63:夕刻の決闘
夕刻の第二演習場は、傾き始めた陽の光に満ちていた。
白線の円が砂の上にくっきり浮き、観覧の生徒たちが距離を取って周囲を取り囲む。
風が砂粒を転がし、木剣の握りに残った松脂の匂いが立ち昇る。
運動着の二人が向かい合う。
リオスは標準の木刀。セリーネはレイピアを模した細身の木剣を握り、つま先を斜に切って構える。
立会人のリュシアは円の外、白線の延長上に立ち、短く条件を確認する。
「確認。放出系の攻撃魔法は禁止。致命打の判定は立会人に一任。他は、降参か戦意喪失で決着。異議は?」
「ありません」
「ないわ」
「――始め」
砂が薄く跳ね、最初の突きが走る。セリーネの剣先が胸へ直進する。
リオスは半身で角度をずらし、鍔元で受けて滑らせる。木と木が乾いた音を立て、腕に重さが乗る。
二の太刀は速い。横へ払い、すぐさま刺突へ戻す連打。
リオスは柄頭で弾き、斜め後ろへ下がる。
足裏に砂のざらつき。間合いが狭まるたび、呼吸が浅くなる。
セリーネは自らの頭部を左腕に抱えている。
胴は剣先を逸らさず前へ出る。腕の中から伸びる視線が円の中心を射抜き、躯は別の生き物のようなリズムで踏む。
デュラハンの間合い。
視点が低くも高くもなる。
剣を振るう肩と、見る位置が分離しているからか、癖が読みにくい。
剣先は空を裂き、狙いを散らしてくる。
リオスは剣を斜に立てて受け流し、押し返しては横へ回る。
打突の線を外へ逃がすたび、指先が痺れた。
短い接触。木剣の先が胸に触れ、衣越しに鈍い痛みが走る。
「浅い、続行」
リュシアが即座に告げる。
主導権を奪うため、リオスは踏み込みを選んだ。
受けからの当て身で手首を弾き、懐へ潜る。
体幹を揺らして線を切りたい。
セリーネは脇を締め、腰を滑らせて逃す。
抱えた頭が逆側へ移り、視線の角度が一転。
すれ違いざま、細身の木剣がリオスの背中に触れるが――浅い。
痛みが背筋を駆け、二歩よろける。
観覧の列がざわつき、すぐ収まる。
リオスは握りを握り直し、肩を一度回してから構えを低くした。
汗が掌に滲む。
目の前の相手は呼吸の上下を見せない。
首を外した躯は、呼吸の手がかりすら見て取れない。
再開の一合。セリーネは踏み足で弧を描き、外側から斜めに突き入れる。
リオスは刃を寝かせ、擦らせ落として返しの一太刀――肩口を叩きに行く。
相手の手の内が先に切り替わった。
面が返り、脇腹へ針のような先端が触れる。致命打を避けるため、足が後ろへ送られる。
「続けて」
リュシアの声が飛ぶ。
円の縁が近い。踵が白線に触れる。場外負けの規定はないが、気分は良くない。
視界の端で砂が崩れた。
リオスは横回りで中心へ戻ろうとするが、セリーネの足が進路を塞ぐ。
視線と切先と歩幅が揃い、常に胸を捕えてくる。
距離を詰めると刺突、離れると一歩で追い付き、横へ逃げると角度を切って前へ回り込む。
読ませない連携が続く。
ここで賭ける。
リオスは受けの面を大きく開き、誘いを作ってから一気に踏み込んだ。
木剣を絡め、鍔迫り合いへ引きずり込む狙い。握りが噛み合い、肩と肩が近づく。
力の向きがせめぎ、砂が押し潰される音。
次の瞬間、抱えられた頭が上げられ、視線が上から落ちる。
セリーネの足が小さく跳ねて右へ回り、体の線が抜けた。
リオスはセリーネの横腹へ打突放つ。
「――浅い。続行」
リオスは歯を食いしばり、前へ出るための角度を探した。
