20:訓練場に、冬の区切り
年が明けて間もない、張りつめた冬の朝。
訓練場の地を踏むたびに、霜がかすかに砕けて音を立てる。
その白い大地を、三つの影が交差した。
激しく、そして美しく。
――すでに、何十合目か。
鉄剣が打ち合う音が、乾いた空に鋭く響く。
使われているのは訓練用の剣だが、その重さも硬さも子供には充分すぎる。
けれど彼らは、その一振り一振りに躊躇いがない。
リオス=グリムボーン、6歳。
黒髪を短く切り揃えた少年の剣は、すでに洗練の域に近づいていた。
黒い瞳が動きを見切り、地を這うような低い姿勢で隙を狙う。
その動きに追いつくのは、同じく6歳の少女――シエラ=ルキフェル。
青白い肌に銀紫のロングヘアを揺らし、深い紫の瞳でリオスの突きを読み、迎撃の斬を浴びせる。
細く平坦な身体に秘められた集中と正確さ。彼女の剣には、一寸の揺らぎもない。
だが、そこへ割り込むように斜めから打ち込まれる強烈な一撃。
「ふたりとも、甘いわね」
闇色の肌を持つ少女が、一段重い音を響かせて鉄剣を打ち下ろした。
リュシア=グリムボーン、8歳。銀のストレートロングが風に舞い、金の双眸がふたりを射抜くように輝く。
彼女の剣は、力だけではなく圧があった。
リオスの剣が空を切る。
その一瞬の空白を逃すことなく、リュシアが踏み込む。
「――リオス、背中が甘い」
鋭く突き出された剣が、訓練着越しにリオスの脇腹を打ち据える。
訓練用とはいえ、質量のある鉄剣の直撃に、リオスの身体が大きく揺れ、地面へと倒れ込んだ。
「く……っ」
彼はその場に膝をついたまま、悔しげに拳を握りしめる。
けれど敗北を受け入れるしかなかった。
すぐにリュシアは構えを取り直し、目線を切らさずシエラを見据える。
「残るは、あなただけね」
「……望むところですわ」
紫の瞳が細まり、シエラの鉄剣がすっと構え直される。
鉄剣が宙で交差し――そのまま、勝敗が決した。
リュシアの踏み込みは、重さも角度も完璧だった。
シエラの剣を浮かせるように打ち上げ、瞬時に胸元へ切っ先を――寸止めで突きつける。
「……っ」
シエラはそのまま、肩を落としながら一歩下がった。
紫の瞳が認めるように、静かに視線を落とす。
「……完敗ですわ。やっぱり姉様には、まだ敵いませんのね」
「ううん、ほんとギリギリだったわ。次は危ないかもね」
リュシアは鉄剣を下ろすと、少しだけ息を吐いて微笑んだ。
乱れた銀の髪が肩に落ち、金の双眸がふたりを見渡す。
やや遅れて、リオスが立ち上がる。
敗北の痛みを隠すように、小さく拳を握ったまま。
「……負けちゃったけど、次は……」
その言葉に、リュシアが頷いた。
「そう。次は、もう定期訓練じゃないわ」
その一言に、場が静かになる。
誰もが、すでに知っていた。
リュシアが、明日には王都へ旅立ち――幼年学校に通い始めること。
そして、こうしてそろって剣を交える時間は、今日が一区切りになることも。
「また、年末とかに帰ったときはやりましょう。……でも、頻繁にはもう無理」
その声に、寂しさは滲ませず、けれど温かさがあった。
「じゃあ……それまでに、もっと強くなっておく。ね、シエラ」
「ええ。負けたままでは終われませんわ」
シエラの青白い頬に、わずかに紅が差したように見えた。
金色の瞳が、ふたりをまっすぐに見つめて言う。
「次に剣を交える時は……私も、学校で鍛えた技で挑むわよ。覚悟してなさい」
三人の視線が交差した。
その空気に、かすかな寂しさと、それ以上の決意が溶け込んでいた。
冬の朝。霜の残る訓練場。
吐息が白く流れる中で、三人の影はしばし無言で立ち尽くしていた――
これまでの日常に、ひとつ区切りを打つように。
◇
訓練の熱気はようやく引き、吐く息が白く漂っている。
その静けさを破るように、砂利を踏む足音が響いた。
「……良い剣だったな」
低く響いた声に、リオスが振り向く。
現れたのは、漆黒の単髪に逞しい体格を持つ男――バルトロメイ=グリムボーン。
その隣には、整った顔立ちと青白い肌、銀の髪を結ったゼヴァド=ルキフェルの姿があった。
二人とも、戦士としての気配をまといながらも、柔らかな表情で子供たちを見守っていた。
「父上、ゼヴァドさん……」
リオスが近づきながら、問いかける。
「さっき、屋敷で……母上たちと、何の話をしてたの?」
ふと視線を交わす二人の父。
先に口を開いたのは、バルトロメイだった。
「……ああ。牙獣の件だ。あの罠が、ようやく正式に禁止された」
「ほんとに……?」
リュシアとシエラの目にも、驚きと安堵が浮かぶ。
ゼヴァドが頷いた。
「昨夜、フォールム王国が王令を出した。罠の製造・販売・使用――すべて全面禁止だ。違反者には罰則も科される。
遅きに失した感はあるが……これでようやく、人為的な暴走は防げる」
