グリムボーンの関門(ゲートキーパー)
昼食時の食堂は、皿と銀食器の軋む音、そして立ち込める湯気で熱を孕んでいた。
窓から差し込む鋭い光が、長机の木目を浮き彫りにし、食器の金属光沢がかすかな光を返していた。
そんな熱気の中で放たれた、「決闘」という単語。
食器の音がぴたりと止まり、室内の熱の層が、僅かに揺らめいた。
顔を上げた者たちの視線が、卓の上の島へと集まっていく。
入学から短い間に、リオスは幾度も決闘に臨んできた。
その理由は、姉リュシアが自身との勝負を望む者へ突きつけたただ一つの条件――「まず弟のリオスに勝て」。
その条件を超えるため、リュシアとの対戦を望む者は連日のようにリオスへ挑んでいた。
彼らの多くは上級生。剣と術に絶対の自信を持つ者たちだ。
グリムボーンの血筋とはいえ相手は下級生、しかも人間。
取るに足らない関門と見なされていた。
――「姉バカ」が弟の力量を見誤っているに違いない。
――いいや、強敵との実戦を積ませるための口実だ。
誰もが、そう確信していた。
だが、結果は異なる情景を描いた。
翻弄する奇策、裏をかく読み、時には正面からの力強い押し返し。
一人倒され、また一人退けられるたび、噂は形を変え、深まっていった。
今やリオスは、幼年学校最強へ挑むための踏み絵と見なされている。
彼を越えられぬ者に、リュシアの剣には触れられない。
そして今、食堂に響いた「決闘」の一語が、次の挑戦の幕を上げた。
名乗りを上げたのは――デュラハンのセリーネ。
「――決闘の件、確かに承りました。場所と立会人は学校規定に沿って、ですね」
リオスの短く、淀みのない返しに、セリーネの目が微かに細まる。
背筋をぴんと正し、胸元のブローチがきらりと冷たく揺れた。
「私の望みはただ一つ。リュシア=グリムボーンと剣を交える権利よ。
“あなたに勝てた者のみ”と条件を出している。
だから私は、まずあなたに勝つ」
宣言するセリーネの頭を抱え込んだまま、リュシアが妖艶に口角を上げる。小悪魔めいた微笑が奔った。
「セリーネなら、そんな条件なんかいらないんだけどね。
この娘、他の連中と同じ条件でやる。って聞かないの。
ほんと、頑固よね」
単に仲が良いから、というわけではないだろう。
つまり――戦うまでもなく、リオスに勝てる。
そう、踏んでいるのだ。
これまでの相手にも、手練れはいた。
むしろ、正面から倒せる者のほうがずっと少ないくらいだった。
規定の範囲内の奇策により――からくも退けているのが実情。
そんな相手よりもさらに強い相手となれば、リオスも自然と気を引き締める。
セリーネは深く問いを重ねた。
「あなたの望みは?」
幼年学校の正式な決闘には厳然たる決まりがある。勝者は望みを一つだけ提示できる。
履行は敗者に可能な範囲に限られ、双方が合意し、記録に残すことで初めて効力を持つ。
リオスは微かに息を吐き、率直に言った。
「僕には、特にありません」
「それでは釣り合わないわ」
セリーネの声が通る。
「決闘は等価の誓約で成り立つ。条件の重さが均衡していなければ、勝敗の意味も変わるもの」
リオスは言葉に詰まった。そこへ、リュシアが茶目っ気たっぷりに彼に言葉を投げる。
「――こういう時はね、“ひと晩、好きに抱かせろ”とか言っておけばいいのよ」
「ちょ、ちょっと、姉上!」
リオスは強く眉を寄せた。
「そんなの、要求する人、いるわけないでしょう!?
それに、仮に勝てたとしても見合わないし」
「あら、けっこうな人数が要求してくるわよ?」
そんなリュシアの発言に、周りで会話を聞き耳を立てていた男子たちが一斉にリュシアを見た。
――マジかよ!?
そんな思春期男子たちの熱狂的な心情を他所に、セリーネは一瞬まぶたを伏せてから、揺るがない声音で告げた。
「構わないわ。“グリムボーン”であっても、年下の、人間に負けるという事実には重みがある。
――その程度は、私の覚悟に織り込んでいる」
周囲のざわめきが一瞬、遠のいた気がした。食器を運ぶ侍僕の足音が、やけに規則正しく響く。
リオスは姿勢を再び正し、ゆっくりと頷いた。
「……承知しました。安心してください。乱暴な扱いはしません」
「あら、大した自信ね」
セリーネは口元に淡い笑みを引いた。
「勝てば私が望みを得る。負ければ、望みを得るのはあなた。ただそれだけ」
そして、リュシアが満面の、悪戯っぽい笑みで言葉を放つ。
「話が早くて助かるわ。じゃ、さっそく――」
「――今日は無理です」
リオスが鋭く言葉を遮った。
「このあと別の決闘が控えています。明日なら、夕刻に調整できます」
「了解」
セリーネは即座に答えた。リュシアから頭部を取り返し、踵を返す。
「立会人はリュシアに依頼する。場所は第二演習場で異論は?」
「異議なしです」
リオスも立ち、丁寧な礼を返した。
連れ立ってその場を離れたセリーネが、リュシアに囁くように呟く。
「あの子、思ったより修羅場を踏んでるのね」
「私に挑んできていたすべてのヤツが、今じゃリオスに挑んでいるもの。
お陰様で、私の鍛錬が非常に捗るわ」
リュシアは肩を回し、軽く首を鳴らす。
軽い口調で言っているが、リュシアが幼年学校に入学してから数年。
徐々に増えた「挑戦者」たち。その数は、“戦闘狂”のリュシアですら、うんざりと愚痴をこぼすほどの数になっている。
それを、入学早々たった一人で捌いているのが、リオスなのだ。
「末恐ろしい才能ね」
「その言葉、貴女だって周りから言われてるのよ?」
「あなたほどじゃないわよ」
ふたりとも、同世代……いや、現役の兵士と比べても、既に十分な実力を認められている。
しかし、こうして並んで歩く姿は、歳相応の女生徒にしか見えない。
「あ、しまった。リオスが勝ったら、『私のレポートを手伝え』って望みにしてもらえば良かった」
「それ、あの子に何の得もないじゃない」
「あら? 貴女の体を抱くのは得があるのかしら?」
「残念だけど、胸はあなたよりあるわよ」
「なんですってー!?」
……会話の内容は、やはり微妙に歳相応か判断に迷うが。




