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【なろう版】魔国の勇者  作者: マルコ
幼年学校1年

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53:帳簿が語るもの

 午後の陽が斜めに差し込む、学院本部棟の一室――記録管理室は、まるで時の流れが止まったかのように静寂に包まれていた。


 壁を埋め尽くす書棚には、革張りの背表紙や封蝋の付いた古い記録簿が、びっしりと並んでいる。

 窓辺には厚手のカーテンが片側だけ開けられており、柔らかな自然光が、部屋の中央に置かれた長卓を照らしていた。


 その机を囲むように、数名の生徒たちが座っている。


 リオスは、長卓の1番端――1年生の代表として定められた席に着いていた。

 その隣にはシエラ。彼女もまた、1組の代表としてこの場に招かれている。

 対面の位置にはリュシアの姿。その隣にルーシーが、椅子を斜めにして脚を組み、やや不遜な態度で頬杖をついていた。


 他にも、各学年の代表から成る希望者数名――主に西棟の上級生たちが並び、空気を引き締めていた。


「……では、記録確認に入ります」


 会長が、静かに口を開いた。


 艶やかな黒銀の髪をまとめたラミア族の少女は、生徒会長としての威厳を湛えながら、決して威圧的ではないその声音が、場に自然な緊張感をもたらした。


「今回は、生徒食堂に関する帳簿の監査となります。

 要請があり、希望者も複数おりますので、順を追って説明と確認をお願いしたいと思います」


 その言葉に促されて、1人の生徒が緊張した面持ちで前に出た。


 それが、生徒会の会計を務める男子――西棟3年、平民出身の生徒だった。

 眼鏡の奥の視線はやや揺れ、手に抱えた分厚い帳簿を胸の前で抱えたまま、おずおずと口を開く。


「え、えっと……はい。こちらが、生徒食堂の帳簿記録になります。

 昨年度からの引き継ぎの形で……その……大きな変更はせず、前任者のまま、処理しています」


 責任を逃れたい気配が透けて見える言葉だった。


「帳簿の形式や記録方法は、変更せず、僕のほうでは計算と照合作業だけを……あ、もちろん定期的に確認してはいます。

 ええ、たぶん、間違いはない……はず、です」


 語尾が弱くなるたび、周囲の視線が微妙に彼から逸れていく。


「……緊張しておるのか、あやつ」


 ルーシーが小声で呟く。艶のある黒髪を指に絡めながら、軽く笑ってみせる。


「書類は苦手だけど……まあ、こういうのも嫌いじゃないわね」


 リュシアがそれに応じるように、控えめに笑う。

 少しだけ張り詰めた空気が、和らいだ。


 リオスも、少し背筋を伸ばして、手元の帳簿に目を落とした。


 書類の束が、手渡されていく。


 革表紙の分厚い帳簿は、数冊に分かれており、それぞれに月ごとの記録がまとめられていた。

 食材の仕入れ、調味料の補充、消耗品の購入記録など、整然とした数字と品名が並ぶ。


 ページをめくるたび、乾いた紙の匂いが立ち上がる。


 誰もが静かに、じっくりと――そして、どこか疑うようなまなざしで、その数字の羅列に目を通し始めた。


 開かれた帳簿の中には、整然とした記録が並んでいた。


 各月ごとにページが分かれており、それぞれの見出しには「仕入日」「納入品目」「数量」「単価」「支払額」などが細かく記されている。


 最初に目に留まったのは、仕入の分類だった。


 野菜類、肉類、穀物類、そして調味料と雑貨。

 さらに、「配膳用消耗品」や「火炉燃料」といった、台所回りの費用も抜けなく記録されている。


 品目の横には、常に3つの納入業者の名が交互に並んでいた。


 〈ロトバ商会〉〈シュメール納品組〉〈タリュム屋〉――


「これら3社が、毎週交代で納品しています」


