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【なろう版】魔国の勇者  作者: マルコ
幼年学校1年 :王都捕物帳

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109/114

王都の殺人事件

 午前中に降り注いだ雨は、すでに上がりきっていた。

 頭上には、分厚い灰色の雲が淀むように広がっている。


 連日肌を焼いていた猛暑を遮るカーテンだ。

 そう思えば、この薄暗さも決して悪くはない。


 フィノアは石畳の上に立ち、背筋を伸ばしていた。

 制服の乱れはなく、その視線は前方へ固定されている。

 その眼差しは、幼年学校の堅牢な正門を捉えていた。

 リオスの授業時間が終わる時刻だ。

 各家の従者たちが続々と集まり始めている。


 彼女らは皆、こうして主人の帰還を待つのだ。

 先ほど、シエラがリリュアを伴って帰路に就いたばかりだった。

 彼女が去り際に残した言葉が、フィノアの耳に残っている。

 今日のリオスは、決闘の予定が2件しか入っていない。だから、すぐにここへ姿を見せるはずだ。


 フィノアは肺の空気を細く吐き出した。

 主の予定がどれほど遅延しようとも、時間が来ればこうして待ち続けるのが、彼女たち従者の絶対的な務めである。


 リュシアなどは、事前の連絡もなく別経路で姿を消すことが多々ある。

 彼女の従者であるアンナは、常日頃からその奔放さに振り回され、苦労を強いられている。


 平穏なフィノアの日常空間。

 その静寂を、不快な靴音が無遠慮に叩き割った。

 金属の踵が、硬い石畳を無慈悲に擦る。

 鼓膜を刺すような、甲高い摩擦音。

 ひとつの背の高い影が、フィノアの視界の端を塞いだ。


 王都衛兵の制服だった。

 生地の表面には、不自然なほどに皺1つ存在しない。

 衛兵特有の、擦り切れた革の生々しい匂いがない。

 現場の泥臭い土の匂いすら、完全に欠落していた。

 代わりに、甘く濃厚な香水の匂いが漂ってくる。

 その人工的な香りが、周囲の湿った空気を汚染していった。


「こんな所で待ちぼうけかい。美しいエルフのお嬢さん」


 軽薄に響く声が、フィノアの鼓膜を打つ。


「よければ、少しお話したいのだがね」


 男の口角は、三日月の形に鋭く釣り上がっていた。

 フィノアは表情筋を一切動かさず、視線だけを斜め下へ落とした。


 深い沈黙。


 それは、明確な拒絶の意志表示だった。

 しかし男の足先は、一切の躊躇を見せない。

 彼女のパーソナルスペースへと、遠慮なく踏み込んでくる。

 男の革靴が、フィノアのつま先まで数センチの距離に迫った。


「彼女は僕の大切な従者だから、あまり困らせないでほしいな」


 男の続く言葉を遮るように、声が響き渡った。

 靴底が石畳を打つ音が、1度だけ鋭く鳴る。

 リオスが歩みを進め、フィノアと男の隙間へ滑り込んだ。

 男の視線が、頭上からリオスの頭頂部へと落ちてくる。


 舞台役者のようだ。

 それが不意に現れた男に対するリオスの第一印象だった。

 とにかく、顔の造作が整っている。

 役者のように作り込まれた、左右対称の(かお)だった。


 男はリオスを見るや否や、素早く懐へ手を入れ、何やら1枚の紙を取り出す。

 手元の紙と、眼前の少年を交互に見比べる。

 その些細な仕草すら、ひどく芝居がかって見えた。


「おや、君はもしやリオスくんかい?」


 男が、大袈裟に両手を広げてみせる。

 腰に巻かれた剣帯が揺れた。

 鈍い金属音が、周囲の空気を震わせる。


「従者を連れているということは、貴族の子供か。

 で、この娘はキミの従者――と。いやはや、偶然とは恐ろしい」


 白々しい言葉の羅列が、宙に浮く。

 リオスは口角を引き上げ、息を吐いた。


 目的はフィノアではない。

 最初から、自分を待っていたのだ。

 リオスは1度、顎を引いた。

 男は、胸に付けた記章を指の腹で軽く叩いた。


「俺は王都衛兵のフェリックス。

 これでも部隊長だ。以後お見知りおきを」


 フェリックスは、再び靴の踵を鳴らした。

 濃厚な香水の匂いが、さらに強く鼻腔を突いてくる。


「実は数日前、商業区の薬屋で少しばかり派手な騒動があってね」


 リオスのまぶたが細められる。


「まぁ、騒動そのものは、同じ部隊長のラカッフェ=フェルスバルト様が()()()()()()()()そうなんだ」


