決闘
簡易手続きは粛々と進み、ルーシーがその場で仮申請を受理したことで、決闘は正式に決定した。
対戦相手であるカエリウスは、少し離れた日陰でそわそわと落ち着かず、腕を組んだり解いたり繰り返していた。
ときおり周囲の視線を気にするように目をきょろきょろと動かしながら、無理に目を閉じていた。
だがその額には、じっとりと汗が滲んでいた。
(……見てろよ。すぐに終わらせてやる)
そんな独り言めいたつぶやきが、かすかに唇からこぼれた。
まるで自分に言い聞かせるように。
一方、リオスの周囲では――動揺が広がっていた。
「……あの、本当に、やるの?」
おずおずと声をかけてきたのは、リコリスだった。
その小さな肩は不安げにすぼまり、完全に怯えきっていた。
「その、デーモン族って……魔王様と同じ種族だよ? 僕たちなんかが、勝てるわけないよ……」
その声に、他のクラスメイトたちも次第に近づいてきた。
誰もが言葉を選びながらも、目にははっきりと「止めてほしい」という思いが滲んでいた。
「怪我とかじゃ済まないかもしれないし……やっぱり、平伏して謝った方が……」
「そうだよ。誰も笑ったりしないし……逃げることだって、恥じゃないって」
説得の言葉は、次第に懇願に近い響きを帯びていった。
――けれど。
リオスは、そんな声の渦の中で、ただ静かに彼らを見つめていた。
泣きそうな目、唇を噛みしめる少女、肩を震わせる少年。
(……怖いんだな)
その感情は理解できた。
彼らは「劣等種」と呼ばれ、それを受け入れざるをえない状況で生きてきた。
だからこそ、正面から挑むことを「無謀」としか受け取れない。
だが――
「ありがとう。でも……僕は、やるよ」
リオスはやわらかく微笑んだ。
「戦ってみなきゃ、分からないこともあるし」
その言葉に、誰も反論はできなかった。
ただ、沈黙の中に、わずかな希望と不安が混じり合っていった――
◇
武器棚には、さまざまな形状の剣や杖が並んでいたが、どれもこれも素材は――木。
(……全部、木製?)
リオスは手に取った一本の模擬剣を軽く振ってみる。
重さはそこそこだが、材質のせいか、威圧感はない。
気になって、近くで様子を見守っていたリュシアとルーシーに小声で尋ねた。
「ねえ、この学校って……武器、全部木製なの?」
「うむ、そうじゃ。授業でも決闘でも、基本は木製武器。安全のためにな」
ルーシーが当然のように答えると、すぐさま別の声が割って入った。
「……へえ? 布製じゃないってだけでビビってんのかよ、劣等種」
カエリウスがニヤニヤとした顔で冷やかしてきた。
大剣を担ぎ上げながら、言葉を重ねる。
「ま、人間なんかがまともに武器を持つ機会なんてないもんな。剣の握り方すら怪しいんじゃないの?」
リオスは特に反応もせず、棚の中から木剣を手に取り、手首を軽く回して重さを確かめていた。
柄の感触を確かめ、全体のバランスを測るように動かす。
そこへルーシーが、注意の声をあげる。
「木製ゆえにな、力加減を誤れば、すぐに折れるぞ? 誰かさんみたいに、何本もへし折ってはならぬ。――のう?」
その言葉に、リュシアがバツの悪そうに視線を逸らす。
「……覚えてないわよ、そんなこと」
小さくぼやきながら、明らかにバツの悪そうに視線を泳がせる。
リオスは思わず笑いそうになったが、そこはぐっと堪えて、改めて手にした木剣の柄を握り直した。
◇
準備時間の終了を告げる鐘の音が、訓練場に柔らかく響いた。
周囲を囲む生徒たちが自然と距離を取り、中央に空間ができる。
リオスとカエリウスは、互いに一礼を交わすでもなく、ただ静かに歩を進め――闘円の中心に、並び立った。
リオスの手には、片手剣。木製ながら、重心の取り方は本物に近い。
