父たちの語らい
パチ、パチ……と、薪が爆ぜる音だけが、静かな部屋に響いていた。
グリムボーン家の応接間。重厚な木製の家具に囲まれ、壁際には控えの侍女たちが身じろぎ一つせず立ち尽くしている。中央の暖炉には火が焚かれ、その炎が揺れるたび、天井の梁に淡い影を落としていた。
その正面、対峙するようにソファを挟んで二人の男が座っている。
一人は、魔王軍大魔将――バルトロメイ=グリムボーン。漆黒の肌と威容を誇るオーガ族の重鎮。無口で知られる彼は、ただ無言で湯気の立つ茶を口にし、視線を炎に落としている。
そしてその向かい、優雅な仕立ての軍服を纏いながらも、どこか柔らかい笑みをたたえているのが、同じく大魔将――ゼヴァド=ルキフェル。バルトロメイの盟友で、シエラの父である。
「ふふ、娘は今頃どういう顔をしているかな?」
ゼヴァドがそう零した。
「リュシアが勝手をしたようだが……良かったのか?」
バルトロメイが問いかける。
当たり前だが、子供同士とはいえ、客人の娘が入っている風呂に乱入するなど、許されることではない。ましてや、男子が。
だが、ゼヴァドは事も無げに言う。
「元からそういう話だったじゃないか。少しばかり早くなっても問題は無いよ。それにしても――」
一口、茶を飲んでからゼヴァドが続けた。
「キミの娘――リシアといったかな? 全部わかっているようだったけど……先に伝えていたのかな?」
それは問いかけというより、確認だった。
「リュシアだ。いや、何も云っていない。アレが自分で考えたのだろう」
バルトロメイがそう誇らしげに返答した。
「なるほど、これだからダークオーガは怖ろしい。……いや、あの娘が特別だと思いたいね」
ゼヴァドの素直な感想だ。
リュシアが言い出すまでもなく、リオスとシエラの婚姻話は水面下で進んでいたのだ。
シエラはゼヴァドの娘ではあるが、ルキフェル家の跡取りにはなれない。妾の子なのだ。
実力的には申し分ないのだが、正妻の子も同様。
ならば、嫁に出すのに最も条件の良い相手はグリムボーン家。
出自が疑わしかろうと、グリムボーン家の子息であれば、「格」としては問題ない。名目上は。
問題は、グリムボーン家の子息――リオスが人間だという点だった。
普通にシエラが反発する可能性は高い。
現に、シエラはリオスを人間と見くびっていた。
徐々に交流して情が湧けば善し。うまくいかねば、それまでのこと。別の相手を探せばよい。
それほどの軽い期待に過ぎなかったが――リュシアの「負けたら妾になれ」のひとことで、全てが一足飛びに転がった。
水面下で進む婚姻の意図を、わずかな兆候から読み取り――それどころか、己の手で推し進める策を独自に組み立てていたとすれば。
まだ十にも満たぬ齢の娘が、そこまで見通して動いていたというのなら――
それは、もはや知略に長けたダークオーガという種族性を超えている。
あの娘が規格外なのだ。
そして、規格外といえば、リオスもだ。
シエラは人間の一般兵程度なら余裕……とまでは言わないが、制する実力はある。
なのに、リオスが勝ったのだ。
実力的にはシエラの方がまだまだ上だが、それでも挑発でひっくり返すほどの実力を見せつけられれば、ゼヴァドとしても単なる家格以上の価値をリオスに見出さずにはいられない。
「あえて聞くが、リオスは本当に人間なのか?」
それは、聞いたのがゼヴァドでなければ。そして、今この状況でなければ、即座にバルトロメイに殴り殺されてもおかしくない、無礼な問いだった。
リオスはダークオーガでないことは明白だ。
その上で、母セラと同じ人間でないなら、種は別ということになる。
セラを引き取った経緯はそれなりに知れ渡っているので、リオスがバルトロメイの種でないことは明白ではあるが、「それはそれ」である。
しかし、この場での問いかけの意味は、それほどに強い。という賛美の言葉であることは、バルトロメイも承知している。
「人間以外に見えるかね?」
なので、バルトロメイも少々お道化た調子で問い返す。
「ダークオーガが肌を塗ってるとしても、角が無いし、身体も細い。仮にライカンスロープだとしても、あの姿だと人間と変わらぬ力しか出せない。サキュバスが変身……は、論外だな。意味がない」
可能性をいくつか上げるが、リオスが人間であるという証明の補強にしかならない。
「バルも昔よりさらに腕を上げているし、この家の使用人たちすら、練度が高い。いったい、どういう教育をしているのだ?」
それは純粋な疑問で、なにかあるなら是非とも学びたいことだった。
「秘密だ。――と、恰好をつけたいが、特に特別なことはしておらんよ」
事実だった。
ごく一般的な教育プランと特訓しかしていない。
子供たちの教育は、優秀さから数段階先取りしてはいるが。
「……そうか。まぁ、娘を通じて学ばせてもらうとしよう。……貴家の“型”というものをね」
堂々とスパイ行為を宣言するが、貴族とはそういうものだ。
そして、バルトロメイもシエラがグリムボーン家の強みを言語化してくれるというのなら、それを次代に伝えたい。と期待するのだった。




