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【なろう版】魔国の勇者  作者: マルコ
幼年学校1年

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38:新たなる朝

 リュシアが幼年学校に入学して、2年が経つ。


 その間に、リオスも随分と背が伸びた。

 力もついた。言葉遣いも、少し大人びた。

 ――そして、今。彼自身が、その門をくぐる歳になったのだった。


 王都の別邸へ到着したのは、3日ほど前のこと。

 長旅の疲れを癒しつつ、制服や通学具の準備も済ませた。

 いよいよ本日、入学の日を迎えた。


 窓の外には、夜の帳がまだ降りている。

 けれど空の端には、うっすらと黎明の気配が滲んでいた。


 目覚めるたびに欠かさぬ祈りがある。

 魔神ヴァルゼルグには、誇りと魔の血の繁栄を願い、戦神デウスベリには、鍛錬の安全を請う。

 そして、慈悲の神フォールムには――

 自分の中に眠る”右手の聖痕”を通じて、対話のように語りかける習慣が根付いていた。


 祈りの声は、誰に届くでもない。

 けれど、その蓄積は着実に、彼を変えつつあった。


 ――右手に浮かぶ“聖痕”。

 以前は、生まれつきある奇妙な痣として、常に包帯で覆われていた。


 だが今、その手には何も巻かれていない。

 長い訓練の末――意識と魔力の流れを制御し、“聖痕”を視えぬよう隠す技を身につけたのだ。


 包帯は、もはや不要となった。

 それは、ひとつの節目でもあり、成長の証でもあった。


 父も母ふたりも――今回は領地に残っている。


(もしかしたら……)


 リオスは、布団の中で小さく息を吐いた。


(弟や妹が、増えるかもしれないな)