対するカエリウスが肩に担いでいたのは、身の丈ほどもある大剣。
こちらも木製ではあるが、その異様なまでの存在感は、見る者に力を誇示するには十分だった。
リュシアが一歩、二人の間に進み出る。
「決闘開始にあたり、ルールを確認するわ」
その声に、訓練場の空気がぴりりと引き締まる。
「勝敗は、戦闘不能、戦意喪失、もしくは立会人による裁定によって決定されます。
使用できるのは模擬武器と体術のみ。魔術も認められていますが、精神への直接的な支配は禁止。違反すれば即失格です」
リュシアの言葉がひと区切りついたところで、隣にいたルーシーが手をひらりと振りながら口を挟んだ。
「それとな、誰かさんみたいに、治療師を泣かせるような真似はせぬことじゃ。のう?」
場に、くすりとも笑えないざわめきが走る。
リュシアはぴくりと眉を動かし、ルーシーにちらりと目をやった。
ルーシーはにこにこと無邪気な笑みを浮かべながら、まるで他人事のように続ける。
「模擬戦とはいえ、訓練場が血の海になったら本末転倒じゃからな?
……なに、わらわが言っておるのは、もちろん例外中の例外の話じゃが」
視線をそらしつつ、リュシアは苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
そして、すっと表情を引き締めると、リオスへ、次いでカエリウスへと視線を送り――最後に、右手を高く掲げた。
「それでは――」
風が吹き抜ける。
「両者、構えっ!」
リオスが木剣を構え、カエリウスの口元がニヤリと歪む。
「――決闘、始めっ!」
リュシアの号令と同時に、空気がぴたりと張り詰める。その一瞬後――
「おらぁっ!!」
咆哮のような声とともに、カエリウスが大地を蹴った。
大剣を片手で振りかぶり、まっすぐリオスに向かって突進する。
その動きは――雑だった。
踏み込みこそ勢いがあったが、体重の乗せ方も構えも甘い。
振りかぶった木製の大剣は、空を裂くような音を立ててはいたが、ただそれだけ。
見た目の派手さに反して、軌道は単調で、力任せに叩きつけようとしているにすぎなかった。
(……ただの大振りだ。重さに振り回されている)
リオスは内心で肩をすくめる。
タイミングも読みやすく、狙いも雑。動きを見切るのに、さほど時間はかからなかった。
リオスは、横に跳ねるようにして回避――しながら、木剣の側面で軌道を軽くそらした。
打ち合えば破損しかねない。自分の剣も、相手の剣もだ。
(壊したら……後で面倒だ)
リオスは、相手の攻撃を正面から受け止めることなく、ぎりぎりの位置で受け流すか、最小限の力で受け止めるように動く。
だが、それは傍目には――
「ククッ……おいおい、それが全部かよ、劣等種っ!」
カエリウスが、あからさまに軽蔑と侮蔑の笑みを浮かべた。
攻撃のたびに振り回す大剣の風圧で、砂埃が舞い上がる。
「逃げ回るだけか!? 防戦ばっかで、情けないな!」
リオスは黙ったまま、カエリウスの勢い任せの剣をいなし続けていた。
真正面から受ければ、木剣といえど折れる。
壊さず、かわしすぎず――絶妙な力加減で、振るい、受け、受け流す。
(……なんだろう。力はあるけど……鍛えた感じがしない)
カエリウスの攻撃は、どこかぎこちなかった。
踏み込みも、剣の振りも、妙に大振りで力任せ。
そのうえ、手首や肩にかかる重みには、明らかに慣れていない。
(もしかして……木剣、持つの、初めてか?)
そんな馬鹿な、と一瞬思いながらも、リオスはさらに注意深く見極める。
重心がぶれるたびに、足元の砂が流れる。
剣の軌道も、当たれば痛そうなだけで、的確さにはほど遠い。
(布製の訓練具でしかやったことないんだ……それで、この大剣?)
