対抗戦、告知
昼下がりの斜光が窓格子を抜け、黒板に白い帯を斜めに刻む。
その光は、教室の埃を微細に煌めかせた。
通路では小声の笑いが尾を引き、窓際の頬杖は天井の木目を追っている。
机上にはペンと紙片が散らかり、板拭きの湿りがひやりと匂う。
――昼休み後のゆるい午後。
扉が重い音を立ててきしむ。
エルネストが入ってきた。
長衣はくたびれ気味、髪も寝起きの名残。
胸元の古い聖印が光を吸い、一切の雑音を許さない視線だけは教壇へ一直線だ。
教室の空気が跳ねた。
弛緩しきっていた生徒たちの心臓が、微かに脈打つ。
通路の談笑が途切れ、散っていた影が音になって席へ戻る。
椅子脚が床を擦る音が列ごとに連なり、窓際の頬杖が下り、背筋が揃う。
「知っての通り、対抗戦が始まる」
その一言が、昼のぬるさを切った。
エルネストは教壇に上がり、白墨をつまむ。
板面に向き直り、ためらいなく腕を走らせた。
クラス対抗戦。
白い線の縁が淡く光り、粉がきらりと舞う。
板拭きで余白をすっと整え、指先で文字の左下を軽く叩く。
「規則を確認する。時期は一か月後から」
板縁の粉を指で払う。
「参加者は8組と相手クラスの全員参加。代理は禁止」
教卓の巻紙と資料束を取り上げ、各列の先頭へ手渡す。
顎が小さく動き、その無言の圧力に促されて、紙は後ろへ回される。
紙が擦れる乾いた音が前から後ろへ流れてゆく。
「武器は支給品のみ。持ち込みは不可。外部からの助力や増援も認めない」
資料を回す手が忙しなく動き、通路側では咳払いがひとつだけ零れた。
「勝利条件は宝玉の破壊」
黒板の中央に円を描き、白い亀裂の記号を刻む。
粉が線の縁から滑り落ち、板面に淡い尾を残す。
「地形図と詳細ルールは、配布の資料を見ろ」
皆の視線が黒板と紙を往復し、紙の端を整える小さな音が点々と続く。
全員参加――四文字が胸の裏へ沈み、教室の温度が変わる。
さっきまでの笑いは引き、ペンが転がる音だけが小さく残った。
その中で、リオスはいつかのリュシアの声を思い出していた。
「毎年恒例よ。そして、毎年うちのクラスが優勝してるの」
何気ない会話のはずが、耳に残っている。
……姉の胸ばかり見ていたわけではない。
(僕たちだって、目指せる)
劣等種と呼ばれる者が集う8組だが、勝ち筋はある。
無茶ではない。少なくとも、ここで諦めてしまうには惜しい。
リオスは口の中の唾を飲み込んだ。
黒板の文字が視界の中心へ寄り、拳に力がこもった時、机面を弾く軽い音がした。
童顔のサキュバス、ルゥナが弾かれたように半立ちで手を挙げる。
薄紫のツインテールが跳ね、尾の先が楽しげに揺れた。
彼女の仕草は常に無邪気な熱意に溢れている。
「ね、サララ! リオス様がいれば楽勝だよね! 連日決闘で連勝なんだもん!
私たち、応援するだけでいいんじゃない!」
教室の方々で小さな笑いが散る。
吐息が温度を帯び、弛緩が戻りかける。
隣のサキュバス、サララが余裕の微笑で頷いた。
光を吸う黒髪が肩で揺れる。
その眼差しには、リオスへの確固たる信頼が見て取れる。
「そうね、ルゥナ。リオスくんの強さは絶対だもの」
その瞬間、最後列で椅子が床を引っ掻くような音が鳴った。
がっしりした影――ゴブリンのダンクが立ち上がる。
木製の脚が床を擦り、低い音が教室に響いた。
「待て! あんな、女と乳繰り合ってるようなヤツに頼るか!
俺はリオスに頼りたくない!」
握り拳が掌に打ちつけられ、鈍い音がもう一度。
笑いが消え、視線が一点に集まる。
ダンクの言葉に、クラスの男子の面々が少し同意するような表情になった。
彼らの目には、期待ではなく複雑な反発が宿っていた。
リオスにも、心当たりがないわけではない。
ルゥナやサララ、それにネリアといった綺麗どころのサキュバスと仲が良いし、最近ではセリーネとの決闘の条件が話題になっていることも知っている。
そういったことが反発を招くものであることは、リオスも理解していた。
そして、間を置かずに整った姿勢でネリアが手を上げた。
机の角をそっと揃え、視線だけで列を撫でる。
その眼差しには、クラス全体を見据える冷静さがあった。
「理由はともかくだけども、ダンクくんの言い分は一理ある。
私たち、本当にリオスくんに頼りきりでいいの? みんなで勝とうよ」
沈黙が落ちた。空調の低音が床を這い、視線は机へ落ちる。
喉が鳴るかすかな音。教室の空気が鈍くなる。
その間、教卓の側らでエルネストは腕を組み、言葉を挟まない。
リオスが席を立つと、教室の視線が彼に集まった。
「僕が前面で戦って、みんながそれに頼る形は、健全とは言えないと思う。『全員参加』だし。
逆に、僕が何もしないのも、良くない」
大きくはない声が教室に響き、緊張が少し動く。
「だから、僕は宝玉の防衛に専念する。みんなは相手の宝玉を攻めてほしい」
囁きが教室を満たしてゆく。クラスメイトたちのざわめきが、波のように広がった。
「勝てるのか」「やっぱり前に……」「上位種族には……」
不安の声が大半だ。
リオスが守りに専念すると言ったのは、その場の思い付きではない。
かねてより考えていた案だった。
その案を皆に伝える。
「相手も守りに人を取られる。
なら、攻めでは人数で上回れる。
人間やゴブリンは数と連携。アルラウネは植物を操れるし、サキュバスは幻惑を使える。
ハーピーは飛べる。他の種族も――」
リオスが種族的な優位性を次々に語っていく。
尾が持ち上がり、羽根が震え、花弁がぴたりと揺れて止まる。
リオスの言葉が、彼らに眠っていた種族の誇りを呼び覚ます。
教室に充満していた諦念が、徐々に熱気に変わってゆく。
伏せられていた顔が、いくつも上がった。
前列でネリアが机の木口を押さえた。
目の奥に灯が差す。
あの日の言葉が、輪郭を取り戻す――
強いとか、弱いとかじゃなくて――必要とされる“場”があるって、すごいことなんだ。
ネリアは小さく気合を入れる。彼女の胸中に、ただ頼るだけではない、自ら動くことへの期待が満ちてゆく。
だが、問題もある。
リオスが期待している幻惑――まだネリアも、ルゥナもサララも使えないのだ。