 会計担当の男子が、書類を指し示しながら説明を加えた。


「1週間ごとにローテーションです。月曜には納入指示書を提出し、金曜に受領確認と支払を行ってます。

 ずっと、このサイクルでやってきました」

「定期納入ってわけか」


 西棟の上級生が頷く。彼もまた、自ら希望してこの場に参加した生徒のひとりであり、目のつけどころは鋭い。


 リオスも、開いた帳簿に視線を落とした。


 納入数は週ごとにややばらつきがあるが、それでも月単位で見れば一定の波を保っていた。

 仕入額も大きな急変はなく、春期に入ってからはずっと、銀貨換算で安定した出費が記録されている。


 たしかに、数字だけを見れば――何の不正も見つからない。


「過去数ヶ月分をざっと見ましたが……支出の波は、おおむね一定ですね」


 リュシアが数ページめくりながら、静かに感想を述べた。


「季節変動もなく、全体としては安定しています」

「うん……この帳簿を見ただけだと、不審な点って、あまり……」


 リオスも素直にそう感じていた。


 少なくとも、明らかな“抜き取り”や“架空の取引”といった形跡はない。

 仕入業者ごとの支出額にも大きな偏りはなく、誰が見ても、「きちんと記録された帳簿」であることに違いはなかった。


 そのときだった。


「ただ……この価格、少し気になりますな」


 1人の上級生が、帳簿の1行を指差して口にした。


 それは、野菜類の項目だった。


「この大根、……王都市場の相場と比べると、かなり高めだ」


 そう言った彼は、東棟の2年生。

 貴族商会の次男で、普段から市井の取引価格に詳しいことで知られている。


 別の1人の上級生も、すかさずその指摘に乗った。


「本当だ。こちらの人参も、同じような値段ですね。こっちは1袋あたり――」

「どの品目も、高級品に分類される価格帯だな。庶民の食卓には並ばない水準だ」


 上級生の声に、会計担当の男子が慌てて手元の資料をめくった。


「あ……え、えっと……仕入れ先が、指定業者でして……あの、旧来からの取り決めで」

「納入業者は3社って言ってたな?」

「は、はい。ですが、それぞれ……納品物の質に応じて、若干高くても選定優先で……」


 歯切れの悪い説明に、再び空気がわずかに揺らいだ。


 だが、会長がすっと指先を上げて場を静める。


「記録上は、適正――ですね」


 視線を帳簿に落としたまま、会長は落ち着いた口調で続けた。


「納入業者に不正があると断定する証拠は、いまのところ帳簿からは見当たりません。

 金額も、品目ごとに大きな差はなく、定期納入としての体裁は整っています」

「……だが、違和感は拭えませんね」


 その言葉に、参加者の多くが頷く。


 高めの仕入価格。毎週の決まった取引。指定業者。

 ――そして、帳尻は“ぴたり”と合っている。


 逆に言えば、それが出来すぎている印象を与えていた。


「まあ、少し気になる点はあるけど……問題にするほどではないかもね」


 誰ともなくそう言った声に、場がやや落ち着きを見せ始める。


 帳簿だけを見れば、確かに「整っている」。


 誰もが――このまま、帳簿監査は“終了”に向かうものと思い始めていた。


 帳簿の頁を繰っていたリオスの手が、ぴたりと止まった。


 視線はある1行に落ちたまま、しばらく動かない。


 それは、「月次集計」の欄だった。

 予算額、支出額、差引残高――数字は確かに、きれいに整っている。


 だが、何かが足りない。


 リオスは、ほんの少しだけ首を傾げ、手を挙げた。


「……あの、この帳簿……“売上”って、どこに載ってますか?」


 静寂が、記録管理室を包んだ。


 重ねられた帳簿の上に、柔らかな午後の日差しが射している。その明るさとは裏腹に、空気がぴんと張り詰める。


「えっ?」


 会計担当の男子が、ぽつりと声を漏らした。


「……売上、ですか? えっと……」 