剣先が胸の前で揺れ、汗が顎から落ちる。
セリーネの剣は揺れない。
抱えた頭の視界が円を舐めるように回り、死角が消える。
踏み込みの速度が上がり、押し返す間がない。
押されているが、崩れはしない。
リオスは顎を引き、刃先をわずかに下げてから上げた。
中央へ戻す一歩を狙う。
セリーネの足はそれを読んだかのように半歩先を踏み、剣先が胸を狙い続ける。
リオスは木剣の面でレイピアの穂先を弾き、鍔元へ絡め取った。
肩で圧をかけ、手首ごと押し上げる。
絡みを保ったまま半歩回転、抱えた頭の側へ回り込み――腕を叩く一打。
――そのはずだった。
だが、セリーネが上手だった。
刃筋をくぐる抜き手で切先を引き、腕の中の頭を胸元へ寄せる。
同時に踏み足が砂を蹴った。
リオスの一打は空に抜け、反動で重心が流れる。
間を置かず刺突。細い線が胸へ伸びる。
リオスは面を起こして擦らせ落とし、鍔へ押し付ける形で再び束ねに行く。
近間へ引きずり込みたい。
だが、セリーネは刺突の流れを変える。
切先が肩口へ跳ね、浅い痛みが走る。
「続行」
リュシアの声が飛ぶ。
構え直し。リオスはもう一度、主導権を取りにいった。
今度は強いビートを二段。触れてから、押す。
剣先が外へずれ、鍔迫り合いに持ち込める距離が開く。
肩で圧し、回転。頭を抱える腕の上腕へ落とす――。
セリーネは脇を締め、肘で受けながら半身を切った。
踏み足が円を描き、身体の線が抜ける。
すれ違いざま、レイピアの先端が脇腹へ触れる。
「致命打ではない。続けて」
リオスは柄を握り直し、今度こそ、と自分の間合いへと潜る。
セリーネの手首がしなやかな蛇のように回り、鍔を逃す。
抱えた頭の位置が胸から腰へ移る。視線が低く通り、足下への誘いが生まれた瞬間、突きがすり上がって喉元へ止まる。
刃先を払って外すも、体勢は前のめり。
追撃の刺突がさらに放たれるが、リオスは何とか距離をとる。
直後、中央へ戻ろうと横へ回る。
セリーネは一足先に回り込み、剣先で胸を捕え続けた。間を殺す歩幅。
離れれば追い付き、詰めればくぐり抜ける。
頭を抱える腕は盾にならない。弱点を突く筋は見えている。けれど、届く前に攻め手を奪い返される。
木剣が交わるたび、重さが指へ溜まる。呼吸が荒くなる。
セリーネの胸は上下が少ない。視る位置と斬る腕が分離した相手は、リズムの把握を許さない。
リオスは低く沈み、もう一度だけ回転に賭ける。
鍔を噛ませ、肩で押し、頭側の腕へ叩き込む――。
刹那、セリーネの穂先が下から抜け、肩越しに返される。頬に沿って木が擦れ、頸の近くをかすめる。
リュシアが眼を細める。
――危なかったが、首は斬られていない。
リオスは大きく後ろへ送られ、白線の縁で踏みとどまった。
攻めは続けている。けれど、流れは奪えない。
左背へ出るたび、セリーネは一拍早く半身を切り替え、右の踏み足で正確にリオスと対峙する。
抱えた頭の角度は変わらないのに、剣先が先に立つ。
刺突の一直線が再び胸を捕え、リオスは面を立てて擦らせ落とすのがやっとになる。
(見えている……? 頭は左腕の中。目で追っているなら、今の角度は遅れるはず)
もう一度、左背へ。
刺突を弾き、肩で圧を足して半歩回転。
それでも、死角のはずのリオスの喉元に正確に追撃がくる。
鍛錬による予測だとしても、正確すぎる。
(頭の目じゃない。躯に“見る”仕組みがある――?)