 そのとき。

 そっと、寝室の扉が開いた。


 ゆるやかな足音が近づき、ベッドの脇で止まる。

 香のような穏やかな匂い。気配を感じたリオスは、もう目を開いていた。


「……お目覚め、ですね」


 穏やかな声音。フィノアだった。


「……うん。もう、起きてるよ」


 毛布を押しのけて、リオスは身を起こす。

 まだ寝癖が残る前髪が、光を受けて揺らいだ。


 その姿を見たフィノアは、くすりと笑った。


「本当に、立派になりました。

 一人で起きられるようになって……

 あの、寝ぼけた顔で目をこすりながら“まだ眠い……”と呟くリオス様も、もう見納めでしょうか」

「……変な言い方、するなよ。

 寝坊したら、また頼むから」

「はい。喜んで、何度でも」


 冗談めかしたやり取りの中にも、温かな気配が流れていた。

 それは、幼い頃から共に過ごしてきた者同士にしか生まれないやり取りだった。


 ◇


 リオスが中庭の訓練場へ向かうと、すでに先客がいた。


 朝の光が差し込む石畳の上。


 ひとりは――リュシア。

 10歳の少女とは思えぬほどに、彼女の姿はすでに完成された武人のようだった。

 その身体つきには年齢相応のあどけなさも残るものの、しなやかで整った肢体が、動きの一つひとつに凛とした輪郭を与えている。

 漆黒の肌には朝日が艶やかに流れ、額に生えた小さな双角と、背まで伸びる銀髪のストレートが、気高さと威容を同時に漂わせていた。


 もうひとりは――シエラ。

 こちらも8歳の少女だが、その佇まいはまた別の意味で印象的だった。

 平均よりもやや小柄な体格ではあるが、細く引き締まった四肢は均整が取れており、見慣れた者ほどその美しさに気づく。

 肩にかかる艶やかな淡紫の髪が軽やかに揺れ、青白い肌の上で黒い訓練装束がぴたりと張り付くように映える。


 そこへ――リオスが姿を現す。


 同じく8歳ながら、すでに年齢の枠を超えつつある印象を漂わせていた。

 体格は平均的だが、芯から鍛えられた引き締まりがあり、無駄のない動きと姿勢には鍛錬の日々がにじんでいる。

 整ったショートカットの黒髪が朝日に淡く照らされ、その奥に宿る眼差しは、幼さを残しながらも鋭く冷静だった。


 ふたりがほぼ同時に。


 リュシアは余裕と挑発の入り混じった笑みを浮かべ、

 シエラは少し照れをにじませながら、いつもの穏やかな声で囁いた。


「おはよう、リオス」

「おはようございます、リオス様」


 軽い挨拶を交わすと、3人は自然と所定の位置に散った。


 訓練前の準備運動は、もはや形ばかりのものだった。

 各自が呼吸を整え、関節を鳴らし、足裏の感覚を確かめる。

 それだけで、互いの調子はわかる。


 そして――


「いきますわよ」


 シエラの穏やかな声が、開始の合図となった。


 次の瞬間、空気が弾けた。


 最初に動いたのはリュシアだった。

 踏み込み一閃、訓練剣が風を切り、真横からリオスへ打ちかかる。

 鋼製とは思えぬしなやかな剣筋。受け止めた刹那、重さが骨に響いた。


 リオスは後退しつつ、右腕を回すように弾き返す。

 受け流す軌道で間合いを広げようとするが、リュシアの追撃は一瞬の間も与えない。


 そこへ、第三の剣が滑り込む。

 シエラ。足音ひとつ立てず、流れるような軌道で横合いからリュシアを狙う。

 しなやかな足運びと無音の踏み込み――まるで影が忍び寄るかのような動きだった。


 リュシアが瞬時に回避して後退。

 その隙を突くように、リオスの剣がシエラの肩口へ迫った。


「――甘いですわ!」


 シエラは後方宙返りのように身を翻し、ギリギリで剣先を避ける。

 視線が交錯した。次の一撃が、互いの距離を一気に詰めた。


 乱戦の形は、目まぐるしく変わる。

 シエラは己の体格と敏捷性を活かし、両者の死角を狙うように動き続ける。

 攻撃のリズムをずらし、視線の外から切り込むことで、正面のリュシアにも、間合いを取るリオスにも、緊張を強いていた。


 リュシアの一撃をかわしたシエラが、低姿勢から鋭くリオスの膝を狙う。

 リオスは剣で下段を弾いたが、その反動でバランスが崩れた。

 すかさずシエラは2撃目を繰り出す。今度は側頭部への斬り上げ――


 しかし、リオスの反応はそれすら上回った。

 剣をひとひねりしてシエラの攻撃を軌道ごと外すと、そのまま肘で押し返すように距離をとる。

 打ち込みも回避も、紙一重の差。

 だが、その“紙一重”が明暗を分けるのが、この世界だ。


(流れを切られる……まずいですわ)