リオスの脳裏に、カエリウスが自信満々に木製の大剣を選んだ姿がよぎる。
威圧感重視。見た目重視。扱えるかどうかは、二の次。
そのすべてが、リオスには滑稽にすら見えた。
だからこそ――
冷静に、淡々と、ただ動きの無駄を潰して、あしらう。
まるで、荒ぶる風を受け流す柳の枝のように。
カエリウスの剣が、またも大振りで振り下ろされる。
リオスは、わずかに身を引きつつ、木剣の腹でその刃を押し流した。
そのまま――反撃。
リオスの木剣が、迷いなくカエリウスの懐に滑り込む。
本来であれば、一度防御され、そのまま次の追撃に移るはずだった。
だが――
(……遅い)
カエリウスの大剣が、ぎこちなく持ち上がる。
構えが間に合っていない。防御の意識はあるのに、動作が追いつかない。
このまま叩き込めば、確実に当たる。
その衝撃に、ただでは済まないだろう。
だから――
リオスは手首をひねり、攻撃の軌道を変えた。
がつん、と乾いた木の音が響く。
木剣の刃が、ぎりぎり間に合った大剣の側面にぶつかる。
本来の狙いよりも甘く、わざと当てて止めた一撃。
カエリウスは思わず一歩退き、体勢を崩しかける。
だがリオスは、追撃には移らなかった。
(……やっぱり、危ないな)
リオスは距離を取りながら、一歩下がる。
目の前の敵は、たしかにデーモン族。
身体能力は高いし、力もある。だが――
(この練度じゃ、木剣でまともに打ち込めば、骨くらい平気で折れる)
――リュシアが、その視線でこちらを見ている。
(陛下はともかく……姉上は“どこまで加減できるか”を見に来ているんだろうな)
リオスは、剣を構え直す。
暴れる相手を、傷つけずに制する。
それが、いま求められているものだ。
リオスは、一度深く息を吸い――そして、踏み込んだ。
狙うは、大剣そのもの。
相手の力が空回りする瞬間を見極め、リオスは木剣の刃を滑らせるように打ち込んだ。
手元を狙えば怪我をさせる。真正面から叩けば、木剣も大剣も壊れかねない。
(……滑らせて、はじく)
刹那、リオスの剣筋が、大剣の側面をなぞるように走る。
流れるような軌道と角度の調整。
絶妙な力加減が、大剣の重みを逆に利用し、重心を狂わせた。
「っ……!」
ぐらりと揺らぐカエリウスの手元。
ゴン、と鈍い音が響き、大剣が宙を舞った。
砂の上に、突き刺さるように落ちたその武器を見下ろしながら、リオスは地を蹴り、すでに眼前へ。
構えた木剣の切っ先が、すっとカエリウスの首筋へと伸びる。
止まった。
触れる寸前。紙一重の間合い。
その一撃が本気であれば、のど元を貫いていたであろう絶妙な寸止め。
その場が静まり返る。
「――終了」
リュシアの凜とした声が響く。
だが――
「は、はあッ!? ふざけんなっ!!」
カエリウスが叫んだ。
首筋に剣を突きつけられたまま、それでも納得がいかないと顔をしかめ、肩を震わせる。
「今のは手が滑っただけだっ! まだ勝負は……!」
顔を真っ赤にして叫ぶカエリウス。
しかし、その首筋には、いまだリオスの木剣が寸分の狂いもなく据えられていた。
その場に、冷ややかな空気が流れる。
そして――
「……デーモン族は、首が落ちた後でも戦えるのか?」
リオスの声は、静かだった。大声でも怒気でもない、ただ端的な疑問を述べただけの口調。
だが、その一言は、誰よりも重く響いた。
カエリウスの言葉が詰まる。目だけを動かして、首筋の木剣をちらりと見る。
乾いた唾を飲み込む音が、やけに大きく感じられた。
動けない。否、動けば終わる。全身がその事実を悟っていた。




