王都のごろつき
石畳の照り返しが、足裏へ刺さる。靴の中に逃げ場のない熱。
歩けば歩くほど、汗だけが増えていった。
リオスたちは額を拭い、大通りから脇道へ折れた。
路地へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。日陰の湿り気――肌に貼りつくのに、さっきまでの灼ける膜よりはまだましだ。
そこへ香料の匂いが薄く混ざり、前方から、くぐもった喧騒が滲んだ。
(……なんだ?)
歩みが止まる。ヴィーゼルとカゲトラも口を閉ざし、周囲へ視線を走らせた。
「ねえ、なんか騒がしくない?」
頭上を飛ぶユルルが羽ばたきを弱め、路地の奥を覗き込む。
「目的の店、あの角を曲がった先なんだけど……」
フリージアが橙色のウェーブヘアを揺らし、指先で角を示した。
カイサも緑の鱗に覆われた尾の先端を揺らす。落ち着かない、と言いたげに。
一団は足音を抑え、路地の角を曲がった――その先で、少女たちの動きが止まった。
「あ……」
ユルルの喉から、掠れた声がこぼれた。
路地の奥にある、こぢんまりとした構えの薬屋。そこが今日の買い物の本命だった。
良質な香油を扱うと聞き、ユルルたちが何度も話題にしていた店だ。
香りのいい瓶を選ぶ光景まで、きっと頭のどこかで描いていたはずなのに。
だが入口は無残に荒らされている。数人の大柄な魔族が、店先を塞ぐように立っていた。
粗末な革鎧を着崩し、肩や腕の筋肉を見せつける格好。
そこにまとわりつく酒と獣の汗の臭いが、香油の甘さへ乱暴に被さってくる。
「景気よく割れるじゃねえか! ええ!?」
怒声が路地に反響した。次の瞬間、男の一人の足が木箱を蹴り飛ばす。
ガシャン。
割れたガラス片が石畳へ散り、琥珀色の液体が筋を引いて流れ出した。
甘い香りが一気に膨れ、鼻の奥を刺す。良いはずの匂いが、いまは攻撃的に強い。
踏みにじられた香油の匂いに、ユルルの顔が強張った。
リオスは目を細める。男たちの足運びと手元――棍棒の握り方、立ち位置。
(……タチの悪い連中だな)
紙袋を持つ手に、じわりと力が入る。
「ひっ、や、やめてくれぇ……!」
老店主の悲鳴が空気を震わせた。店の中でも数人が暴れている。
棚が蹴り倒され、商品が床へ叩きつけられ、香油の瓶が転がって液が混ざり合い床を汚していく。
香りが、濁る。混ざって、わけがわからなくなる。
リオスは連中の身なりを観察した。派手な柄のシャツ。あちこちに鋲を打った、ちぐはぐな革鎧。
(……グリムボーン領の賊とは違うな)
装備は実用性より、威嚇の飾りが先に立つ。
フォールム王国から流れてきた国外の魔族でもない。
王都の裏通りに巣食う、ごろつきだ。
なら、言葉は通じる。
リオスは割れたガラス片を踏む音にも眉を動かさず、店先へ歩み寄った。
「ねえ、お兄さんたち」
破片を靴底で踏み越え、声をかける。声量は上げない。上げなくても届く距離だ。
「どうして店を荒らしているの? この店主に、何か酷いことでもされた?」
商品の不備か。接客への不満か。
ここまで荒らすのなら、相応の恨みがあるのだろう――リオスはそう当たりを付けた。
一番近くにいた獣人の大男が、鬱陶しそうに振り返る。
カゲトラに勝るとも劣らない、強面だ。
「あぁ? なんだガキ。……見せ物じゃねえぞ」
太い鼻息。分厚いブーツが、足元の香油の瓶を踏み砕く。
ジャリ、と硬い音が響いた。
「恨み? ハン。そんな大層なもんじゃねえよ」
黄ばんだ歯を見せ、顎で老店主をしゃくる。
「ただ、この店が、あまりにも不用心だからな」
「不用心?」
「そうよ。見てみろ、この脆い棚に、薄いガラス。
こんなボロ屋で商売してたら、いつか事故が起きちまう」
