ただ、嫌だっただけ
賑わう王都の広場の一角――
装飾屋台が立ち並ぶ石畳の中で、その一団はあまりにも目立っていた。
十に満たぬ年頃の魔人族の少女。
豪奢な紫金のレースを纏い、いかにも裕福そうな衣服を身に着けている。
だが、その顔立ちは膨れた頬に吊り上がった目、脂の浮いた肌といった醜さを伴っており、表情の傲慢さがさらにそれを際立たせていた。
少女の背後には、同年代の男の子の取り巻きがふたり。オーガとオーク。
どちらも目端は利くが、媚びへつらうような笑みを浮かべている。
その少女の横に、よろよろと歩く影があった。
おそらく、隣の少女と変わらぬであろう年頃。
首には奴隷の証である首輪がある。
腕いっぱいに包みを抱えた、小さな人間の少女。
布袋、紙包み、木箱、靴――明らかに不自然な量の荷物が、今にも零れそうなほど両腕に積まれていた。
周囲の目が、冷ややかにそれを見ていた。
口には出さずとも、あからさまな視線。
「またあの娘か」「品がないな」
そんな感情が、ひそやかに石畳の空気を濁らせていた。
「……なに、あれ」
ぽつりとシエラが呟いた。
その声音は、明らかに嫌悪を孕んでいる。
「同じ魔人族とはいえ、あんな品のない娘と一緒に思われたら、わたくしの血統に傷がつきますわ……」
そのときだった。
奴隷少女の足元にあった石の段差に、包みのひとつが引っかかった。
荷物の重みにバランスを崩し――少女の身体が傾ぎ、紙包みがひとつ、地面に落ちた。
それは、ただの布。柔らかな、服の一部であるらしい。
だが、次の瞬間――
「はあああ!? ちょっと、あんた! なにやってんのよ、この下等種!」
魔人族の少女が金切り声を上げた。
唾を飛ばしながら怒鳴りつけ、杖の先で地面を叩く。
奴隷少女はすぐに膝をつき、無言で紙包みを拾い上げようとする。
その動作はあまりに静かで――あまりに、慣れていた。
「どうなさいます? お嬢様」
取り巻きのオークの少年が笑いながら言った。
「ちょっとこのガキ、痛い目に遭わせときます? 人間ってのは、骨が折れてやっと覚えるもんでしょ」
その言葉に、少女は目を細め、くすりと笑う。
「そうね……一本くらいなら折っても文句ないわよね。
そうよ、それで反省できるなら――」
取り巻きのオークが、少女に近づく。
足を振り上げ、その小さな背に向かって――
だが。
ヒュッと、空気を裂く音が走った。
次の瞬間、何かがオークの脛に突き刺さる。
細く、鋭い串――竹串。
「――ッ!?」
オークの少年が悲鳴を上げる間もなく、視線が一斉に向いた先。
そこに立っていたのは――
リオスだった。
右手の指先には、なおも淡い魔力の揺らぎが残っている。
ざわり、と。
空気が変わったのを、誰もが感じ取っていた。
串を脚に突き刺された少年は、呻き声を漏らしながらその場に片膝をつく。
だが、それ以上に場を圧したのは――リオスの言葉だった。
「……奴隷をどう扱おうが、お前の自由だってことは、わかってるよ」
少年の声は、静かだった。
怒鳴るわけでも、挑発するわけでもない。
ただ、真っすぐに視線を向け、揺るぎない言葉を吐き出す。
「でもな……だからって、そんなの、見ていられるわけないだろ」
それは――正義感というわけでもない。
誰のためでもなく、自分の中の「嫌だ」という感情に忠実な、真っすぐな言葉だった。
「……ああん?」
魔人族の貴族娘が、顔をしかめた。
自分の取り巻きを傷つけられたことよりも、言葉の意味を飲み込むのに数秒かかっていた。
そして――
「あんた、なに勝手にしゃべってんのよ! 人間のくせに!」
金切り声が広場に響く。
「そこの女! あんたの奴隷でしょ!? なに、しつけもできてないの!? どこまで無礼なガキよ!」
少女の指先が、シエラへと突きつけられる。
「人間を飼うなら、口の利き方ぐらい叩き込んでから連れ歩きなさいよ!」
だが――
「……わたくしの、奴隷?」
シエラは、その言葉を繰り返した。
一瞬だけ、呆けたように目を見開く――
けれど、すぐにその紫の瞳が細められ、艶のある吐息混じりの笑みがこぼれる。
「まあ……そういう想像も、少しだけ魅力的ですけれど」
わざとらしく指先で口元を隠しながら、彼女は優雅に続けた。
「残念ながら――わたくしと彼は、そういう関係ではありませんの。
彼は、わたくしの婚約者ですもの。
従わせる必要なんて、どこにもありませんわ」
その声音は、柔らかで気品に満ちていた。
「……っは、ははっ!」
突然、魔人族の少女が笑い出した。
それは軽蔑というよりも、心の底から相手を馬鹿にする者の笑いだった。
「なに言ってんの? え、ほんとにそう思って言ってんの?
人間が魔人族の婚約者だなんて……聞いたこともないんだけど?」
口元を抑えることすらせず、少女はあからさまに嘲笑する。
「どこの家の子か知らないけど、そんなウソついてまで体裁整えるなんて、
同じ魔人族として、恥ずかしいわ。……誇りも矜持もないの?」
冷ややかな蔑みの目が、シエラへと向けられる。
「ま、あたしを知らないような田舎者には、理解できないかもね」
そして、少女は顎を突き出すようにして名乗った。
「ラミーナ=ドレアノスよ。
王都でも由緒ある家系。田舎者の木っ端魔人族とは違うのよ!」
その言葉に、周囲の空気がわずかに震えた。
「ドレアノス……まさか……あの……」
ひそひそと、周囲の人々がささやき合う。
その声色には驚きと、しかしどこか軽蔑しているような微妙な距離感があった。
(ドレアノス……?)
リオスは隣のシエラに顔を寄せた。
「ねえ、シエラ。ドレアノスって、そんなにすごい家なの?」
「さあ……聞いたこと、ありませんわね」
彼女も小声で答えるが、眉をひそめて首を傾げている。
そんなふたりの背後で、スッとひとつの影が近づく。
「……失礼いたします、おふたりとも」
リリュアが、完璧な無表情のまま、ひそやかに口を開いた。
「ドレアノス家は、王都では中層の貴族です。
いちおう魔人族の血は引いておりますが、当家とは縁もなく、
ここ数代ほどは、貢献や武勲もない――いわば家名だけの家でございます」
「……なるほど。ハリボテってことか」
リオスは小さく頷いた。
その視線の先では、ドレアノス家の娘がなおも得意げに胸を張っていた。