理解が像を結ぶ前に、剣先がまた胸へ伸びる。
受けて、落として、横へ。砂が音を立て、白線の縁が近づく。
セリーネは正面の対角線を保ったまま、死角を殺すような動きで追い続ける。
考えられる手は二つ。
魔力を薄い膜のように照射して反射を拾うか、周囲に魔力を満たして揺らぎで位置を読むか。
しかし、どちらも消耗が大きいはずだし、何より魔力の感覚が肌に来ない。
わからないなら、揺らしてみる。
木剣で剣先を外へ弾き、そのまま魔力の圧を送り込む。
魔力で空気の芯を押す感覚――
瞬間、セリーネの抱えられた顔のが水面のように揺れた。
(……像だ。本物の頭じゃない。そこにあるように見せている!)
掴んだ事実に、心拍が上がる。
木剣を返し、鍔へ噛ませる。肩で圧し、左背へ回転――
セリーネの足が円を描き、回り込む。近づけばくぐられ、離れれば追い足で詰められる。
ダミーの顔は揺らいだが、躯の反応は遅れない。
(頭は偽物。見せ札。じゃあ、本当の“目”は別にある)
思えば、先ほどから特定の立ち位置になると、セリーネは必ず形を崩しに来る。
頭の向きがどうであれ、その位置関係を嫌っている。
なら、そこへ誘う。
(頭が偽物なら、本物の頭はどこにある?
――死角すら見えているとすれば……)
リオスは彼女が拒む帯へ意図的に入った。
踏み込みの踵に魔力をこめ、砂地を蹴り割る。
ドンと地が鳴り、砂が扇のように舞い上がった。
視界が褐色に染まり、観戦している生徒との間にも幕が張られる。
その瞬間、セリーネの動きが止まった。
――まるで、目隠しでもされたかのように。
躯は前へ出ようとして出られない。視る線が切れた。
(――今!)
レイピア切先を避け、胴へ一打。
鈍い音が演習場に落ちた。
体幹が折れ、セリーネの足が砂を滑る。
「――致命打」
リュシアの声が上がり、静止の手が挙がる。
「勝者、リオス=グリムボーン」
砂塵が晴れていく。
抱えられていた“頭”はすでに消えていた。
(あれは像。視点は外にある)
砂塵が薄れていく。白線の外から拍手と口笛。
観覧の列を割って、深紫と黒が溶け合う髪持つ頭と、それを抱えた女生徒が歩み出た。
女生徒はセリーネのクラスメイトらしく、穏やかな手つきで進む。
「セリーネ、戻すね」
女生徒が告げ、頭を差し出す。胴の方は膝をつき、受け取りの姿勢を整えた。
頭部は目を開き、薄く笑みを作る。
「見事だわ、リオス。からくりを破った」
リオスは木剣を納め、息を整えてから一礼する。
「おそれ入ります。決闘の際、身体の一部が場外に出てはならないという規定は見当たりません。
デュラハンならではの戦法、とても理にかなっています」
胴が頭部を受け取って立ち上がり、砂を払ってから視線を向ける。
「卑怯とは言わないのね」
リオスは首筋の汗を拭い、素直に答えた。
「僕の方がよほど策を使っています。
それに――グリムボーンの教えでは、卑怯や卑劣で線引きはしません。
勝つことが第一。その上で美しく勝てれば善し。
僕はまだ、勝つだけで精いっぱいです」
セリーネは口元で笑みを深め、顎を引いた。
「良い教えね。正面からの一撃、認める。勝利、おめでとう」
「本日はありがとうございました。勉強になりました」
「こちらこそ。次は私が上を取る」
拍手の余熱が砂に沈むころ、リュシアが近づき、手を打つ。
「立会人として確認するわ。勝者、リオス・グリムボーン。
――条件の履行は後刻。私がキッチリ見届けるから」
見届け人として当たり前の発言。
しかし――
「――ん? え? ちょっと待て。見届ける?」
セリーネが慌ててリュシアに問い返す。
「あたりまえでしょう?
見届け人は、条件の履行を見届ける義務があるのよ?
知ってるでしょう?」
確かにある。
そんな規定はある。
ほとんどの場合、見届ける必要もないので、忘れられがちではあるが。
そして、今回の条件は……
「謀ったな、リュシア……」
「失礼ね、ちゃんとお仕事してるだけよ」
そんなふたりの様子をみて、結局勝ったのは自分ではなく、リュシアなのでは?
と考えるリオスなのであった。




