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【なろう版】魔国の勇者  作者: マルコ
幼年学校1年 :新生活

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49/70

その想い、剣よりも真っ直ぐに

 静寂に包まれた寝室には、どこか甘い気配が残っていた。

 シエラの残り香か、それとも昨夜の余韻か。ほんのりと香るその空気は、温かく、柔らかかった。


 窓の外では夜の闇が次第に薄れ、朝の気配が静かに部屋へと忍び込んでくる。

 カーテンの隙間から差し込む淡い光が、室内をぼんやりと照らしていた。


 リオスは、そんな空気に包まれながら、ゆっくりと目を覚ました。

 胸元には、小さな頭のぬくもり。ぴたりと寄り添って眠るシエラの重みが、じんわりと伝わってくる。


 彼女の髪――夜空を思わせる銀紫の柔らかな髪が、朝露のように頬へと触れ、さらりと肌をくすぐった。

 その横顔は穏やかで、まるで昨日の涙も恥じらいも、すべて夢だったかのように静かだった。


 昨夜のことを思い出すと、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。

 肌に触れた柔らかさも、潤んだ瞳に滲んだ涙も、そしてあの無垢な笑顔も――

 すべてが、深く焼きついて離れなかった。


 そっと指先で、彼女の頬にかかる髪を払った。


 その気配に反応するように、シエラがわずかに眉をひそめ、まどろみの中で瞼を持ち上げる。

 長い睫毛が震え、やがて紫水晶のような瞳が、リオスを見上げた。


「……おはようございます、リオス様」


 その声は、まだ眠気を引きずったままの柔らかさで、昨夜の甘やかな気配をそのまま引きずっているかのようだった。

 どこかぼんやりとした表情で、シエラはリオスの胸元に顔を擦り寄せ、再び目を伏せる。


「おはよう、シエラ」


 リオスが囁くと、シエラは恥ずかしげに頬を染め、胸元に顔をうずめた。

 肩まで覆うシーツが、ゆっくりとわずかに揺れる。


「……今朝は、少しだけ……恥ずかしいですね」


 湯気のような囁き。

 その吐息が、リオスの肌にふわりと触れ、彼の鼓動をやさしくかき乱していく。


 シーツの下、ふたりの体は昨夜と同じように寄り添ったまま――

 素肌が触れ合う心地よさが、静かな余韻となって残っていた。


 けれど不思議と、気まずさや照れ臭さはなかった。

 むしろ、確かにそこにある温もりが、かつてないほど自然に、心の奥へと染み渡っていた。


 そのとき――扉の向こうから、控えめなノック音が響いた。

 静けさに包まれていた寝室に、かすかに現実の気配が差し込む。


 トントン、と二度。

 その穏やかなリズムは、決して急かすものではない。けれど、ふたりの微睡みにそっと区切りをつけるには、十分だった。


 シエラの体がぴくりと反応し、リオスの胸元でわずかに身じろぎする。


「……フィノアか、リリュアでしょうか」


「うん……もう起きてるって、伝えていいかな?」


「……はい。でも――もう少しだけ、このままで……」


 恥じらうような小さな声とともに、シエラはリオスにそっと身を寄せた。

 その言葉に、リオスは無言でうなずき、彼女の背中に腕をまわして優しく抱き寄せる。


 ふたりだけの静かな時間。

 シーツのぬくもりの中で、またひとときの沈黙が訪れる。


 ……しかし、再びノックが響いた。今度は先ほどより、わずかに強く。


 リオスは小さく息をつき、シエラの髪をそっと撫でてから、柔らかく声を発した。


「入っていいよ」


 カチャリ、と扉が静かに開く。


 姿を現したのは、いつもの従者たち――

 フィノアと、リリュアだった。


 フィノアは、優しく気遣うような笑みを浮かべながら、そっと頭を下げる。

 一方のリリュアは、従者らしい冷静さを崩さず、一定の距離を保って控えていた。


 フィノアが昨夜、気を利かせて部屋を訪れなかったこと。

 リリュアが、本来は主であるシエラの部屋へ赴くべきところを、わざわざこの寝室を訪れたこと――

 そのすべてが、ふたりの従者が“察している”ことを、何よりも物語っていた。


 ベッドの上では、シエラがまだシーツを胸元まできゅっと引き寄せていた。

 リオスの隣に寄り添ったまま、頬を朱に染め、恥ずかしげに視線を伏せている。

 リリュアと目を合わせることはできず、細い指先が布をぎゅっと握り締めていた。


 その様子をちらりと見たリオスは、微笑を浮かべながら、努めて自然な声で口を開いた。


「おはよう、フィノア。リリュアも……朝早くから、ありがとう」


「お目覚めのようで、何よりです」


 フィノアは、まるで何事もなかったかのように、いつも通りの穏やかな口調で応じる。

 その笑みには、深く静かな理解と、気遣いの温かさがにじんでいた。


 ベッド脇に歩み寄ったフィノアが、一歩踏み出して、おだやかに問いかける。


「本日は……いつものように朝の鍛錬をなさいますか?

