初登校、初誤解、初囲まれ
朝の陽射しが、ゆるやかに街並みに差し込み始める頃――。王都西区の学府街、その一角に広がる広大な練兵院区画に、幼年学校の正門が姿を現す。
石造りの重厚な門の前に並ぶのは、3人の貴族子弟。
先頭に立つのは、艶やかな銀髪を背に流すリュシア。
艶やかな漆黒の肌に、額から覗く小さな双角。
その姿には、学年随一と称される風格と貫禄があった。
制服の上着は規定どおりながら、スカートはあえて丈を短く調整し、動きやすさを優先。
軍装風のミドルブーツを合わせ、凛然たる戦乙女のような佇まいだ。
その後ろを歩くのは、リュシアの弟――リオス。
制服の着こなしは端正で、ボタンひとつ緩めぬほど整っている。
ボトムスは黒のスラックス。
深く腰穿きにして裾をピタリと締め、端正な黒革の短靴と合わせていた。
年齢に比して引き締まった体躯と、落ち着いた佇まい。制服姿がよく映えている。
そして、リオスの隣には、シエラが並ぶ。
肩までの淡紫の髪を揺らし、青白い肌に白基調の制服を纏うその姿は、まさに令嬢といった気品を纏っている。
比佐飾りに彩られた胸元のリボンが、彼女の学年を示す紅を添え、黒のニーソックスと細身の革靴が、細い足を一層引き立てていた。
3人の後ろには、それぞれの侍従たちが控える。
リュシア付きの従者・アンナは、赤毛を揺らすボブカットの人間の少女。
白いエプロンドレスに身を包み、きびきびと歩調を合わせていた。
一方、リオスのフィノアと、シエラのリリュアは、緊張の面持ちで、校門前にたどり着く。
「ここから先は、私たち従者は同行できません」
アンナが静かに口を開く。
「控え棟で待機しますので、必要な際は――」
その言葉を受け、リオスは自らの右手に嵌められた黒銀の指輪を見つめた。
【呼鈴石】――主と従者をつなぐ、簡易魔道具。
これに魔力を流せば、受信側の【受信符】が反応し、従者に位置情報が伝わる。
「迷ったら、遠慮なく呼んでくださいませ。範囲は学校内に限られますが、すぐに駆けつけますから」
ふたりの従者も、少し緊張を滲ませながらも頷いた。
そんな中、アンナが少し強い語気で言う。
「……特に、リュシア様。今年こそ、勝手にお帰りになったりなさいませんように」
リュシアの頬が、わずかにひきつった。
ちらりと視線を逸らしながら、ばつの悪そうに答える。
「……うん。わかった。できるだけ、がんばる」
「――できるだけ、では困るのですが」
アンナの声音は穏やかだったが、その眼差しは揺らがない。
リオスとシエラが、思わずくすりと笑う中、リュシアは肩をすくめて小さくため息をついた。
「はぁ……フィノアやリリュアは、物静かなのに、私の従者だけ、なんでこんなに口うるさいのかしら?」
「ご自分の胸にお聞きくださいませ」
そんなやり取りのなかにも、揺るぎない信頼がにじんでいた。
やがて3人は、それぞれの従者たちに軽く手を振り、ゆっくりと校門の内側へと歩を進めていった。
校門をくぐった先、石畳が敷き詰められた広い中庭を進むと、すぐに校舎の輪郭が見えてくる。
広大な練兵院区画の一角に設けられたこの幼年学校は、軍事教練と教養教育を両立する場として設計されており、外観は学舎というより砦に近い。
玄関前の広場には、すでに多くの生徒たちが集まっていた。
在校生らしき上級生たちは制服の裾を翻し、慣れた足取りで校舎内へと進んでいく一方で、新入生と思しき面々は、きょろきょろと辺りを見回しながら、戸惑いの色を隠せずにいた。
その中央には、ひときわ大柄な存在感を放つ教師――リザードマンの男性が立っていた。
分厚い鱗に覆われた腕を組み、低く響く声で告げる。
「新入生は、あちらの掲示板にてクラス割を確認せよ。確認が済んだ者から、各自教室へ向かえ」
その指先が示す先には、校舎脇に設けられた石柱の掲示板。そこに張り出された紙には、びっしりと名前が並んでいた。
リュシアは、その一言を聞いた時点で足を止める。
「私は、クラス変わってないから……ここでお別れね」
そう言って、軽く手を振ると、彼女はひとり掲示板を見ずに校舎内へと歩き出す。
残されたリオスとシエラは、掲示板の前に立ち、名前を探す。
「……あ、ありましたわ。わたくしは1組ですわ」
シエラの指が、一枚目の中央付近に触れる。
そこには「シエラ=ルキフェル」という記載と、その隣には小さく学生番号も記載されていた。
一方、自分の名前を探していたリオスは、少し離れた紙にようやく見つけた。
「……8組、か。でも……」
そこに記されていたのは、「リオス」という名のみ。家名は記載されておらず、隣に小さく学生番号が併記されているだけだった。
「どういうこと……?」
リオスは眉をひそめる。
間違いではないはずだ。番号も一致している。
けれど、明らかに、他の貴族子弟たちとは異なる扱いを受けているようだった。
