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【なろう版】魔国の勇者  作者: マルコ
幼年学校1年 :王都捕物帳

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動く理由

 内省院は、繁華街の喧騒から半ブロックほど離れた場所に立っていた。

 外壁は磨き込まれた灰白色の石積みで、窓は高い位置に細く切られている。

 内側から覗けても、外からは何も見えない設計だ。

 建物全体が、静かに圧力を発していた。

 石畳を踏む足音が、壁に吸い込まれる。


 リュシアは正面扉を見上げ、鼻で短く息を吐いた。

 隣を歩くルーシーの、小さな革靴の音だけが一定のリズムを刻んでいる。


「入るわよ」


 ふたりはその中へと足を踏み入れた。

 受付は、広い部屋の中央に設けられた低い木製の仕切りで構成されていた。


 その向こうに、中年の係官が座っていた。

 禿げかけた頭頂部、分厚い首。机の上には書類の束が几帳面に積まれている。


 係官の視線が、ふたりの少女に向いた。

 一瞬、その眉が動く。


「……ご用件は」


 リュシアは仕切りの前に立ち、正面から係官を見据えた。


「本日、参考人として連行されたリオスの姉です。

 未成年者の取り調べには保護者もしくは家族の同席が認められているはずです。

 同席の申請をしに参りました」


 係官が上体を少し引いた。


「突然そのようなことを言われましても……」


 羽ペンを持つ指先が、微かに止まる。


「申請に身分証明の提示が必要でございます。本日付けで受理できるかどうかについては、上の者に確認が……」

「でも、弟は今まさにその部屋にいる。家族として不当な扱いを黙って見過ごすことができないのは、当然でしょう?」


 リュシアの声が、一段低くなった。

 とはいえ、まだ穏やかだ。


「……は、はぁ」


 係官の額に、うっすらと汗が滲む。


「お気持ちは分かりますが、制度上のご説明をしますと――」

「制度上の話をするなら、こちらも聞いてもらいます」


 今度は声が低いだけでなく、温度が消えていた。

 リュシアの怒りが、滲み出ている。

 とはいえ、半分は演技だ。――もう半分は本気だが。

 リュシアは背筋を伸ばした。

 漆黒の肌の表面に、うっすらと熱気が立ち始める。


 視覚で捉えられるほどの変化ではない。


 ただ、係官は、じりじりと灼けるような圧力を肌で感じ取っていた。

 肩が、本能的に内側へ縮む。


「あ、あの……」

「わらわも、補助者として同席する」


 ルーシーの声が、さりげなく割り込んだ。

 係官の視線が、小柄な少女へ向く。


 ルーシーはすでに、懐から薄い証明書を取り出していた。


「幼年学校在籍の身分証でじゃ。ほれ、リュシアも出せ」


 ルーシーの言葉を受け、リュシアも身分証を出す。

 二枚の証明書が、木の仕切りの上に置かれた。


 係官の指が、震えながらも証明書を拾い上げた。


「リュシア=グリムボーン……」

「知ってるじゃろう?」


 ルーシーの言葉に、係官の顔が、みるみる青ざめていく。

 グリムボーンという姓が、どれほどの重みを持つか。


 王都の役人であれば知らないはずがない。


「……少々、お待ちください」

「早急にな」


 ルーシーの声は穏やかだった。

 穏やかなのに、一切の反論を許さない響きがあった。


「今すぐ」


 ◇


 係官は結局、自分で案内役を引き受けるハメになった。

 廊下は薄暗く、等間隔に置かれた燭台が揺れるたびに、壁の影が伸び縮みする。


 石の床を打つ足音が三つ、等間隔に続いていた。

 リュシアは黙って歩きながら、扉の数を数えていた。

 突き当たりを曲がる。

 さらに廊下が続く。


(……ずいぶん奥なのね)