 それとも、少しゆっくりとお過ごしになりますか?」


 その問いは、詮索ではなかった。

 ただ、昨夜の出来事を踏まえたうえでの、心からの配慮――

 気遣いと信頼のこもった、従者としての提案だった。


 リオスとシエラは、思わず顔を見合わせる。

 目が合った瞬間――ふたりの間に、言葉はいらなかった。


 シエラは、小さく頷いた。

 その頬にはまだ熱が残っていたが、その瞳には、はっきりとした意志が宿っている。


 リオスもまた、確かな微笑みを浮かべてから、フィノアへと向き直った。


「……いつも通りでお願い」


 その一言には、揺るぎない決意と、少しだけ背伸びした気概がこもっていた。


「承知しました」


 フィノアは深く頷き、振り返ってリリュアに視線を送る。

 すると、無言のまま、リリュアが訓練着を手に近づいてきた。


 訓練着がベッド脇に置かれると、リオスとシエラは、自然と背を向け合った。

 シーツの中で動く気配。わずかな気恥ずかしさと、でもそれ以上に――相手を気遣う静かな思いやりが、その沈黙の中に満ちていた。


 それは、昨夜までとは違う距離感。

 遠慮ではなく、尊重。緊張ではなく、信頼。

 一夜をともにしたからこそ生まれた、柔らかな変化だった。


 シエラの背後に控えたリリュアは、無言のまま、洗練された手つきで寝間着の紐を解いていく。

 気配だけで動くその所作は、完璧な従者の仕事だった。

 シエラは一瞬だけ肩をすくめたが、すぐに落ち着きを取り戻し、静かに訓練着へと腕を通す。


 一方、リオスの背後では、フィノアが慣れた手つきで髪を整え、肩布を掛け、帯を結ぶ。

 その仕草には、ただの従者ではない親密さがあった。

 母のようでもあり、姉のようでもあり――けれど、何より「リオスの信頼する者」としての立ち居振る舞いだった。


 やがて、ふたりが着替えを終えて振り返る。


 目が合い――そして、自然と微笑がこぼれた。

 言葉はない。ただ、今の空気を壊したくないという思いが、互いの表情に込められていた。


 そして、ごく自然に、シエラがリオスの隣に並び立つ。

 リオスも、何の躊躇いもなく、そっと腕を差し出した。


 シエラの小さな手が、その腕に絡みつく。

 その動作に、もう戸惑いはなかった。

 恥じらいはあっても、拒む気配はなく――ごく自然な絆として、そこにあった。


 従者たちは深く一礼し、部屋の扉を静かに開ける。


 その先に広がるのは、まだ朝靄の残る、訓練場への道だった――。


 

 訓練場へと続く通路を抜けると、朝の光が濃くなり始めていた。

 湿った土の匂い、風に揺れる草のざわめき。

 そんな中、すでにその場に立っていたのは――リュシアだった。


 朝陽に銀髪を揺らしながら、漆黒の肌に濃紺の訓練着をまとい、仁王立ちするその姿は、まさに威風堂々。

 その背筋は一直線に伸び、目を細めてこちらを見据えるその表情には、どこか姉らしい温もりが宿っていた。


 腕を組み、ふっと笑みを浮かべる。

 リオスとシエラが連れ立って歩いてくる姿を見て、肩を軽くすくめた。


「……ふふ。やっと、それらしくなってきたわね」


 冗談めかした調子。それでいて、確かな満足がにじんでいる。


 その言葉を受けて、リオスは一歩前に出た。

 三人の顔を順に見つめ、言葉を選ぶように口を開く。


「――僕は、姉上も、シエラも、フィノア……好きだ。

 一人一人が、大切で、かけがえのない存在なんだ。

 これから先、どんな困難があっても……絶対に守るって、誓うよ」


 その真っ直ぐな想いに、シエラの頬がふっと染まる。

 小さくうつむき、袖を握る手がそっと震えた。


「……っ、リオス様……」


 フィノアは目を丸くして、それから照れたように微笑んだ。


「……もったいないお言葉です、リオス様。

 わたくしには、贅沢すぎるくらいで……」


 そして、リュシア。


 彼女は腕を組んだままリオスをじっと見つめ、くすりと唇をゆるめる。


「ふふん。やっと、ちゃんと言葉にしたわね」


 そして――小さく、いたずらっぽく首をかしげる。


「でもね。オーガの女は、自分より弱い男なんて……眼中にないのよ?

 知ってるでしょ?」


 冗談めいた言葉。けれど、その瞳の奥には冗談だけではない本気の光が宿っていた。


 それは――ただの皮肉でも、気まぐれな意地悪でもない。

 彼女なりの、真剣な“激励”だった。


 本来、オーガの女は“強き者を伴侶に選ぶ”という古い慣習があった。

 けれど今は、そこまで厳格な者は少ない。

 リオスもまた、それはもう“形式”に過ぎないと、理解していた。


 だからこそ、リュシアがあえてそれを言った意味――

 その裏に込めた想いを、リオスは言葉にはせず、ただ真っ直ぐに見返す。


 そして、静かに頷いた。


 それを見て、リュシアは――


 ふっと、唇の端を綻ばせた。


 まるで、「言葉なんて、いらないわ」とでも言うように。


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