シエラもそれに気づいたのか、声を潜めて呟く。
「……少々、不可解ですわね。でも、教室へ参りませんと。後ほど、詳しく伺いましょう」
頷き合ったふたりは、それぞれの教室へ向かって歩き出す。
分岐する廊下の角で、ふたりは再び顔を合わせ、軽く手を振った。
「では、また後ほどですわ、リオス様」
「うん、シエラも気をつけて」
そして、リオスはひとり、8組の教室がある西棟へと足を進めていく。
廊下の天井はやや低く、装飾も最小限。
ところどころ石壁の目地には修復の痕があり、床板もやや軋んでいた。
(……あまり手入れされてないな)
小さくため息を吐きながら、リオスは教室の扉の前に立った。
木製の扉はやや古びており、手をかけると、かすかに軋む音を立てて開いていく――。
扉を押し開けると、ふわりと空気が動いた。
まだ始業には少し早い時間だというのに、教室にはすでに十数名の生徒たちが揃っていた。
リオスが一歩踏み入れると、室内の視線がいっせいにこちらへと向けられる。
高い天井と古びた木材の香りが混ざる空間。
机と椅子が整然と並ぶその教室――その席の多くは、すでに生徒たちに占められていた。
(……15人編成、かな?)
机の数からして、リオスはそう判断した。
当然ながら、全員着ているのは学校の制服。ただし、装いには細かな差がある。
装飾や合わせている靴の種類などが、出身や趣向の違いを物語っていた。
まず目を引いたのは、教室の入口のすぐそばに座っていた、煤けたようなピンク色の髪を垂らした少女だった。
制服は正規のものだが、着こなしにはほとんど無頓着。
肌はくすんだ乳白色で、周囲の華やかな生徒たちと比べて目立たない。
サキュバスと思しき特徴はあるものの、その妖艶さや存在感は、まるで意図的に封じられているかのようだった。
その奥には、ふたりの少女が並んで座っていた。
一人はふんわりとした紫のツインテールで、童顔ながら制服の胸元が少し窮屈そうに見える。
もう一人は、艶やかな黒髪をさらりと下ろし、年上のような落ち着いた視線をリオスに向けてきた。
(……3人ともサキュバスかな? 見た目の印象はずいぶん違うけど)
一列後ろ、窓側の陽光が差し込む席では、淡い桃色の羽毛を持つハーピーの少女が、机に頬杖をついて眠たげに揺れていた。
その隣には、濃い橙色の巻き髪がさらさらと揺れる少女。どことなく妖精のような雰囲気をまとっている。
(あれは、アルラウネ……?)
一方、教室後方の廊下側には、スカーフを頭に巻いた無口そうな少女が、黙然と座っていた。
鱗のような肌と金色の瞳が見え隠れしており、おそらくリザードマンの子だろう。
人間と比べると、性別の判別がやや難しい印象だった。
その前列、同じく廊下側には、人間の少女がふたり並んで座っていた。
一人は栗色のボブヘアに大きめの眼鏡をかけ、袖が手の甲まで伸びていて、制服が少し大きいのかもしれない。
もう一人は短めのポニーテールにそばかすがあり、快活そうな雰囲気で、隣の子に陽気に話しかけている。
男子と思しき姿も、ちらほらと見受けられた。
教室の奥、窓際には、小柄ながらも無骨な体格のゴブリンの少年。
緑色の肌と大きな牙、坊主頭が目を引く。
彼は腕を組み、何かを考えるように窓の外を見つめていた。
その隣には、銀灰色の毛並みに黒い猫耳を揺らす獣人の少年。
無言でリオスの方を一瞥し、すぐに視線をそらした。席の下からは、長い尻尾が垂れていた。
その前列の窓際には、細身で中性的な雰囲気をまとうアルラウネの子が座っていた。
ぼんやりと窓の方を見つめており、まるで日向ぼっこでもしているかのような佇まい。
滑らかに揺れる黄緑色の髪と、涼やかな光を宿した瞳。ひと目では性別の判別がつかない柔らかさがあった。
その隣では、小柄なインプの子が、机の下に何かを隠すような仕草をしていた。
赤茶色の髪と、帽子で隠された額から、角のような影がちらりと覗く。
そして――人間の少女ふたりの前の席。
椅子の背にもたれながら、肘をついていたのは、銀髪の少年だった。
肌はやや白く、糸のように細く閉じられた目は、笑っているのか睨んでいるのか判断がつかない。
唇には常に、どこか含みのある笑みが浮かんでいた。
制服の着こなしは乱れていない。
むしろ几帳面なほど整っているにもかかわらず、彼のまとう空気には、どこか落ち着かないものがあった。
(……なんか、あの子。どこかで……)
ふと、リオスの胸に、説明のつかない既視感がよぎった。
どこで会ったかは思い出せない。
だが、似た雰囲気を持つ誰かを知っているような、そんな妙な感覚――。
その少年は、リオスと目が合った――ように見えた。
けれど糸目はそのまま、変わらぬ薄笑いを浮かべながら、軽く顎を引いただけだった。
(……ただの気のせいかな?)
