衛兵詰所の剣戟
夏の熱を残した石畳が、昼の名残をじりじりと返していた。
頬を撫でる風は生温い。
磨り減った石の継ぎ目に溜まった砂が、靴底の圧で微細な土煙を上げた。
ここは王都衛兵の詰め所、その中庭だ。
周囲を囲む煉瓦の壁には、窓枠から身を乗り出した者たちの影が並ぶ。
誰もが無言だった。
ただ視線だけが鋭く、地面へ縫い留められている。
汗と鉄、乾いた土の匂い。
その淀んだ空気を、剣が擦れ合う音が裂いた。
輪を作った衛兵たちが、呼吸を合わせて間合いを測っている。
革の胸当てが軋み、鉄の鎖帷子が波打つたび、陽光が粒のように跳ねた。
腰の剣帯は外されている。代わりに手にした模造剣の柄には、すでに手汗が滲んでいた。
輪の中心に立つのは、幼年学校の少女がふたり。
リュシアとルーシーだ。
ふたりが手にしているのも鉄の模造剣である。
柄の革紐は使い古され、刃の根元には無数の打痕が刻まれていた。
リュシアの剣先は微動だにしない。
背中を預けたルーシーの構えは、まるで一本の槍のように一直線へ伸びていた。
先手は衛兵側だった。
3人が扇のように広がり、左右から同時に踏み込む。
靴音が揃い、石畳を蹴る音が一度だけ鋭く響いた。
刃先が走り、風が鳴る。
リュシアは前へ出ず、半歩だけ斜めに退いた。
踵が石の継ぎ目を捉え、身体全体が流れるように傾く。
視線は動かない。
剣だけが、腰の捻りに引かれて弧を描いた。
リュシアの剣が左の一撃を叩き落とす。
金属が噛み合い、衛兵の刃が石畳へ向けて弾かれた。
衝撃を利用し、右から伸びた刃も横へ逸らす。
金属の火花が散った。
衛兵の指が痺れ、柄が跳ねる。
指が一瞬ほどけ、剣の重心が肩から外れた。
それだけで、次の動きは潰される。
そこへルーシーが滑り込んだ。
低い軌道の突き。
狙いは胸ではなく、肘。
剣先が鎧の隙間――関節を守る革の継ぎ目を的確に捉えた。
鈍い音が響き、衛兵の腕が内側へ折れる。
重心を崩した衛兵が膝をつき、次の瞬間、背の取っ手を引かれたように仰向けに倒れた。
背中が石畳を打つ。
肺から空気が押し出される音が、輪の外まで響いた。
斬り結ぶ間の数呼吸だけ、ふたりの会話が交わされる。
夏季休暇中に起きた出来事を、訓練の合間に切り分けて伝え合っていた。
王都を離れていた間に動いた火種、急に村を興すことになった事情――そんな話題だ。
「なるほどのう、急に村を興す羽目になったのは、そういうことなのじゃな」
背中合わせのまま、ルーシーが言った。
声は低く、呼吸は乱れていない。
肩甲骨がリュシアの背に触れ、互いの体温が薄い布越しに伝わっていた。
「いっそ、攻め込んだ方が良いんじゃないの?」
リュシアがなんでもないことのように、フォールム王国への侵攻を口にする。
実際、国内でもかの国の実情を知る者たちから、今こそ攻めるべし――という開戦論は少なくない。
「飢饉でボロボロの領地を切り取っても、維持が厄介なだけなのじゃ」
リュシアは「それはそうね」と短く返し、その案を引っ込めた。
魔王が検討していない話なわけはない。
今なお攻め込んでいない以上、相応の理由があるのだろうと察する。
会話は打ち合いの隙間に挟まれ、刃が噛み合うたびに途切れた。
周囲の衛兵には聞かれていない。
聞くほどの余裕など、彼らにはなかった。
次の波が来る。
衛兵が5人、タイミングを揃えて雪崩れ込んだ。
正面が押し、横が刃を差し込む。
それぞれ喉元や脇腹を狙っていた。
足音が重なり、踏み込みの圧が地面を揺らす。
背後からは柄で殴る構えまで見せていた。
剣を逆手に持ち替え、柄頭を拳のように握り締めている。
リュシアが足を踏み替え、輪の中心から外周へと軌道を変えた。
背中がルーシーから離れ、身体が一瞬、宙に浮くように軽くなる。
靴底が石の角を蹴り、砂が薄く舞い上がった。
狙いが滑り、衛兵の刃が互いの肩をかすめる。
乱れた瞬間、ルーシーの剣が走った。