 慌てて自分の帳簿をめくり始める。リオスの手元の頁と照らし合わせるように、目を走らせ――そして、手が止まった。


「……あれ。たしかに……載って、ない……?」


 会計担当の生徒が帳簿をめくりながら、戸惑いの声を上げる。


「どうかしましたか?」


 低く落ち着いた声で問いかけたのは、長卓の向こう側に座る東棟の上級生代表だった。黒縁の眼鏡を指で押し上げながら、帳簿に目を落とす。


「予算の項目なら、記載されているだろう?」


 その言葉に、リオスが首を横に振る。


「……いえ。僕が言っているのは――生徒が支払った料金のほうです」

「……支払った?」


 眼鏡の奥の目がぴくりと動く。だが、次の瞬間には眉をわずかにひそめ、首をかしげた。


「待て、それは……西棟の食堂は、無料ではなかったか?」


 場の空気が一気に動く。


 その言葉に、周囲がざわついた。


「無料って……ううん、ふつうに銀貨払ってたよ?」

「そうそう。日替わりランチ、銀貨1枚だよね」

「最初の説明で、そんなの言われたっけ……?」

「私も、そんなの聞いてない……」


 シエラが手元の帳簿から目を離し、静かに呟いた。


「入学時の案内書には、“西棟の生徒には昼食を無償提供”……と、書かれておりましたような気がしますわ」


 その言葉に、リュシアも「ああ、あったわね」と小さく頷いた。


「小さな字だったけど、確かに明記されてた。給食として、学校側が準備するって……」

「案内の表記か……」


 会長が、眉間に指をあてて考え込んだ。


「たしかに、私が入学したときも、書類にはそう書かれていたと記憶している。

 ……だが、当時から、実際には銀貨1枚徴収されていた」

「じゃあ……案内と現場の運用が、食い違ってたってことですか?」


 リオスの問いに、誰もすぐには答えなかった。


 帳簿に記された数字は、確かに整っている。

 だが、“帳簿に記されていないもの”があるとしたら――それは、まったく別の次元の話だ。


「支出は記録されている。仕入も納入も、確認できる。

 だけど、割り振られた予算以外の収入がない……」


 会計担当の男子が、蒼白になりながら呟いた。


「それって……もしかして……」


 その先を、ルーシーが引き取るように口を開いた。


「西棟では、生徒から代金を徴収している。けれど、それが帳簿に記録されていない」


 その言葉に、皆の視線がリオスへと集まった。


 彼はただ、まっすぐに帳簿を見つめていた。


「帳簿が間違っているわけじゃありません。でも……“足りてない”んです。

 大事なことが、ここに書かれてない。

 銀貨を払った人たちがいて、そのお金が、どこにいったのか……」


 淡々と語るその言葉に、室内の空気がじわじわと冷えていくようだった。


 会長が、もう一度ページを繰りながら、ぽつりと呟いた。


「帳簿上は、赤字ぎりぎり。……それなのに、実際には日々、かなりの金額が回収されていた、ということか」

「しかも、それが一切……帳簿に記録されていない」


 リオスは静かに言葉を繋げる。


「どこにいったのか、誰も知らないまま、です」


 静寂が落ちた記録室に、リュシアの指が帳簿をなぞる音だけが響いた。


「じゃあ、毎日数十人が銀貨1枚ずつ……なのに、その金額は帳簿に存在しないってことね」


 彼女の静かな声に、場が一瞬、凍りつく。


「……そ、それは……」


 会計担当の生徒が、しどろもどろになりながら、慌ててページをめくる。

 だが、どこを見返しても、支出と仕入れの記録しか載っていない。


 売上――つまり、生徒たちが支払った料金の記録は、どこにもなかった。


「その……そんな……いや、でも……」

「落ち着いて」


 会長が制止の声をかける。

 だが、彼女自身も、帳簿の束を握る手に力がこもっているのが見て取れた。


「その合計額は……?」