 フェリックスの口角が、さらに高い位置へと吊り上がる。


「見事な手際だったみたいだよ。貴族様は、流石だね」


 リオスは、自らの手のひらに残る感触を思い出した。

 獣人の硬い鳩尾を、素手で打ち抜いた瞬間の記憶。

 骨を折らないよう、細心の注意を払った。内臓を潰さないよう、力を精密に制御した。

 意識を刈り取った、あの鈍い衝撃の感触。

 彼らが「耐久テスト」と称して、店の油瓶を次々と割っていた不快な光景が脳裏をよぎる。


 沈黙を保つリオスを見下ろし、フェリックスが半歩だけ距離を詰めた。


「ただ、少しばかり厄介なことになってね」


 フェリックスの声から、突然、すべての抑揚が消え去った。


「捕らえたチンピラたちは、なぜかすぐに釈放されたんだ」


 フェリックスは、大袈裟に肩をすくめてみせる。


「白昼堂々の騒ぎで目撃者も多かったはずだが、どういうわけか、ね。

 どこかの誰かが、被害店舗に多額の賠償金を払ったのかね?」


 男の首が右へ傾く。


「俺も詳しい事情は知らないんだがね。ただ――」


 革の擦れる音が鳴った。

 フェリックスの腕の動きに追従して響く、乾いた音。


「釈放された直後、チンピラの1人が、路地裏で強盗に遭ったようでね」


 男が再び懐に手を入れ、別の紙をだした。


「運悪く、冷たい肉塊になっていた」


 取り出された紙に描かれていたのは、粗い筆致の似顔絵。

 先日の騒動を起こした、チンピラの1人だ。


 リオスは、彼ら全員の顔など記憶していなかった。

 だが、その特定のチンピラだけははっきりと覚えていた。


 ――話が、違うじゃねぇか。


 その異質な言葉の響きが、耳にひっかかっていたのだ。

 だからこそ、顔を覚えていた。

 そのチンピラが、死んだ。

 いや、状況から判断すればおそらくは――殺された。

 リオスの眼差しが、剥き出しの刃のように固定された。


「殺人事件の参考人ということで、君に少し話を聞きたい」

「無礼ですよ!」


 張り詰めた静寂を切り裂くように、フィノアの鋭い声が響いた。

 硬質な声音が、石畳の上に重く落ちる。

 主の傍らで気配を完全に消していた従者が、勢いよく1歩前に出た。


「こちらにおわすのは、グリムボーン家のご子息です」


 フィノアの紫色の瞳が、フェリックスの顔面を鋭く射抜く。


「その方を殺人事件の参考人などと、到底承服できかねます」


 フェリックスの顔面から、わざとらしい笑みが滑り落ちた。

 貼り付けたような軽薄な表情が、一瞬にして剥がれ落ちる。

 周囲の空気が、急激に質量を増して重く沈んだ。


 演技を止めた――

 リオスはそんな印象を受けた。


 フェリックスの双眸が、眼前のフィノアを見下ろす。顔の筋肉は全く動いていない。

 声のトーンが、地を這うような低い周波数へと急降下した。


「グリムボーン家の直属や、正妻の御子息ならいざ知らず」


 男の顎が上がる。


「妾の子と、その個人的な従者であれば、俺の方が、立場は上だ」


 吐き捨てられた言葉が、フィノアの鼓膜を容赦なく打つ。

 互いの物理的な距離は、先ほどから一切変わっていない。

 だが、フェリックスの呼吸が深く、長くなった。


 自分たちのことを、かなり綿密に調べているようだ。

 リオスは小さく息を吐き、右手を上げた。

 フィノアの肩の前に、自らの細い腕を差し出す。


「下がっていいよ、フィノ」


 澄んだ声が、周囲に響いた。


「僕は、彼についていくから」

「リオス様……!」


 フィノアの瞳が、激しい焦燥に揺れる。

 硬く結ばれた唇の隙間から、押し殺したような吐息が漏れ出た。


「屋敷に帰って、待っていてくれるかな」


 リオスは、普段と変わらない視線を向けた。

 主の確固たる眼差しを真正面から受ける。

 フィノアは抵抗を諦め、深く頭を下げた。


「……畏まりました」


 押し殺した震える声が、硬い石畳の間に吸い込まれていく。

 フェリックスの口角が、再び三日月の形に不気味に吊り上がった。


「話が早くて助かるよ、リオスくん」


 軽薄な声色が、男の喉の奥から瞬時に蘇る。


「では、ゆっくり話せるところにご案内しようか」


 男が背を向け、悠然と歩き出す。

 リオスは1度も振り返ることなく、その後ろ姿を追って行った。


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