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【なろう版】魔国の勇者  作者: マルコ
幼年学校1年 :王都捕物帳

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内省院の探り合い

 扉が背後で音を立てた。

 金属製の錠が落ちる鈍い響き。

 分厚い壁が外部の空気を完全に遮断する。

 フェリックスに先導されて踏み入れた空間は、内省院の奥深くに設けられた特別取調室だった。


 リオスは歩みを進め、靴底の感触を確かめる。

 緋色の絨毯。

 深い毛足が足音も歩行の衝撃もすべて吸い込んでいた。


 室内は一見すると、上位貴族の豪奢な応接間のように設えられている。

 中央に鎮座する、精緻な彫刻が施された黒檀の机。

 純白の磁器に注がれた高級な茶が、細い湯気を立てている。

 柑橘の甘い香りが空間を満たしている。


 リオスの瞳が室内を見渡した。

 四方の壁の厚み。扉の位置。


(……窓がない)


 美しい牢獄。

 取調室という名目だが、リオスの肌が感じ取った印象は、それだった。


 リオスは革張りの深いソファの端に浅く腰を下ろし、足の裏全体を床に密着させた。

 出された茶には視線も向けない。


 向かい側では、フェリックスがソファの背もたれに深く体重を預けていた。

 布擦れの音が響く。

 平時と変わらない軽薄な笑みが、その口元に張り付いていた。


「さて、本題に入ろうか」


 フェリックスが前傾姿勢になり、一枚の羊皮紙を取り出した。

 正規の受理印が押された書類だった。

 乾いた紙の音が、音の消えた室内に際立つ。


 フェリックスの指先が羊皮紙の端を押さえ、黒檀の机の上を滑らせた。

 リオスの目の前で、それはピタリと止められる。


「薬屋での騒動、被害店舗と周囲から証言を取った」


 フェリックスの声は、不自然なほど芝居がかった響きを帯びていた。


「君とチンピラが、暴力沙汰を起こしていたそうじゃないか」


 一瞬の間が落ちる。

 フェリックスは薄く目を細め、言葉を続けた。


「そこへ颯爽と駆けつけたラカッフェ様が、危険を顧みず身を挺してチンピラを制圧し、事態を収拾した」


 両手を軽く広げ、大げさな身振りを見せる。


「素晴らしい手際だ。……この公式報告書にも、そう記されている」


 リオスは視線を落とし、羊皮紙の文字を1行ずつ目でなぞる。

 そこに書かれている事実と、自身の記憶の差異を照合した。


 ラカッフェが現場に到着した時点で、チンピラたちはすでに地面に転がっていたはずだ。

 リオス自身によって、意識を刈り取られていた。

 ゆっくりと顔を上げる。


「ラカッフェ部隊長が来た時には、もう全員倒れていたよ」


 リオスの声に、感情の揺れはない。


「それを自分の手柄に書き換えた。……そういうことなんじゃないかな」


 フェリックスが革の手袋を打ち合わせて軽く拍手をした。

 乾いた音が2回、室内に反響する。

 直後、フェリックスの顔から軽薄な笑みが完全に剥げ落ちた。

 眼輪筋の動きがピタリと止まる。瞳孔が収縮し、射抜くような鋭い視線がリオスを捕らえる。


「手柄を盛る程度はよくあることだよ。……だが、それはさておき」


 室内の空気が急激に質量を増した。皮膚を圧迫するような重圧が広がる。

 フェリックスの低い声が、容疑の筋書きを語り始める。


「君の殺人容疑が、晴れたわけじゃない」


 リオスの瞬きが止まる。


「君が被害店舗に多額の賠償金を払って、あのチンピラを釈放させた」


 フェリックスの視線が、リオスの全身を縛り付けるように固定された。


「その後、騒ぎの相手を暗がりへ呼び出して口を封じた。……そう考えるのが自然じゃないか?」


 取調室の空気が、氷のように固まる。

 呼吸の音すら響かない無音の空間。


 リオスは姿勢を一切崩さず、出された茶にも触れないまま、薄い唇を開いた。


「不合理だよ」


 淡々とした少年の声が、張り詰めた空気を切り裂く。


「もし僕が彼を殺したかったなら、薬屋で襲われたあの時に殺せばよかったんだ」


 リオスの言葉には、確固たる芯が通っていた。


「正当防衛が成立する状況で殺さず、わざわざ自分の金で釈放させてから暗殺する?」


 語尾を短く切り捨て、相手の反応を待つ。


「リスクと手間の計算が合わないと思うな」


 フェリックスは引き下がらず、机に身を乗り出した。上体を前のめりにし、距離を詰めてくる。


「薬屋では目撃者が多すぎた」


 凄みのある声が、リオスの鼓膜を打つ。


「だから裏で始末した、という見方もできるが」


 リオスは短く息を吐き、話題の起点をずらす。


「あのチンピラが捕まった時に言った言葉、記録されているかな?」


 フェリックスの眉が、ピクリと動いた。


「何のことだ?」

「連行される際、彼はこうこぼしていたんだ」


 当時の記憶を、音声として再生する。


「……話が違うじゃねぇか」


 フェリックスの右手の指が、膝の上でぴたりと止まる。


「あの言葉は、僕に向けられたものじゃない」


 相手の微小な反応を、一つ残らず視覚に収める。