そう思いながらも、どこか目を離せない気配があった。
(……女子8、男子5。僕を入れて6……いや、あとひとり来ていないな)
リオスは、扉のすぐ横に残された空席へと腰を下ろした。
肩から提げていた通学鞄を机の横にひっかけ、動作は控えめながらも整っている。
背筋を伸ばし、隣に座るピンク髪のサキュバスの少女へと、軽く顔を向けた。
「おはよう。隣になったから、一応挨拶を」
そう言いながら、リオスは彼女の容姿を自然に観察する。
くすんだ乳白色の肌に、落ち着いた紫の瞳――その中には金の縁がわずかにきらめいている。
地味な雰囲気ながら、整った顔立ちと、制服越しにもわかる柔らかな曲線が印象的だった。
(サキュバスは、見られる方が嬉しい。って言ってたよね……)
「君、整ってるよね。顔も、体つきも」
声の調子はあくまで丁寧に。礼節を重んじる意思を込めていた。
しかし、少女の反応は予想とは違っていた。
「……いきなりナンパ?」
淡々とした声音に、わずかに眉をひそめた表情が添えられる。
リオスは慌てず、すぐに言葉を重ねる。
「いや、違う。以前、サキュバスの知り合いから、見られること自体が嬉しい、って聞いたことがあるから……。ただ、気に障ったなら、謝るよ」
その時だった。
「えぇっ、今の聞いた?」
「聞いたわよ。すっごくまっすぐで、逆に引くくらい」
陽気な声と、妙に色っぽい声が同時に降ってきた。
リオスが顔を上げると、すでに席のそばにはふたりのサキュバス少女が立っていた。
ひとりは、ふわふわのツインテールを揺らす童顔の少女。
制服の胸元がやや苦しげで、年齢のわりに目立つ膨らみが強調されている。
もうひとりは、黒髪ロングの少女。仕草にも色気が漂い、まるで舞台の女優のような存在感があった。
「その子、変わり者だから、あまり気にしないでね?」
「そうそう、黙ってればわりと可愛いんだけど、感性がちょっとねぇ?」
ふたりはピンク髪の少女の肩をポンポンと軽く叩きながら、まるで姉妹のように馴れ馴れしく接している。
そして――黒髪の少女が、目を細めてリオスを覗き込む。
「ねぇ、きみ。サキュバスの知り合いがいるって……まさか、もう娼館に通ってるの?」
ツインテールの少女も、にひひっと笑いながら頷く。
「年齢的に行っていいんだっけ~? さすが将来有望って感じ~?」
リオスは表情を崩さず、淡々と返した。
「通ってるわけじゃないよ。ただ、たまたま知り合っただけ」
その返しに、ふたりは一瞬だけぽかんとし――すぐにまた、楽しげな笑い声が弾けた。
「ふふっ、あたしはルゥナ。よろしくね~、人間くん」
ツインテールの少女が、いたずらっぽく指を振りながら微笑んだ。
「サララよ。よろしくお願いするわね」
黒髪の少女も、すらりと腰に手を当てて、色気をまとった微笑を浮かべる。
ふたりとも、自分たちの名をさらりと告げたあと、すぐに隣の少女を肘で小突いた。
「で、こっちがネリア」
「わりと無愛想だけど、悪い子じゃないのよ?」
促されるように、ピンク髪の少女――ネリアは小さくため息をついてから、ぼそりと口を開いた。
「……ネリア」
3人とも、家名は名乗らなかった。
リオスは、その反応にわずかな違和感を覚えつつ、すぐに合点がいった。
(なるほど……)
貴族や武官の家系であれば、たとえ略式でも家名を添えるのが常識。
逆に、名をのみ名乗る者は、たいてい平民。
このクラスは、平民が多いのだ。
だから、掲示板にもリオスの家名が書かれていなかったのだろう。
平民の生徒が委縮しないための配慮――
リオスは、そう解釈した。
「僕はリオス。よろしく」
あえて家名は名乗らなかった。
ルゥナが無邪気に「リオスくんか~」と繰り返しながら、隣のネリアに向かって肩をすくめた。
「よかったじゃん、ネリア。すぐに脱ぼっちよ?」
「……からかわないで」
ネリアは視線を逸らしたまま、ぽつりとそう返した。