柄で顎を跳ね上げ、返す刃で鳩尾へ。
刃の腹が胸当ての革を打つ。防具で覆われた場所を、容赦なく打ち据えてゆく。
衛兵の喉から空気が抜け、身体が折れた。
呻きにもならない息が漏れる。
ふたりの足運びが揃い、一つの生き物のように動いた。
剣先が描く軌跡は途切れず、衛兵たちの視界を縫うように交差する。
打ち込む者は踏み込みの途中で足場を失い、受けに回る者は受けた瞬間に腕ごと持っていかれた。
剣が噛み合う音が連続し、火花が石畳の上で散る。
最後に残った衛兵が、意地で突き込んだ。
刃が胸元へ伸びる――その直前。
リュシアの剣が斜め上から落ち、刃を絡め取った。
剣先が交差し、柄が手首の内側へ食い込む。
金属のうなり。
鉄が軋み、柄を握る手が震えた。
続けてルーシーが一歩、重く踏み込み、肩口へと剣を叩きつける。
衛兵は崩れ、膝から石畳へ座り込んだ。
剣が手から滑り落ち、石の上で乾いた音を立てる。
中庭に転がるのは、息を荒くする大の大人たちばかりだった。
肩で息をし、汗が顔を伝い、鎧下に染みを広げている。
誰もが地面を見つめ、立ち上がる気配はない。
輪の中心で、少女ふたりが模造剣を下ろした。
汗の粒が光り、刃の縁が夕の色を拾っている。
リュシアの呼吸は深く、ルーシーの肩が小さく上下していた。
それでも、ふたりの足元には乱れがなく、強固に地面を捉えている。
輪の外がざわめきかけた、その時だった。
石畳の照り返しとは別の影が、中庭へ滑り込んだ。
へらへらと笑う人間の男だ。
手を振る仕草だけは愛想がいいのに、目は笑っていない。
汗臭い空気を吸い込みながら、不快な緊張を薄い冗談で包むような歩き方だった。
袖口は妙に整っている。
革の擦れも土の染みもなく、布地の皺すら計算されたように軽い。
服装こそ衛兵の制服だが、その着こなしと雰囲気が場違いな軽薄さを醸し出していた。
この男の名はフェリックスという。
「おーい、イゼベル。迎えだぞ。……また殴り合ってたのか?」
衛兵の何人かが眉をひそめた。
呼ばれた名に、視線が地面へ走る。
倒れ込んだ鎧の塊のひとつが、むくりと起き上がった。
小柄な体格。
鎖帷子の肩が、他より少しだけ細い。
その者は面頬を外し、汗で額に張り付いた前髪を払った。
露わになったのは、幼い輪郭に似合わぬ、硝子細工のように無機質な瞳だった。
イゼベル=フェルスバルト。
ドワーフの女で、この詰所の長だ。
「もうそんな時間なの? ……面倒ね」
イゼベルは短く吐き捨て、模造剣を地面へ置いた。
手袋を外し、掌の赤い擦り傷を一瞥する。
フェリックスの方へ進む足取りに迷いはなかった。
「続きは明日。倒れた人は起きて。水分を取って、肩を回す。――死なないでよ」
言い置くと、イゼベルはフェリックスの脇を抜けた。
すれ違いざま、フェリックスの手がイゼベルの腰をなぞる。
革の上を滑り、臀部の丸みへ指が沈んだ。
パシン、と乾いた音がした。
イゼベルが手の甲を叩き落とし、歩みを止めずに行く。
フェリックスは指を振って痛みをごまかし、懲りない笑みで肩をすくめると、ひらりと手を上げて追った。
ふたりの背が通用口の影へ吸い込まれる。
残された衛兵たちは、しばらく息を忘れた顔で見送っていた。
次に動いたのは、倒れたままの男の舌だった。
「……今の見たか?」
「毎度のことだ。ああいう真似、詰め所で何回目だよ」
「冗談で済ませられる顔してんのが腹立つ」
誰かが鎖帷子の留め具を外し、汗をぬぐった。
視線は通用口へ向けたまま、声だけを落とす。
「所長も、何回もやられて、何でクビにしねえんだ」
「できねえ理由があるんだろ」
「弱みでも握られてるのか?」
「口利きの線もある。あいつ、顔が広いって噂だ」
別の衛兵が鼻を鳴らした。
「ああ、広いだろうな。あちこちで女ひっかけてるし」
そんな衛兵たち……主に男性陣の愚痴を、女性陣たちは肩をすくめて見ているのだった。