男は太い棍棒で柱を叩いた。コンコン、と乾いた音が鳴る。
壊しているのに、理屈だけは整えて見せる。
「だから俺たちが、親切に耐久テストをしてやってるのさ。なぁ、爺さん?」
ドカッ、と空箱が蹴り飛ばされ、木片が宙を舞った。
取り巻きが下卑た笑いを上げる。
「ほらな、すぐに壊れる。こんな隙だらけの店じゃあ、客も安心して買い物できねえだろ?」
男はリオスを見下ろし、頬の傷を歪めた。
「俺たちは危機管理の甘さを教えてやってるだけだ。
……感謝こそされ、恨まれる覚えはねえよ」
「……なるほど」
リオスは短い息を吐く。
ここで怒鳴れば、相手の土俵になる。
「つまり、故意に壊しているわけだね」
「ああ? だから耐久テストだって――」
「盗みや破壊を行った場合、現物補償か、被害額の倍額を支払わせる」
王都の定めを、そのまま口にした。
「壊された店内を見る限り、香油や薬はかなり高そうだ。
……君たちに払えるのかな?」
「何だと!?」
男が目を血走らせて凄む。背後で下っ端の一人が慌てて口を出した。
「あ、兄貴! やばそうなのが一緒にいますぜ……」
震える指が、リオスの背後を示す。ヴィーゼルとカゲトラだ。
「あぁ?」
リーダーの獣人は二人を一瞥し、鼻で笑って手下を怒鳴りつけた。
「馬鹿野郎! あんな童顔な子どもにビビってんじゃねぇ!」
「……童顔?」
ユルルとフリージアの口から、間の抜けた声が漏れた。
ふたりだけではない。ヴィーゼルとカイサも、まじまじとカゲトラの顔を見つめる。
猫系の獣人が童顔なのか、基準が掴めない。
「同族からは、童顔に見えるのかな……」
「妙な知見を得たわね」
場違いな囁きが交わされる。
ふっと緩んだ空気――その隙を、相手が潰しに来た。
「おいガキ共! 痛い目見ねえと分からねえみたいだな!」
苛立ったリーダーが怒鳴り、下っ端たちが一斉にリオスへ襲いかかった。
「リオスくん、やっちゃって!」
ユルルが明るい声で背中を押す。本人たちは、もう離れて避難モードだ。
(……また衛兵に叱られるかもしれないな)
重い吐息が、胸の奥で溜まった。
とはいえ、向かってくる以上、対処は避けられない。
ここで躊躇すれば、店がさらに荒らされる。
リオスは軽く地面を蹴った。
先頭の男の拳が振り下ろされる――風を切る音が耳を掠める。
半身になって外し、その腕を掴む。
足を引っ掛け、体重を預けて床へ転がした。
棚や商品に、これ以上の被害を出してはいけない。
骨を折らぬよう、内臓を壊さぬよう。
まだ治癒魔法に自信はない。
力を絞って急所へ当て、意識を刈り取る。
二人目の懐へ滑り込み、首筋へ手刀を落とした。
硬い肉を打つ感触が掌に残る。
男の白目が剥き、声も上げられず崩れ落ちた。
次も、その次も――同じように。
「なっ、てめぇ……!」
残ったのは、リーダーの大柄な獣人だけだ。
血走った目でリオスを睨み、腰から短刀を抜き放つ。
かなり短絡的なヤツだ。
「死ねえっ!」
獣の咆哮とともに、銀色の刃が顔面めがけて突き出された。
リオスは視線を刃先へ固定し、軌道を読む。
鼻先へ届く寸前――首を傾けて外した。
勢い余って男の体が前のめりになる。その瞬間、隙が開く。
下から手首を蹴り上げた。
靴先が短刀を握る手首を打ち上げる。
「ガアッ!?」
骨の軋む音。痛みに指が開き、短刀が宙を舞った――カラン、と乾いた音を立てて床へ落ちる。
ガラスの散った石畳の上で、刃だけが冷たく光った。
リオスは間合いを詰め、鳩尾へ掌底を叩き込んだ。
肉が沈む、重い手応え。
「あ、ぐ……」
肺から空気が絞り出され、巨体がドスンと床へ崩れ落ちた。
騒ぎが途切れた。
「おお……」
「やっぱりリオスくん、強いなー」
背後から、ユルルたちののんきな声が届いた。