 外から簡単に届かない場所。

 圧力を断絶する構造。

 この建物は、そういう目的で設計されている。


 係官が、廊下の突き当たりで立ち止まった。


「こちらでございます」


 分厚い扉だった。


 係官が懐から鍵束を取り出そうとする。

 その動作の前に、リュシアの手が扉のノブを回し、表面を叩いていた。

 鈍い、重い音が廊下に響く。


 返事はない。


 リュシアが、もう一度。

 今度はやや強く。


 扉は微動だにしない。


「あの、……鍵がかかっております」

「早くして」


 係官の手が震えながら、鍵穴に金具を差し込む。

 金属が噛み合うまでの――わずかな時間が、永遠のように引き延ばされた。


 重い音が立った。


 錠が外れた音だ。


 リュシアが係官の腕を押しのけた。

 扉に手をかける。

 蝶番が軋みながら、開いていく。


 室内の空気が流れ出してきた。

 柑橘の香り。

 そして、緋色の絨毯。


 ひと目で室内を走査した視線が、ソファに座る小柄な人影を捉えた。


 黒髪。

 白い肌。


(……いた)


 リュシアの足が、扉をくぐる前から動いていた。



 扉が乱暴に叩かれた瞬間、フェリックスは反射的に立ち上がりかけた。


 次の瞬間、扉が押し開かれる。


 踏み込んできたのは、漆黒の肌を持つ少女だった。

 黒い光沢。

 額の二本の角。

 銀色の長い髪が、勢いのまま宙に流れる。

 彼女はリオスの元へ一直線に向かった。


 リオスが立ち上がる暇もなかった。


 漆黒の腕が肩と背中に巻きつき、リオスを深く引き寄せる。


「無事ね。無事ね、無事よね、リオス」


 声が低く、早口で、かすかに震えていた。

 手が、肩、背中、腕をすばやく確認する。

 怪我の跡を探す動き。

 一切の余裕がない、本能に近い動作だ。


「怪我してない? どこも痛くない?」

「……うん。大丈夫だよ、姉上」


 リオスの声は、温かかった。

 少し困ったように、どこか嬉しそうに。


「大丈夫。落ち着いて」


 リュシアが、ゆっくりと息を吐いた。

 肩の力が、ほんの少し下がっていく。

 フェリックスは、その一部始終を観察していた。


(……詰め所で見かける、幼年学校の生徒か)


 記憶の中を探る。


 訓練に混ざりに来る、変わり者の学生たち。

 子供ながらに、衛兵たちをなぎ倒す、漆黒の肌の少女。

 同じく幼い容姿の、褐色の少女。


 その二人が今、目の前にいた。


 扉のそばでは、ルーシーが係官と言葉を交わしている。


「外で待っておれ」


 ルーシーの声は、いたって穏やかだった。


「ここからは話し合いたいことがあるでの」


 係官がフェリックスへ視線を送ってきた。

 助けを求める目だ。

 フェリックスは短く顎を引いた。

 それだけで十分だった。

 係官が深く頭を下げ、廊下へと後退する。

 扉が閉じる重い音が、室内に沈んだ。


 フェリックスの視線が、改めてリュシアの姿を捉えた。


 漆黒の肌。額の角。


(……ダークオーガか)


 すぐに合点がいった。


 彼女がリオスの姉だ。


 つまり――グリムボーン大魔将の娘。


(……面倒なことになった)