 問いかけに、リュシアは帳簿をめくる手を止め、筆記具を取った。


「この月の仕入れ内容と回数から食数を逆算すれば――平均して1日あたり……」


 すらすらと筆が走る。


「銀貨1枚を1食として単純計算すれば、――」


 リュシアが口にした金額は、決して誤差などでは片付けられない金額だった。


 ルーシーが、半眼で帳簿を見つめながら呟いた。


「これは……完全に、“誰かの懐”に入っているな」


 無造作に口にされたその指摘に、会計の生徒が肩を震わせる。


「ぼ、僕は……ただ、記録された通りに……!

 去年の担当から、帳簿はこうやって……!」


 会長が目を伏せる。ルーシーが続けて言葉を重ねた。


「それにしても――帳簿上は“赤字寸前”で、やりくりが厳しいとさえ見えるように調整されてる。

 けど、実際は収入があって、それが帳簿に載ってないってなると……」


「帳簿全体が、虚偽の記載になってしまいますわね」


 シエラが、冷静にそう断じた。


 誰も言葉を継げなかった。空気が硬くなる。紙のめくれる音すら重たく響く。


「これは……事件です」


 会長の低く厳しい声が、記録室の空気を引き締めた。


 リオスは、黙っていた手をそっと挙げた。


「……あの、この仕入れ価格も、ちょっと気になってたんです」


 会長が視線を向けると、リオスは帳簿の1ページを開いて指を添える。


「この野菜、記録されているのは、先ほども話題になった通り、“最高級等級”の価格です。

 王都でも、いちばん良い品の相場……たぶん、市場価格の3割増しくらい」


 商家の生徒も、その言に同調した。


「しかも、業者がずっと同じ。仕入先はずっと変わってないです。

 そして、帳簿には、発注者の名前もあります」


 リオスはそう言いながら、特定のページを示した。


 そこには、調理責任者の名が、仕入れのたびに残されていた。


「すべて、同じ名前。つまり、この調理責任者が、納入業者を選び、発注をしていた……帳簿上では、そうなっています」


 記録室の空気が、さらに一段冷える。


「つまり、帳簿の収入が消え、その上に高値での仕入れ。しかも固定取引……」


 リオスは静かに言った。


「これ、業者との癒着の可能性が高いと思います」


 短い沈黙。

 先ほどは流された疑惑だが、今度は誰も否定しなかった。


 会長は目を閉じて、静かに息をついた。


「……この件は、生徒会だけで処理できる範囲を超えています。上層部に正式な報告を入れます」


 会計担当の生徒が、今にも泣き出しそうな顔で首を振る。


「僕……ほんとうに、知らなかったんです……記録を、引き継いだだけで……」

「あなただけの責任ではありません。皆で承認したのですから。

 ですが、事実は事実として、上に報告する義務があります」


 会長の声は冷静だが、どこか痛みを含んでいた。


「学院側で、調査委員会を設置してもらうことになるでしょう。それで、この件は正式な扱いになります」


 誰も反論はなく、その場はお開きとなった。


 会議室をあとにする際、会長がふとリオスの背に目をやり、小さく呟いた。


「……あの子……侮れないわね」


 ◇


 会議を終えたあと、リュシアと共に控室へ戻ったリオスは、ぽつりと呟いた。


「お金って……こんなふうに、消えていくんだね」


 その横顔を、リュシアはじっと見つめる。そして、小さく微笑んだ。


「でも、それを止める方法もある。ちゃんと見る人がいれば、ね」


 そこへ、ルーシーが扉の陰からひょっこり顔を出す。


「ふふ。そういう目を持っておる者にこそ――この国を支える役目、任せてみたくなるのう」


 リオスが顔を上げると、ルーシーは片目をつむって、にやりと笑ってみせた。


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