28:どこの誰かを示すために
ようやく――といった様子で、
数人の王都警備隊が広場に駆け込んできた。
「報告を受けて参りました! 騒乱の発生と――」
現場の異様な空気と、既に倒れている少年たち、泣いている少女。
そして、場の中央に立つ、銀髪の少女――リュシア=グリムボーンの姿を目にした瞬間。
警備隊員たちは、反射的に姿勢を正し、敬礼する。
「リュシア様……!」
リュシアはわずかに顎を引き、簡潔に指示を下す。
「そこの子たち――オークとオーガ、それとあの女の子。
名前は……ドレアノス家のラミーナ、だったかしら。
念のため、全員を拘束して」
「はっ!」
一切のためらいなく、警備隊が命令に従う。
令嬢が何か言いかけるも、もう誰も聞いていない。
彼女は、取り巻きたちとともに、呆然としたまま引き立てられていった。
リオスは、その光景を見つめながら、
ふと、少し前までの記憶がよみがえる。
――領兵たちに、姉がごく自然に敬われていた姿。
(……変わってないな、姉上)
リオスの頬が、わずかに緩んだ。
◇
王都警備隊詰め所――。
木の床が軋む、質素ながらも清潔に整った室内。
広場での騒動から一行は、形式上の事情聴取のためここに案内されていた。
リュシアの友人たちとはあの場で別れたが、ひとりだけ――黒髪にヤギのような角、しなやかな尻尾を備えたデーモン族の少女だけは、何も言わずに当然のような顔で同行していた。
「……というわけで、今回の件ですが」
詰め所奥の席に腰掛けた中年士官が、手元の記録板に目を落としながら、口を開いた。
「当事者はいずれも未成年。
しかも、怪我人はすでに現場で治療されているとのこと。
状況としては――『子供同士の喧嘩』で処理されます」
リオスはすっと背筋を伸ばしたまま、静かに話を聞く。
「とはいえ、場所が場所でしたからな。
王都中心部の広場、しかも祭典直前の時期です。
一応、形式的には“厳重注意”として記録されます」
士官はそこで目を上げ、リオスとシエラに目を配った。
「今後、似たような場面では――まずは、近くの警備隊詰め所へ報告を。
判断や対応はこちらの責任です。……その点は、よくご理解ください」
詰め所奥の席に座った中年士官が、厳しい口調ながらも実質的なお咎めなしの通達を下した。
リオスは素直に頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしました。……反省します」
その様子を横で見ていたシエラが、そっとリオスの袖を引き、
小声で「軽く済んで良かったですわね」と囁く。
「さて、次は――こちらの少女について、です」
士官は書類をめくりながら、隣に座る少女へ視線を向けた。
「首輪を装着しており、奴隷として扱われていた……とはいえ、
我々の登録記録には一致する情報が見つかっておりません」
「つまり、やっぱり違法奴隷ですか?」
「ええ。ですが、こちら側で断定するには判断材料が足りません。
念のため、正規の奴隷商を呼んであります。
正式な登録印があるなら――まあ、少々面倒なことになりますが」
士官は、疲れたように肩を竦めた。
「ですが……」
彼はちらりと少女を見やる。
「……この見た目で正規登録は、まず考えづらいですね。
それなりの家なら、もっと手入れもされているはずですし、喉を潰すような扱いは……」
そこで言葉を切り、溜め息をひとつ。
「いずれにせよ、照会結果次第です。
問題なければそのまま保護、違法と判明すれば――解放処理ですな」
そのとき、扉の向こうで、控えの衛兵が声を上げた。
「お待たせしました。王都奴隷商会より、登録官ギルトン殿、お連れしました!」
「通せ」
士官の声に応じて入ってきたのは、品の良い身なりの中年男性だった。
無駄のない所作で一礼を済ませると、肩に提げた契約帳を開く。
「失礼いたします。王都商会、登録官ギルトンです。……状況は事前に確認済み。
対象者の首輪と魔印、ならびに過去の契約記録について――すでに本部照会が完了しております」
ギルトンの声は静かだったが、隣の少女がぴくりと肩を揺らした。
「まず、結論から申し上げましょう」
契約帳を閉じ、ギルトンは少女を一瞥した。
「この子に関する正規登録情報は――存在しません。
登録番号なし、印刻なし、商会許可なし。加えて、
