度、言葉を切った。
彼女の小さな角が、黒い飾りのように見える。
「だから、リオスくんの期待に応えられない……」
ルゥナとサララも首肯した。
彼女たちも、リオスの期待に応えられない不甲斐なさを感じているのだ。
リオスは黙って話を聞いていたが、わずかに首を傾げた。
「幻惑魔法が使えなくても、まだ時間は1か月あるじゃないか」
リオスは落ち着いた声で言った。
「焦る必要はないよ。
そもそも、素の魅了だけでも、相手の男子なら、十分に惑わせられるだろうし」
ネリアはそれでも不安げな声を出す。
「1か月でどうにかなるかな……」
「どうにかするんだ」
リオスは断言した。
「使えるものは何でも使え。それがグリムボーンの教えなんだ」
リオスは真剣な眼差しで言った。
「学校の先生にも、娼館のサキュバスにも、教えを請おう」
その言葉に、ネリアたちは息を飲んだ。
「……娼館の、先輩に?」
ネリアの声が上擦った。
「外部の指導を仰いでいいのかな?」
ルゥナとサララが疑問を口にする。
「資料を読んだけど、禁止されていない」
リオスは即答した。
「禁止されていなければ、手段は選ばない。それに――」
リオスは言葉を続けた。
「セリーネ先輩も幻惑を使っていたし、何かコツを教えてもらえるかもしれない」
リオスはそう言うと、出口へ向かって歩き出した。
「セリーネ先輩のクラスへ行こう」
ネリアたちは顔を見合わせた。
リオスの打開策に、彼らは従うしかなかった。
◇
リオスたちは西棟を後にした。
目指すは東棟の上級生のクラスだ。
ネリアたちが寄り添うように歩く中、リコリスが廊下の途中で足を止めた。
「ちょっと怖いな」
リコリスが呟いた。
深紅の髪が揺れる。
「上級生の教室は、空気が違うっていうか……なんだか、怖いよね」
廊下に満ちる雰囲気は、1年生の区画とは明らかに別物だった。
漠とした威圧感がある。
下級生たちとは積み重ねてきた時間が異なるのだ。
それでもリコリスは、すぐにリオスたちの後を追った。
程なく彼らは、目的の教室の前に辿り着いた。
教室の内部から、激しい騒音が漏れ出している。
「――勝てば、自由に抱かせろ!」
荒々しい男の声が響いた。
興奮と欲望に塗れた、耳障りな声だった。
リオス一行は戸惑い、教室の扉の前で立ち尽くす。
教室の中では、一人のサイクロプスの男子が、デュラハンの女子生徒に向かって叫んでいた。
男子の顔は欲望で歪んでいる。
眼窩に収まった彼の大きな瞳は、一点に集中し、獲物を狙う獣のようだった。
その標的のデュラハンの女子――セリーネは、硬質の宝石のような冷たい瞳で彼を見つめていた。
そして、彼女はうんざり顔で言葉を放つ。
「断る。時間の無駄よ」
その直後、セリーネの視線がリオス一行を捉えた。
「――用件は私かな?」
セリーネが教室の中から近寄ったが、リオスは遠慮した。
「セリーネさん、取り込み中だったんじゃないですか?」
セリーネは肩をすくめる。
「もう終わったところだよ」
だが、サイクロプス男子が食い下がる。
彼はリオスたちがいる教室のドアに近づき、大声をあげた。
「おい、待てよ! 同じ条件で決闘したって噂になってるぞ!」
教室内の空気が一変した。
ざわめきが鎮まり、男子の視線がリオスたち――いや、セリーネに集まる。
そして、女子たちはそんな男子たちに軽蔑の視線を向けている。
クラスの多くは、件の噂の相手がリオスだとは知らなかった。
より正確には、リオスの顔を知らなかった。
それでも、ネリア、ルゥナ、サララは、その殺到する視線に体が硬直し、ヴィーゼルとリコリスも気圧された。