 内心で苦い息を吐きながら、フェリックスは視線を隣のデーモン族の少女へ移した。


「キミは?」

「わらわか?」


 少女は真紅の瞳をフェリックスへ向けた。

 表情には、一切の警戒も慌ても見えない。


「命の恩人じゃ」


 間があった。


「……はい?」


 フェリックスの眉が、ゆっくりと寄った。


「命の、恩人?」

「そうじゃ」


 ルーシーは短く肯定し、続けた。


「リオスが連れていかれたと知るなり、リュシアはすぐさま飛び出そうとした」


 視線がリュシアへ向く。


「わらわが止めねば、お前は今頃肉塊じゃったぞ」


 冗談めかした口調だった。

 しかし、軽い響きの下に、冗談ではない事実が潜んでいた。


 フェリックスの顔の筋肉が、微細に引きつった。

 思わず、半歩後退する。


 彼は、反射的な動作に気づき、すぐさま背筋を戻した。

 姿勢を正す。

 息を整える。


 それから、リオスとリュシアに向かって、静かに頭を下げた。


「……まずは、不当な連行と拘束について、お詫び申し上げます」


 軽薄さが完全に剥げ落ちた声だった。

 リオスは若干、面食らいながらも、特に何も言わない。


「リオス殿、リュシア殿。申し訳ありませんでした」


 頭を上げると、その目には自嘲の影と、それでも消えない意志が同居していた。


「そして、単刀直入に言います」


 声のトーンが変わった。


「力を貸してほしい」


 フェリックスが黒檀の机の前へ歩んだ。

 懐へ手を入れる。

 取り出したのは、一枚の羊皮紙だった。

 広げて、机の上に置く。


「イゼベル所長が横領の冤罪で捕まっている」


 乾いた紙の表面に、細かな文字が並んでいた。


「この書類が証拠に使われている。所長の筆跡を模した偽造だ」


 フェリックスの指先が、文字の列をなぞった。


「……普段、所長の書類仕事は、私が代行していた」


 言葉に、苦さが滲む。


「事務が苦手な人なんだ。……記録、帳簿、報告書、全部」


 自嘲的な口の歪みが、一瞬浮いた。


「だから断言できる。この筆跡は所長のものじゃない。

 そもそも、本人がこれほど精巧な書類を作れるはずがない」


 しばらくの沈黙。


「真犯人は、ラカッフェ部隊長だ」


 ルーシーの真紅の瞳が、一瞬細くなった。


(……やはりそこへ行き着くか)


 事件の輪郭が、焦点を結んでいく。

 ルーシーが確かめたかった背後関係の糸は、今この瞬間、ひとつに繋がった。


「ただ」


 フェリックスの指が、羊皮紙の末尾へ動いた。


「ここの押印だけは、本物だ」


 そこに、印が紙面にくっきりと刻まれていた。


「魔力印だ。偽造できない。魔力の紋様は個人固有で、複製は理論上不可能」


 机の上の空気が、重くなった。


「書類の内容が偽造でも、この印が本物である以上、所長が関与したという形になってしまう」


 リオスが羊皮紙を引き寄せた。

 印の部分を、じっと見つめる。


「……本人が押したかもしれない。

 例えば、騙されて。内容を確認する前に、あるいは別の書類と思わせられて、本人が押してしまった可能性は?」


 フェリックスの眉が動いた。


「……可能性としては、ありえる」

「そうなら、自分で偽造したよりはずっとましだよ。

 責任を完全に免れることはできなくても、状況が全然違う」


 ルーシーが腕を組んだ。


「安心せい」


 平坦な声が、机の上に落ちる。


「区画詰所長が横領で逮捕されること自体、本来ありえん。ま、ここでは詳しくは言わんがな。

 ――とはいえ」


 ルーシーが続けた。


「押印の経緯は確認しなければならん。イゼベル所長本人に、直接会って聞くのが最善じゃ」


 リュシアとリオスが、無言で頷く。

 フェリックスが額に手を当て、考える素振りを見せた。


「面会の名目が必要だ。横領の調査、では俺では動けない。

 ――殺人事件の関係で、証言を得る必要が生じた、という名目ならどうだろう」


 視線が一行を見渡す。


「異存はない」


 ルーシーが頷く。

 リオスは机の上の羊皮紙から目を上げ、フェリックスを見た。


「ひとつだけ」

「なんだか?」

「さっき聞きそびれたんだけど」


 黒い瞳が、真っすぐにフェリックスを向いている。


「どうして、そこまでするんですか?」


 部下が上司のために動く。

 理解はできる。


 しかし、命を賭けた算段を組み、ここまで踏み込む理由が、それだけで成り立つのか。


 問いが、場の空気を再び占めた。

 わずかに間があった。


 軽薄さとも、計算とも違う。

 男の顔の造作が、少しだけ人間的に緩んだ。


「……一応」


 フェリックスの目線が、横へ逃げた。

 首の後ろを、軽く手で撫でる。


「付き合っているので」


 室内が静まり返った。

 半拍遅れて、リュシアが口を開いた。


「……ちょっと待って」


 金色の瞳が、細くなる。


「詰め所でお尻を触ったりとか、セクハラだとか散々な噂が立ってたじゃない。あれって」

「……はい」

「イチャついてただけ?」


 長い沈黙。


「……そうなる」


 フェリックスが、明らかにばつの悪い顔で肯定した。

 革手袋の指先を、意味もなく合わせたり離したりしている。

 リュシアが額を手で押さえた。


「所長も所長よね……」

「そうじゃな」


 ルーシーが、珍しく感情のこもった声で同意した。

 室内を満たしていた重く張り詰めた空気が、霧散していった。


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