喉に残る損傷痕から、故意の傷害の可能性が極めて高いと判断されます」
「つまり……違法、ということか」
士官が言葉を継ぐ。
「はい。明確に“違法奴隷”と認定される案件でございます。
現行の奴隷保護法に基づき――拘束具の破棄と、身柄の解放が必要です」
ギルトンは契約帳の一項をめくり、そこに手をかざした。
緩やかな魔力の波動が走り――少女の首に巻かれていた首輪が、ひとりでに音を立てて外れる。
カチャン、と金属の落ちる音が床に響いた。
「これをもちまして、商会の認定により――この少女は正式に“奴隷ではない”と証明されました。
以後の扱いは、自由民となります」
首輪が外れ、形式上は“自由の身”となった少女。
だがその肩は、自由を喜ぶにはあまりに頼りなく、怯えたように震えていた。
「……それで、行くあては?」
リオスが、ゆっくりと問いかける。
声を荒げることなく、ただ真正面から見つめながら。
少女は、ほんの少しだけ顔を上げた。
潤んだ瞳が揺れ、そして――言葉を絞り出すように、口を開いた。
「……家族が、どうなったのか……わからないんです。
村ごと攫われて……みんな、別々に連れていかれて……。
帰るって言っても、村にも、誰も……もう、いないかもしれなくて……」
小さく、唇を噛みしめる。
「人間がひとりで生きていくなんて、無理で……
だから、どうしたらいいか……」
少女が、そう言って俯いたとき――
「のう」
柔らかく響く声が、室内の空気を割った。
振り向けば、リュシアの友人の少女――
デーモン族の少女が、興味深げにこちらを見ていた。
「その娘、わらわにくれぬかの?」
「……え?」
思わずリオスが声を漏らす。
「ちょうど従者が欲しいと思うておったところじゃ」
にっこりと笑う彼女に、リオスもリュシアも言葉を失った。
「もちろん、縁も紹介もない娘を従者にするには、それ相応の手続きが要るものじゃが……」
彼女はすっと立ち上がり、スカートを軽く払って歩み出る。
「志願奴隷契約ならば、問題あるまいの? ギルトン殿」
「……まあ、形式としては、問題ありませんな」
その言葉に、少女の肩がぴくりと震えた。
身体がわずかに強張り、視線が床に落ちる。
さっきまでの勇気が、音を立てて崩れていくようだった。
「……また、奴隷に……?」
小さな呟きは、自分でも気づかぬほどかすれていた。
「これは正式な契約じゃぞ。
さきほどまでのように無理やり縛るのではなく、自ら選び、納得して結ぶ志願奴隷契約というやつじゃ。
これならば、正規の手続きを通せるし、身分証明にもなるのじゃ」
彼女は一歩だけ前に出て、少女の目線の高さに合わせる。
「……今のままでは、そなたが“どこの誰”なのか、誰にも証明できぬのじゃ。
じゃが、わらわの奴隷という形になれば――そなたは“わらわの所有物”となるのじゃよ」
彼女がゆっくりと手を差し伸べる。
少女の瞳が、ゆっくりと持ち上がる。
不安と迷い、そして――微かに差し込んだ光のような、希望の色がその奥に揺れていた。
「……お願いします」
少女はそっと手を取った。
その指先は冷たくも、確かに少女の中の何かを繋ぎとめていた。
「ギルトン殿、契約の準備を」
「かしこまりました」
登録官ギルトンが契約帳を開き、携帯式の魔刻具を取り出す。
淡く光る魔術の紋様が帳面に浮かび、二人の前で揺れた。
「契約者の氏名を記入願います」
デーモンの少女が署名する。
「そなた、名前は?」
「……ミリナ、です」
書き込まれた名を見たギルトンが、一瞬目を見開く。
「確認。――志願奴隷契約、発動します」
魔刻具が光を放ち、契約魔法が詠唱される。
その光はやがて、ギルトンの手から銀色の首輪へと注がれた。
「装着義務品、お渡しします」
差し出されたのは、精緻な魔刻が施された装飾的な首輪。
それは、かつて彼女がつけていた粗末なものとはまるで違っていた。
ミリナは、静かに髪をかき上げ、デーモンの少女の前に膝をつく。
「……お願いします」
その一言に、彼女は小さく頷き、銀の首輪をミリナの首にそっと嵌める。
魔力の光が走り、印が確定される。
「契約、完了しました」
ギルトンが静かに告げた。
ミリナはその場で深く頭を下げる。
それは、新たな主への忠誠の証であり――少女としての再出発でもあった。




