報告、そして……
幼年学校本部棟の最上階――その奥まった一角に、生徒会の会議室はひっそりと構えていた。
石造りの高天井の空間には、重苦しい静けさが漂い、壁には紋章旗がずらりと並んでいる。
中央には深紅の絨毯に囲まれた重厚な長卓が据えられ、各学年の代表たちが、その周囲に静かに席を占めていた。
長卓の奥――ひときわ整った姿勢で座る生徒会会長は、淡紫の髪をきちりとまとめ、静かな威厳を漂わせていた。
「それでは、次の議題に移ります。リオスくん、準備はよろしいですか?」
会長の声は、張りつめた空気を柔らかく裂くように響く。
光が机上の書類に斜めの影を落とすその様子は、まるで沈黙にすっと差し込む陽光のようだった。
リオスは、緊張の色を隠しきれぬまま立ち上がり、両手で机に軽く触れる。
その掌に、微かに汗が滲むのを感じながら、視線を正面に保ちつつ口を開いた。
「はい。食堂のことについて、報告と、いくつか提案したいことがあります」
メモを握る手に、自然と力が入る。
だがその声は、幼さを残しつつも、どこかしっかりとした意志を帯びていた。
リオスは語り始めた。
ビルグを訪ねて得た言葉、そして彼から託された助言を、ひとつひとつ丁寧に言葉に紡いでいく。
「まず、こないだ頼まれてたビルグさんのことなんですけど……ごめんなさい。呼び戻すのは、できませんでした」
リオスの言葉に、会議室の空気が少しざわついた。
けれど、生徒会会長がいつも通りの声で問いかけると、そのざわめきはすっとおさまった。
「……理由を、聞いてもいいかしら?」
リオスはうなずいて、慎重に言葉を続ける。
「本人が言ってました。今は、厨房に戻るつもりはないって。
それに……“あのときの処分は、あながち間違ってなかった”って。
“部下の不正に気づけなかった自分にも責任がある”って、そう言ってました」
その声には、子どもらしい不器用さと一緒に、ちゃんと伝えようとする誠実さがにじんでいた。
リオスは、手元のメモを見ながら、さらに言葉を継ぐ。
「それから……責任者のことですけど、ビルグさんからは、“今いる料理人の中から選ぶのがいい”って、助言されました」
会議卓の空気が、わずかに引き締まる。
「あと、ビルグさんが、他にも助けになりそうな人を教えてくれました。
ひとつは、下町の屋台の料理人たち。もうひとつは、メンサっていう人で……その人なら、きっと力になってくれるって」
その提案が出た途端、ざわりと場が揺れる。
とくに、貴族の上級生たちからは、あからさまな反応が返ってきた。
「下町の屋台って……そんな人たちに、ほんとに頼んで大丈夫なのか?」
「料理の腕はあっても……」
「生徒の食事をつくってもらうのに、ちゃんと信用できる人じゃないと困るよ」
身分と格式へのこだわり。その色を帯びた空気を、静かに断ち切るように、ひとりの生徒が口を開いた。
デュラハンの少女、セリーネ=ファルミナスが、ゆるやかに口を開いた。
深紫と黒が溶け合う髪が、わずかに揺れる。机上に置かれた頭部――本来それがあるべき場所には、青白い炎が静かに灯っていた。
その琥珀の瞳、縁に深紅を湛えた眼差しが、まっすぐにリオスを見据える。
「リオスくんの提案、理解しましたわ」
澄みきった声が、会議室の空気に沁み込むように響く。
灰白の肌に表情は浮かばないまま、セリーネは続けた。
「実は……貴族家の料理人見習いたちにも、場数を踏ませる機会が必要とされておりますの」
その言葉に、場の空気が僅かにざわめく。
「日常の調理は、どうしても少人数分しか手がけられません。
いざという時の大量調理に関しては、経験不足が課題となっておりますの」
理由としては筋が通っている。
学校の食堂――この大規模な環境は、確かにその実地としてうってつけだった。
貴族の上級生たちも、これには反論せず、どこか納得したような顔を浮かべていた。
「……協力の申し出自体は、ありがたいことだと思います。ですが、一つ懸念があります」
声を上げたのは、2年代表の男子生徒だった。
眼鏡越しに鋭い視線を光らせる――落ち着いた雰囲気のリザードマンである。
彼は一拍置いてから、静かに周囲を見渡し、慎重な口調で続けた。
「貴族家の専属料理人と、下町の料理人とでは、育った環境も、料理への考え方も、まるで違います。
姿勢や手法の違いが、実際の現場で衝突を生むことは、十分に考えられるでしょう」
その声音には、特定の立場を責める意図はなかった。ただ、現場を預かる者としての冷静な危機感があった。
「しかも、ここは幼年学校です。子どもたちの健康と学びに直結する場でもある。
……料理の腕前だけで判断すべきかというと、それは難しいと思います」
彼の言葉を受けて、数人の代表がゆっくりと頷いた。
控えめながらも、その意見に賛意を示す空気が、会議室の中に広がっていく。
「ならば、わらわからも面白い手を出してやろうぞい! いっそ――勝負じゃ! 勝負!
