41:上の意図、下の覚悟
「……さて。それじゃ、今から配る書類、ちゃんと目ぇ通せよ」
そう言って、エルネストが教卓の横に積まれていた封筒を気だるげに取り出し、前列の生徒に手渡す。
「後ろに回してけ。中身は学校生活に関わる必要書類と、校内地図だ」
ざわり、と封筒の中身を確認する生徒たち。
エルネストは教卓に体を預けるようにして話し続ける。
「書類はあとで提出するやつもある。説明は逐次行うが、まずは校内地図について」
全員の視線が、手元の紙へと向かう。
そこには、広大な敷地を持つ幼年学校の構造が細かく記されていた。
「今いるのが西棟だ。お前ら8組の教室は、その1階の一番隅。まあ、予想通りって顔してるやつもいるな」
皮肉げな笑みを浮かべながら、エルネストが指で地図を示す。
「で、食堂だが、ふたつある。西棟にあるのが、お前ら向けの食堂。質はまぁ……値段相応だ」
どこか遠い目をしながら続ける教師に、生徒たちは苦笑を浮かべる。
「東棟にももうひとつあるが……あっちは“上位クラス専用”といった扱いだな。特に貴族クラスが常用してる」
その言葉に、ぴょこんと手を挙げたのは、インプのピコだった。
「ねえ先生! そのお貴族さまの食堂、見に行っちゃダメなの?」
無邪気な瞳に、教室の空気が少し和らぐ。
エルネストは鼻を鳴らして答えた。
「禁止はされてない。ただし――行けば面倒なことになるぞ」
「面倒?」
「見下されるだけならマシなほうだな。つまみ出されたり、衛兵に通報された例もある。自己責任でどうぞってやつだ」
その静かな一言に、教室の空気が再び引き締まる。
それでもピコは、「へー……」と興味深げに頷いていた。
配布物の説明が一通り終わると、エルネストは椅子に浅く腰をかけたまま、再び口を開いた。
「さて。あとは、年間行事の話だ」
生徒たちが顔を上げる。
次に何が来るのかと期待している者もいれば、早く終わらないかといった表情の者もいる。
「お前らも、いずれは何かしらの役目に就く身だ。――その準備ってわけでもねえが、毎年この時期から始まる“クラス対抗戦”ってのがある」
数名の生徒が、すでに知っていたのか小さく頷いた。
リオスもその言葉に、今朝の風呂場でのやりとりを思い出す。
「説明しとくと、1学年1組から8組まで、総当たりで模擬戦を行う行事だ。ルールは、一般的な新兵訓練と同じだ。詳しくは、後日説明する」
ざわ、と軽く空気が動いた。
「で、まぁ例年の話だが――優勝するのはだいたい1組か2組だ。ここ5年はどの学年も、その2つのどちらかが勝ってる」
「えー……」
後列からピコのぼやきが聞こえる。だがエルネストは苦笑すらせずに淡々と続けた。
「8組は、1勝できりゃ上出来ってとこだな」
その瞬間、銀髪の少年――ウィーゼルが手を上げた。
「先生、なんで毎年1組か2組なんでっか? そないに強いん?」
「ああ、強いとも。理由は単純。1組と2組は“優良種・貴族クラス”だからだ」
生徒たちの反応が割れた。納得したように頷く者もいれば、むっとした顔をする者もいた。
「2組には、少数だが平民も混ざってる。とはいえ、それでも能力面じゃ優れてる子が多いんだとさ」
その説明を聞いたリオスが、静かに疑問を口にした。
「なぜ……そんなに偏った編成を?」
その問いに、エルネストはわずかに眉を動かし、一瞬、鋭い視線をリオスに向けた。
だが次の瞬間には肩をすくめ、皮肉げな笑みを浮かべて言う。
「――さあな。上の連中が“軍事偏重主義”の派閥でね。そういう教育方針なんだとさ。
お前らみたいな劣等種や平民は……まぁ、踏み台にはうってつけってわけだ」
さらりと投げられたその言葉に、教室の空気がわずかに沈む。
リオスはその一言を聞き、内心で状況を理解していた。
(……ああ。父上や母上がたまに言っていた、「突っ込めばいいと思ってる輩」ってやつか)
学園の上層部がその派閥で占められているのなら、自分が「人間だから」という理由で8組に編成されたのも納得がいく。
グリムボーン家とは別の派閥――つまり政敵。ならば、貶められても不思議はない。
(せこい手だけど……繰り返せば、それなりの効果はある)
「戦場こそ全て」と言いながら、水面下では手を回している。
つまり、そういった戦略の重要性は十分に理解しているということだ。
(……そう考えると、学校上層部も侮れないな)