バルトロメイの声は低く、しかし確かな重みを持っていた。
「もちろん、自然に凶暴化する個体は今後も出る。
だが人が仕掛けた災いは、これで一段落だ」
「……良かった」
リオスの声は、まっすぐに空を見上げていた。
シエラとリュシアもまた、言葉なく頷いた。
「災いは終わった。だが、備えを怠るな」
ゼヴァドが静かに言い添えた。
「そうだな。平穏というのは、守り続けてこそだ」
バルトロメイがうなずき、訓練場に再び静けさが戻る。
剣を交えたあととは違う、心の奥に灯るような――
そんな、あたたかな静寂だった。
訓練場に静けさが戻ったそのとき、バルトロメイがふとリオスの方へ目を向けた。
「……リオス」
「え?」
リオスがきょとんとした顔で父を見上げると、バルトロメイはゆっくりと頷いた。
「おまえが出した案が……決め手になった」
「ぼくの?」
「そうだ。あの罠の信用を壊すため、市場に“偽の罠”を流すという策――
子供の思い付きと思っていたが、リリシアが真面目に検討し、実行に移した。
……その結果、フォールム国内でもようやく禁令が出た。
欠陥が多く、凶暴化を引き起こす危険性が高いと判断されたらしい」
リオスは目を瞬かせた。
「うそ……あれ、本当にやってたんだ……。てっきり無視されて終わるかと……」
隣でゼヴァドも静かに頷いた。
「戦場に限らず、国の行く末を変えるのは、時に思い付きの発想だ。
……それを拾い、活かすのが我々の役目でもある」
バルトロメイが息を吐いた。
「よって、その功績に報いて……褒美を与える。
正式に、ここで宣言しよう」
ゼヴァドが娘へと視線を送った。
「シエラ=ルキフェルとリオス=グリムボーンの婚約を、今この場をもって確定とする」
その言葉に、シエラの身体がびくりと揺れた。
「ま、まさか……このタイミングで正式に決まるなんて……!」
両頬が赤く染まり、視線を伏せる。
それでも、否定の言葉は出てこない。
ただ、胸の奥からこみ上げてくる感情を、必死に押しとどめていた。
リオスは未だ首をかしげたまま。
「……うーん。なんか、難しいことになってる?」
その鈍感な問いに、リュシアが堪えきれず、くすりと笑った。
「おめでとう、リオス。……妾としての婚約者、ね。
でも――正妻は、この私よ?」
凛とした声とともに、姉の金の双眸がまっすぐに弟を見据える。
「……っ」
シエラは赤面したまま、肩をすくめ、ぷいと顔を逸らした。
けれどその横顔は、静かに、確かに綻んでいた。
寒空の下、冬の訓練場に差す陽は淡く、けれどどこか柔らかだった。
ひとしきり話が落ち着いたころ、リオスがふと首を傾げた。
「ねえ、父上。さっきの話に出てきた“リリシア”って、誰のこと?」
その問いに、バルトロメイとゼヴァドが顔を見合わせたあと、どちらともなく頷いた。
「……そうか。おまえはまだ会ったことがなかったな」
バルトロメイがゆっくり口を開いた。
「リリシア=ヴェルファーン。魔王軍の大魔将のひとりだ。
ゼヴァドや私と、同じ地位にある……いや、戦術と諜報においては、我々以上の手腕を持つ」
ゼヴァドが補足する。
「種族はサキュバス。あの一件――偽罠の流通操作の実働部隊を率いたのも、彼女だ」
「さきゅばす……?」
リオスは聞き慣れない響きに目をぱちくりさせた。
「それって……強いの?」
「強いぞ。何より、搦め手が一級だ」
バルトロメイの断言に、リオスは思わず息をのむ。
「へえ……そんなすごい人が、ぼくの考えた策を?」
「おまえの案を採用したのは、彼女自身の判断だ。
……だからこそ、対価を求められた」
「対価……?」
「おまえの種だ」
「――えっ?」
あまりに唐突な単語に、リオスは思わず耳を疑った。
「えっ、えっ!? 種って……僕、まだ何も出ないよ!?」
真っ赤になって慌てふためくリオスの横で、シエラもぴたりと硬直し――
「っっ~~~~!!」
顔を真っ赤に染め、肩を震わせながら俯いた。
耳の先まで真紅に染まっているのが見てとれる。
「……時期が来れば、きちんと出る。
そしてそのときには、約束を果たすことになるだろう」
バルトロメイはあくまで淡々と、静かに告げた。
そんな空気のなか、ただひとり――リュシアだけが得意げに腕を組み、ふふんと鼻を鳴らしていた。
「ふふ……さすが、リオスね。
まだ子供でも、大魔将を動かすほどの種の価値があるってこと」
「姉上、なんで嬉しそうなの……?」
「ふふ……だって私、リオスの種がどれだけ価値あるものか――誰よりも知ってるもの。
だから、世界中に知らしめたいのよ」
「え、えええええっ!?」
リオスは混乱したまま目をぐるぐるさせ、
シエラは言葉にならない悲鳴のような喘ぎを漏らした。
その場にいた大人たちは、ただ静かに、未来を見守っていた。