どちらの料理が、生徒たちにより愛されるか、白黒つけるのじゃ!」
椅子にふんぞり返っていたルーシーが、頬杖をついたまま口を開く。
その声は、退屈を吹き飛ばす風のように明るく、会議室の空気を一変させた。
一瞬、室内にざわめきが広がる。だが、会長はルーシーをまっすぐに見つめると、軽く頷いて口を開いた。
「……公平な視点として、興味深いですね」
冷静なその声が、会議室のざわめきを静かに整えていく。
「調理方針や価値観が異なる料理人同士が同じ場所で働くなら、まず“互いを知る”ことが必要です。
評価を通じてそれを確認するのは、合理的な手段と言えるでしょう」
数名の代表が、互いに顔を見合わせ、小さく頷いた。
勝負――その言葉の響きが、すでに場を満たしはじめている。
「……では、試してみましょう。それぞれの方針を比べる意味でも、“勝負”という形は、妥当だと思います」
会長が改めて口を開いた。その声音に、会議卓に集う生徒たちが自然と背筋を伸ばす。
「ただし、いくつか条件を設けます。まず、予算について。これは全て、平等とします。学校から支給されている食堂予算を上限とし、特別な材料や調理器具の持ち込みは、禁止とします」
「金にものを言わせたご馳走など、腹ぺこの童どもには届かぬのじゃ〜! それに、わらわの舌はそう簡単には誤魔化せぬぞい!」
ルーシーが肩を揺らし、けらけらと笑いながら頷いた。だが、その声音には冗談だけではない本気の色も宿っている。
少し間を置いて、会長は視線を一巡させ、静かに言葉を継いだ。
「そして、評価方法についてですが……“どちらの料理を、毎日でも食べたいか”。
この一点に絞って、生徒たちに投票してもらいましょう。
味だけでなく、満腹感や食後の印象も含めて、総合的な評価になるはずです」
誰一人として、異を唱えなかった。
「貴族チームの取りまとめは、セリーネさん。下町チームについては、リオスくんに一任します」
会長の言葉に、ふたりは無言で頷いた。
セリーネは椅子を静かに引き、ひとつ一つの所作に無駄のない優雅な動作で立ち上がる。
机の傍らに置かれた頭部から伸びる視線が、まっすぐにリオスを捉える。首元には青白い炎がふわりと揺れ、彼女の存在感に不思議な威厳を添えていた。
「では……わたくしの方では、学校に籍を置く家の料理人見習いの中から、適任の者を数名選抜いたします。
勝負の場に相応しく、誠意をもって務めさせますわ」
その声音はあくまで静かだが、端々に芯の強さを感じさせる。
リオスは、少し息を整えるように瞬きをし、きゅっと小さく頷いた。
「……ありがとう、ございます。僕も……ちゃんと、下町の人たちに声をかけてみます」
幼さの残る声だったが、その響きには、迷いのない意志が宿っていた。
重厚な長卓の上――
かすかに揺れるその空気の中で、新たな“炎”がそっと、灯る。
◇
夕暮れ。
リオスは、フィノアと下町へと歩を進めていた。
赤く染まりはじめた西の空が、低く垂れ込めた雲のすき間から、路地の石畳をやわらかく照らしている。
その道沿いには、立ちのぼる湯気と香ばしい匂い――焼けた油の音と、呼び込みの声が溶け合い、賑やかなざわめきが続いていた。
雑多で、入り組んでいて、それでいてどこか温かい。
忙しなく動く人たちの姿が、ほんのすこしだけ、懐かしい気持ちをくれる。
(……きっと、すぐにはうまくいかない。すれ違うことも、怒られることも、いっぱいあるかもしれない)
それでも――と、リオスは前を向いた。
その瞳には、確かな光が宿っていた。
(だけど……僕は、少しずつでも変えていけるって、思ってる)
幼年学校の子どもたちが、列をなして待つ食堂。
そこで出される、あたたかいごはん。
豪華じゃなくても、特別じゃなくても――その一皿が、誰かの一日を、少しでも優しくできるかもしれない。
それはきっと、小さな魔法だ。
少年の胸に灯るその想いが、未来へと続く光になると信じて――
小さな背中が、ゆっくりと下町の風景に溶けていった。