上級生の視線が、彼らを押し潰しにかかったのだ。
だが、リオスは違った。
彼は平然とその場に立っている。
セリーネが、ゆっくりと口を開いた。
「あの条件は、それ相応の相手にしか承諾しないの」
彼女はサイクロプス男子を一瞥した。
「あなたにはその価値がない」
そして、その冷たい視線をリオスに向け、口元をほんの少し吊り上げる。
「――この、リオスくんみたいな、ね」
その言葉が教室の中に響き渡った。
上級生たちの視線が、再びリオスに殺到する。
セリーネは、もうその視線から興味を失ったようだった。
「じゃ、そういうことで」
彼女は背を向けた。
リオスたちを連れて教室を出ていく。
教室の奥から、サイクロプス男子の地を這うような呻き声が微かに聞こえた。
◇
セリーネに導かれ、リオスたちは校舎の中庭へ出た。
人気のない木陰に入り、一行は立ち止まる。
そこに来てようやく、一行は張り詰めた空気から脱した気分になれた。
「さっきの、僕のせいですよね? 申し訳ないです」
リオスが頭を下げた。
彼の口調は丁寧だ。
セリーネはそれに特に感情を乗せない声音で応じた。
「気にしてないわ。言い出したのはリュシアだし、受けたのは私だもの」
セリーネはそう言って、リオスたちをじっと見つめた。
深紫の髪が腕の中で風に揺れている。
リオスは一呼吸置いた。
「実は、セリーネさんに相談したいことがあって、伺ったんです」
リオスは本題を切り出して、ネリアたち3人を振り返った。
「クラス対抗戦に向けて、ネリアさんたち3人に幻惑魔法を使えるようになってもらいたくて、セリーネさんに教えを請いたいんです」
ネリアたちが緊張した面持ちで、セリーネを見つめた。
しかし、セリーネは首を横に振った。
「残念だけど、私も得意と言うわけではないし、正直、どう教えて良いかもわからない」
彼女はそう言って、頭を持った方とは逆の手――右手を宙に差し出した。
次の瞬間、その空の手のひらの上に、白い霧のような魔力が集まり始める。
すぐに、ふわりと彼女の頭部の幻像が出現した。
それは完璧な像だった。
誰もがセリーネの頭が2つあるように錯覚する。
「これが幻惑の力だけど――、私自身これだけを練習してきたけど、まだ練度が低いの」
一年生の面々には、本物の頭と見分けのつかない幻惑だが、セリーネは練度が低いと断じた。
「あなたとの決闘で自覚した弱点だけど、魔力を揺らされると、像が歪んじゃう程度よ」
セリーネが実演を続けた。
彼女が意図的に魔力を揺らすと、幻像は水面に落とされた絵の具のように形を崩し、即座に消えた。
これが、上級生であるセリーネの幻惑魔法の練度だった。
リオスは黙ってその実演を見届け、すぐに口を開いた。
「幻惑が苦手でも、“一点特化”なら武器になるんですね」
力強く言った。
この弱点があっても、十分に惑わされることは、リオス自身が体験して知っている。
「そうね、幻惑魔法は情報を攪乱するための魔法。完璧な幻像を目指す必要はない」
セリーネのその言葉は、自身に言い聞かせるような言葉だった。
「ネリアさん、ルゥナさん、サララさん」
リオスは3人のサキュバスを振り返った。
「1か月は、一点特化で覚えよう!
クラスのだれかひとりを、何人もいるように見せるんだ」
リオスはそう発破をかけた。
3人は、リオスの確信に満ちた瞳を見て、小さく頷きを返した。
「じゃあ、リオスくんをいっぱい出す!」
ルゥナがそんな事を無邪気に言う。
不安は消えていない。
だが、確かな希望の光が見えた。
(すぐに魔王降臨祭もあるし)
リオスは胸中で考えた。
(リリシアさんにもコツを相談できるかもしれないな)