 シエラは三歩引いたが、そこへ――リュシアが突っ込んだ。

 姉弟の連携ではない。ただ、強者2人の間に挟まれるという圧力が、シエラに選択肢を与えなかった。


「――っ!」


 刹那、リオスの剣が目の前に現れる。

 視線を逸らせば、リュシアが迫る。

 選択を迫られたシエラは、あえてリオスの剣を受け止めにかかった。


 ガン、と音が鳴る。

 だが、重さに耐え切れず、剣ごと弾かれた。

 片膝をつく。追撃はない。


 リオスが、穏やかに言った。


「……動ける?」

「……ふふ。残念ですが、ここまでのようですわ」


 剣を下ろしたシエラは、額に汗を浮かべながらも、気高い微笑を浮かべていた。


「……応援はしませんけれど、せめて見届けて差し上げますわ」


 そう言って、彼女はそっと戦場の外へと下がる。

 その瞬間、訓練場の空気が変わった。


 残されたふたり――リオスとリュシア。


 視線が交錯した。

 互いに一歩も引かない。剣を構え、呼吸を揃え、

 踏み出す足音とともに――刃が、火花を散らした。


 リュシアの剣は、重く鋭く、まるで一撃で斬り伏せんとする王者の剣。

 リオスはそれを受け流し、弾き、逆に攻撃へ転じる。

 体格差、それに筋力と技術、経験値。全てにおいてリュシアが上だ。


 それでもリオスは、退かない。

 一撃ごとに成長するように、攻撃の角度を変え、間合いを読んで先手を取ろうとする。

 下からの突き上げ。逆手に構えての斬り上げ。

 ひとつひとつが、読みづらく、リュシアにわずかな警戒を強いていた。


「速くなったわね、リオス」

「姉上こそ……前よりずっと」

「当然よ。――私も、全力」


 剣がぶつかる。柄と柄が押し合い、互いの視線が至近距離で交錯する。

 呼吸と鼓動の熱が伝わる距離。

 そこから、ほぼ同時に跳び退いた。


 ふたりは踊るように動き、鋼の弧が幾重にも描かれていく。

 ただの訓練ではない。誇りを懸けた、姉弟の真剣勝負だった。


 リオスが前転からの突きで喉元を狙う――が、リュシアはそれを斜め上から斬り伏せるように叩き落とした。

 その軌道を読んでいたリオスは逆に足を払おうとしたが、リュシアは片足で軽やかに跳び上がる。

 そのまま回転を利用し、リオスの側面へ横薙ぎの一撃を――


 ――空振り。


 回避の瞬間、リオスの短髪が風を裂いて揺れた。


(……やるわね。けど)


 リュシアの瞳が細くなる。次の瞬間、剣を一瞬だけ引いた。


(それは、見えてる――!)