ざわめきが落ち着いたのを見計らって、エルネストは教壇の端に寄りかかるように立ち、欠伸まじりに次の話題を告げた。
「――さて、ついでに決めとくぞ。クラス代表だ」
一瞬、教室の空気がぴんと張った。
「“代表”って響きに釣られて、ホイホイ手ぇ挙げる奴もいるが、実態はただの雑用係だ。
行事の準備だの、教員からの連絡伝達だの、面倒ごとはだいたい押しつけられる」
早くも生徒たちの目が伏せられ、気配が引いていく。
「しかも、貴族クラス――1組や2組の代表とも顔を合わせるし、上級生の役員とも話を通さなきゃならねえ。わりと気苦労が多い役回りだ」
ため息まじりの口調。やりたがる者を削ぎ落とすような“逆勧誘”だった。
「……ま、いなけりゃ俺が指名するだけだ。やりたい奴、いるか?」
静寂が落ちる。
誰も動かない。椅子の軋む音すら聞こえないほど、しんとした空気が流れる中で――エルネストの視線が、明らかにリオスの方へ向いた。
(……指されたな)
心中でそう呟いて、リオスはひとつ息を吐く。
雑用と聞けば面倒だが、代表という肩書には、それなりの意味もある。
姉のリュシアは確か代表をしていたはずだし、おそらくシエラもそうなる。
ならば、自分がそれを避ける理由もない。
「……僕がやります」
静かに、だがはっきりと声を上げた。
エルネストはわずかに片眉を上げると、肩をすくめるように言った。
「――決まりだな。他に立候補は……いねえな。よし、代表はリオスだ。よろしく頼むぞ、雑用係」
皮肉とも冗談ともつかない口調に、いくつかの小さな笑いが漏れる。
リオスのすぐ近くで、ネリアがちらりと彼を見た。
その視線には、呆れと尊敬の入り混じった、複雑な感情が滲んでいた。
そんな周囲の反応を背に受けながらも、リオスは真っ直ぐに前を向いたまま、軽く顎を引いた。
(……どうせ、このクラスにいるなら、見える景色は広い方がいい)
リオスの代表就任が決まると、エルネストは教壇からついでといった表情で声をかけた。
「……じゃあ、その隣の3人。ネリア、リコリス、ウィーゼル。お前ら、代表の補佐しとけ。なんやかんや手間もあるだろうしな」
突然の指名に、ネリアが小さく目を見開いた。リコリスは軽く瞬きをし、ウィーゼルだけは愉快そうに肩をすくめて応じた。
「ほな、しゃあないっすなぁ。わいら三羽烏、仲ようやらせてもらいますわ」
「誰が三羽烏よ……」と、ネリアが小さく呟いたのを誰かが聞き取ったかは分からない。
教室に再び静寂が戻ったところで、エルネストは腰に手をあて、面倒そうに口を開いた。
「――他になにか、質問あるか?」
何人かの生徒が手を挙げ、軽い質問が交わされた。
たとえば――
「寝坊したらどうなるんですか?」
「走れ。あとで怒られるのは自分だ」
「先生、今日って昼ごはん出るんですか?」
「出ない。帰って食え。食堂は明日からだ」
やや適当な答えに笑いが起こる中で――ひときわ静かな声が、手とともに上がった。
「先生」
リオスだった。
その真剣な面持ちに、エルネストが片眉を上げる。
「さっき“喧嘩はするな”と仰っていましたが……決闘は、喧嘩に含まれますか?」
一瞬、教室の空気が止まった。
「決闘……だと?」
エルネストは肩をひとつ揺らし、疲れたように頭をかく。
その仕草は、まるで「お前もか」と言いたげだったが、口には出さなかった。
しばし無言で教室を見渡すように視線を巡らせ――
やがて、その表情が静かに引き締まる。
その目の色が変わったのを、リオスは見逃さなかった。
次の瞬間、落ち着いた調子の声が教室に響いた。
「いいか。正式な届け出を出して、学校側が許可した所定の場所で行うなら――決闘は認められてる。
ただし、ルールや形式は細かい。きちんと手順を踏め。でないと、ただの喧嘩扱いだ」
リオスは静かに頷いた。
「わかりました。ありがとうございます」
「あと、さっきも言ったが――怪我させんな。
数年前、治療師を魔力切れまで追い込んだ奴がいてな。それ以来、その辺はうるさくなってる」
その言葉に、何人かは「さすがに盛りすぎでは」といった表情を浮かべたが、リオスは苦笑を浮かべるしかなかった。
「……さて、今日の予定はこれで終わりだ。
校舎内を見て回ってもいいし、そのまま帰っても構わん。明日から本格的に始まるからな。各自、準備しておけ」
そう言い残し、エルネストは片手をひらひらと振りながら、教室を後にする。
その背中を、生徒たちはしばし無言で見送っていた。