「彼らは事前に誰かと打ち合わせをしていて、その通りにならなかったから、ああ言ったんだと思う」


 論理の刃が、喉元へ迫る。


「つまり、彼らは誰かに雇われて、あそこで暴れていたんじゃないかな?」


 フェリックスの呼吸が、ほんの一瞬だけ不自然に浅くなった。

 リオスはさらに一歩、思考の深淵へと踏み込む。


「そして、そんな口が軽い人間が釈放された後」


 黒い瞳が、フェリックスの瞳孔の開きを逃さない。


「『話が違った。ひどい目に逢った』と誰かに漏らしたら、一番困るのは誰だろう?」


 言葉の重みが、密閉された空間の底へと沈み込んでいく。


「口封じにチンピラを殺す動機が、十分にある人間が他にいる」


 リオスは首を浅く傾け、最後の一矢を放った。


「違うかな?」


 数秒の沈黙が落ちた。


 不意に、フェリックスの胸の奥から空気が漏れるような音がした。

 直後、腹の底からの笑い声が室内に弾ける。


「はははっ、あはははは!」


 肩を激しく揺らし、フェリックスが天井を仰ぐ。


(……演技じゃない)


 リオスはその笑い声の振動を肌で感じ取りながら、そう推測した。

 初めて作り物ではない、生身の感情が外に溢れ出していた。

 笑いがおさまるまで、身じろぎ一つせずに待つ。


 フェリックスは目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、大きく息を吐いた。


「誰が犯人だと思う?」


 試すような視線が、再びリオスへ向けられた。

 リオスは一瞬だけ視線を宙に泳がせ、思考を整理した。


「ラカッフェ部隊長、じゃないかな」


 迷いのない声が響く。


「手柄を盛るだけでなく、最初から自作自演で功績を水増しした」


 パズルの最後のピースが、音を立ててはまる。


「そのためにチンピラを雇い、それが表ざたにならないように、口を封じた。……辻褄が合うと思う」


 手柄を盛る程度はともかく、自作自演と暗殺は衛兵の根幹を揺るがす大問題となる。

 フェリックスの全身から、それまで纏っていた見えない棘のような緊張感が抜け落ちた。

 ソファに深く沈み込み、長い息を吐き出す。


「……降参だ。恐ろしい子供だよ、君は」


 口調から、余分な装飾が削ぎ落とされていた。


「保釈金も払われていない。書類をでっち上げた偽の取引だ」


 真実の欠片が、次々と机の上に並べられていく。


「辻褄を合わせるために、イゼベル所長の横領に見せかけるよう工作までしてね」


 フェリックスの目が、再び刃のような鋭さを取り戻す。


「イゼベル所長の筆跡を模した文書が証拠に使われたが、よく見れば本人の筆跡とは明確に異なる」


 自らの指先を見つめ、自嘲気味に口の端を歪める。


「そもそも、書類の類は僕が作っていたんだ。イゼベルの筆跡のわけはない。

 ついでに、あんな見事な偽装書類を彼女が作れるはずもない」


(……外側から力を引き込むつもりだったのか)


 フェリックスの当初の目的が、リオスの脳内で完全に組み上がる。

 平民の衛兵部隊長が、貴族の血を引くラカッフェの罪を正面から告発しても、まず握りつぶされる。


 だからこそ、大魔将バルトロメイの息子であるリオスを不当に拘束したのだ。

 親の激怒を誘発し、王都へ強権を発動させる。

 大騒動の中で詰所全体に大掛かりな調査が入れば、ラカッフェの罪も明るみになり、イゼベルの冤罪も暴かれる。

 だが、捨て身の算段だ。

 フェリックスも無事ではすまない。首が飛ぶはずだ。物理的に。


 フェリックスの肺から、深く重い息が漏れる。


「……親の威光を笠に着ただけの子供だと思っていたよ」


 その目には、敗北感と、新たな希望の火が混在していた。


「まさか、これほど頭が回るとは。失礼した」


 フェリックスがゆっくりと立ち上がり、机を挟んでリオスを正面から見据える。

 先ほどまでの軽薄な男の顔は、そこには一切残っていない。


「リオスくん」


 声が、一段低く、太くなる。


「ひとつ、頼みがある。……僕と手を組んで、イゼベル所長を助けてほしい」


 イゼベルの冤罪を晴らすため。

 自分1人の力では内側から動くことは不可能に近い。

 ラカッフェは貴族の上役と深く繋がっている。


 フェリックスはそこで言葉を区切り、リオスの返答を待つように口を結んだ。

 リオスはソファから立ち上がることはせず、ただ相手の顔を見上げた。


「でも」


 純粋な疑問を、そのまま声に乗せる。


「どうして、そこまでするんですか?」


 リオスは、イゼベル所長が何者かは知らない。

 それでも、フェリックスの上司ではあるだろうと当たりをつけた。


 しかし、上司と部下という関係であっても、命すら失う危険な賭けをするだろうか?

 そこまでの強い動機が、単なる忠誠心だけで成り立つのか?


 そんな疑問をリオスは口にしていた。


 フェリックスの顔の筋肉が、微かに緩む。

 作り物の笑みでも、自嘲の歪みでもない。

 隠しきれない人間臭さが、男の目元と口元に滲み出る。

 フェリックスが短く息を吸い込み、答えの言葉を紡ごうとした。


 その瞬間。


 背後の扉が、乱暴に叩かれた。


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