 リオスが踏み込む。だが、リュシアは一歩も動かず、剣を構えたまま待つ。

 その剣は、まるで「おいで」と言わんばかりの、隙を演出する姿勢。


「……!」


 リオスが仕掛けた。

 その一撃に、迷いはない。


 だが――それこそが、リュシアの狙い。


 踏み込んだリオスの肩口に、彼女の剣がそっと触れた。

 力は抜かれていたが、それは着実に“致命の一撃”だった。


 静かに、リュシアの唇が開いた。


「勝ちね」


 ほんの一瞬。

 早さも、精度も、ほとんど互角だった。

 けれど、経験と戦術の差――その“わずか”が、勝敗を分けた。


「……くっそ。あと一歩だったのに」


 剣を下ろしたリオスが、肩で息をしながら悔しげに言う。

 それでも、目には曇りがなかった。


 リュシアは、微笑みながら答えた。


「そうね。あと一歩。――でも、その一歩が、一番遠いのよ」


 ふたりの剣が、静かに交差したまま止まっていた。

 朝の光が、その鋼を優しく照らしていた。


 ◇


 訓練を終えた三人は、無言で屋敷の浴場へ向かった。

 汗で張り付く服のたび、襟元や袖口から熱気が逃げて、肌をひんやりと冷やす。

 重たい布の擦れる音が、湿気を帯びた廊下にかすかに響く。

 けど、誰も口を開かない。まだ剣の余韻が残っている。


 脱衣所に着くと、リュシアが先に扉を開けた。

 石造りの床、棚には畳まれたタオルが並び、奥から湯の気配が濃密に漂ってくる。

 リオスは戸口の傍らに立ち、横目で姉とシエラを眺めた。


「……汗で、肌着が張り付いておりますわ」


 シエラの声は、諦めたような、それでいて少しだけ甘えた響きがあった。


 リュシアはシエラの背後でそっと腰紐を解いていた。

 汗を吸った上着を脱ぎ捨て、黒の肌着を滑らせると、たちまち艶めく漆黒の肌が露わになる。

 陽に焼けたわけじゃない。生まれつきの、深く吸い込まれるような黒。

 それが光の角度によって滑らかに艶を生み出し、まるで濡れているかのように見える。


「見るなら、はっきり見なさいよ。――弟の特権でしょ?」


 リュシアが背を向けたまま、少しだけ肩越しに笑った。

 その涼やかな笑みが、一瞬、ほんのわずかに緩む。

 それはからかいでも、媚びでもなく、ただ当然のことを述べるような、自然な声音だった。


「……見てないよ」


 リオスは顔を背けたが、心の動揺は隠せなかった。


「リオス様、タオルをお持ちしました」


 シエラがタオルを持って近づいてきた。


「ありがとう……って、ちょっと近い」

「湯の支度も済んでおりますわ。どうぞ、すぐにお入りくださいませ」


 涼やかに笑うシエラの言葉に、リオスは小さく肩をすくめた。

 浴場の扉が開かれ、湯気が一斉に押し寄せる。


 浴場には、ほのかな湯気とともに清々しい香りが満ちていた。

 広々とした湯船の脇に腰を下ろし、三人は桶で掛け湯をして汗を流す。

 訓練で火照った肌に、ぬるめの湯が心地よく染みわたった。

 湯が肌を滑り落ちる度に、ひやりとした感覚が身体を巡る。


「ふぅ……やっぱり、この時間は最高ですわ」

「訓練の後の風呂は格別だよね」


 言葉少なに談笑しつつ、三人は次第に湯船へと体を沈めていく。

 肩まで浸かった瞬間、息がひとつ抜けるような心地がした。


 その静けさを破ったのは、リュシアだった。


「……ふたりとも、今日からが本番よ。入学、おめでとう」


 不意に放たれた言葉に、リオスとシエラは同時に目を向けた。

 リュシアの表情は穏やかで、けど瞳の奥に何かを宿していた。


「ありがとう、姉上」

「恐縮ですわ。でも、含みのある言い方でしたわね」

「ふふ……そうかしら。いろいろ“大変”よ? 本当に」


 湯の表面をゆらりと撫でながら、リュシアは楽しげに言う。

 けど、その“大変”には、言葉以上の何かが込められていた。

 経験者としての忠告なのか、それとも何かを知っているのか。


「……大変って、何が?」


 リオスが問うが、リュシアはにっこりと微笑むだけだった。


「それは、入ってからのお楽しみ」


 肩をすくめるリオスの隣で、シエラが口を開く。


「そういえば……学年別でクラス対抗戦があると聞きましたわ。リュシア様の代も?」

「もちろん。毎年恒例よ。そして、毎年うちのクラスが優勝してるの」


 リュシアは自信満々に胸を張る。リオスがこっそり視線を逸らしたのを、シエラは見逃さなかった。


「ふふ、わたくしはリオス様とご一緒なら、どんな相手でも無敵ですわ」

「ふたりでなら、活躍できそうだよね」

「でも、もし別のクラスになったら? その時は――負けませんわ」


 目を輝かせてシエラが笑う。

 その言葉に、リオスの内心も騒いだのを、リュシアはすぐに察した。


「……多分、別のクラスになると思うわよ」

「えっ? なんで?」


 リオスの問いに、リュシアは湯の表面をじっと見つめたまま、ふふ、と笑う。


「さあ、どうしてかしら。入学すれば、わかるわ」


 そう言いながら、リュシアは湯船の縁にそっと腰をかけ直した。


「あと、リオスは……多分、決闘、たくさん申し込まれると思うわよ」


 不意に放たれた言葉に、リオスが湯の中でまばたきをした。当然、シエラも同様だった。


「どうしてですの?」

「なぜ?」


 2人同時に問いかける。


「まずは――シエラの婚約者の座をかけて。同級生の男どもに狙われると思う」

「~~~~っ!?」


 シエラの顔が一瞬で真っ赤になる。

 肩まで湯に沈めていたはずなのに、思わず立ち上がりかけ、慌てて座り直した。


「そ、そんな……」

「シエラは可愛いから、ね」


 その言葉に、シエラは湯の中で小さく肩をすくめ、顔を逸らした。


「それから――」


 リュシアが口を挟む。視線は天井を向いているけど、どこか楽しげだった。


「“私と戦いたいなら、まず弟を倒してから来なさい”って言うつもりだから。今日からね」

「……えー」


 リオスが眉をひそめると、リュシアはすかさず言い放った。


「めんどくさいけど、引き受けなさい。それが弟の務め」

「勝手に決めないでよ……!」


 抗議の声も虚しく、リュシアの宣言は揺るがなかった。


「それと。骨を折ったり、内臓を壊したりしないこと。いいわね?」

「そんなことまで、しないって……」


 苦笑混じりに反論したリオスだったけど、リュシアはにやりと笑って言った。


「……“2年前”のこと、忘れたのかしら?」

「……っ」


 その一言に、リオスはばつが悪そうに顔を背ける。

 初めて王都を訪れたあの日。あの時の騒動が、脳裏に蘇る。


「……わかった。ちゃんと手加減するよ」

「よろしい」


 湯気の中で交わされる、穏やかな約束。何気ないやり取りの中、新たな日常の歯車は回り始めていた。


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