骨のパズル
「これから、治療をはじめるわ」
リュシアの声が、静寂を破った。
リオスが一つ、小さく息を吐く。
少年らしいあどけなさが消え、職人のような集中がその横顔に宿る。
傍らのシエラも、緊張を滲ませて頷いた。
「リオス、シエラ。それにウェルティアも聞きなさい」
金色の瞳が、部屋にいる全員を見回す。
「治療魔法といっても、基本は身体強化の延長だと思っていいわ」
流れるような所作で、リュシアはウェルティアへ向き直った。
「ウェルティア、貴女は身体強化を使えるかしら?」
「いえ……。私は騎士としての訓練ばかりで、魔法には触れてこなかったのです」
ウェルティアは首を横に振る。
申し訳なさと、自身の無力さが胸を刺す。
「やっぱりね。そんなことだろうと思ったわ」
リュシアは呆れたように肩を竦めた。
「けれど、騎士なら身体強化と治療魔法の基礎は覚えて損はないわ。
たぶんだけど、身体強化は無意識に使ってるわよ」
無意識。
その言葉に、ウェルティアは眉を寄せた。
自分が魔法を使っているなど、考えたこともない。
だが、否定する言葉も持てなかった。
「実戦で使える威力の攻撃魔法はともかく、身体強化や怪我を治す程度の治癒魔法なら、学べば誰にでも使えるものよ」
リュシアの唇が、艶やかに弧を描く。
「今日のところは、私たちが教えるところを見聞きしていなさい」
「はい。心得ました」
「今はわけがわからなくても、覚えておけば後で意味がわかるから」
言い置くと、リュシアは寝台へ歩み寄った。
その視線が、患者を見る冷徹なものへと切り替わる。
「まずは、肩と脚の状況をおさらいしましょう」
横たわるティナを、金色の瞳が観察する。
「肩は骨が完全に砕けてしまっているわ。再生させるには時間がかかる。
けれど、脚の方はそれに比べればはるかに状態がいいわ。
だから、先にこちらを治療するわね」
躊躇いはなかった。
リュシアの指が、ティナの衣服を無造作に避ける。
固定されていた副木が取り去られた。
白い。
戦場に似つかわしくないほど、滑らかな曲線の脚が露わになる。
「なっ……!?」
ウェルティアが息を呑み、慌てて視線を彷徨わせた。
「リュ、リュシア様! リオス様もいらっしゃる前で、このような……」
「何を言っているの」
リュシアは平然と言い放つ。
「彼女はリオスのモノなのだから、隠す必要なんてないでしょう?」
当然の理屈だとでも言うように。
ティナもまた、恥じらうどころか、潤んだ瞳でリオスを見上げている。
「私も、リオス様なら……見られても問題ありません」
「そ、そうですか……」
ウェルティアは絶句した。
(……リオス様の愛人というのは、方便ではなかったのか!?)
動揺が、さざ波のように胸中に広がる。
だが、それを口に出すことは許されない。
「リオス、シエラ。ティナの脚に触れなさい」
リュシアの指示が飛ぶ。
「魔力を流し込み、骨の形を感じるの。骨折している箇所を、魔法で察知するのよ」
「わかった。やってみるよ」
リオスが動いた。
ティナの左脚、その柔らかな太腿に、掌を置く。
吸い付くような肌の感触。
微かな熱が、指先を通して伝播する。
シエラも反対側の脚に手を添えた。
二人は瞼を閉じ、己の魔力を細い糸のように紡ぎ出した。
ティナの体内へ、滑り込ませるように。
指先から滲んだ魔力が、皮膚の上を薄い膜のように這う。
体表を撫でる流れが、肉の内側へと沈んでゆく。
最初に拾ったのは、筋の束。
繊維が束ねられ、張りを持って走っている。
引けば跳ね返る弦の感触だった。
その下に、脈があった。
血管は細い管となって通り、鼓動のたびに波を立てる。
さらに奥へ滑り込ませると、抵抗が変わる。
筋肉や血の流れが生身の肉だとするなら、その奥にあるのは硬質な芯——骨だ。
形が、暗闇を月が照らすように浮かび上がった。
表面の質感、角度、湾曲の癖まで、魔力が指先へ返してくる。
リオスの眉が寄り、シエラの睫毛が震えた。
骨の連なりを辿っていくと、途中で輪郭が途切れている。
関節ではない、不自然な断絶。
折れた、というより踏み砕かれた痕だ。
欠けた破片が押し込まれ、形の合わない継ぎ目が突き立っている。
2人はそこで流れを止めず、周囲を一周する。
砕けた箇所だけではなく、前後の健常な骨をなぞり、元の形を先に掴んだ。
そして、その形から外れた異物を拾い上げるように、破損部を洗い出す。
尖った破片、潰れた面、押し潰されて平たくなった輪郭――それらが、一本の骨であるはずの形を裏切って並んでいた。
「リュシア姉様、こちらは1か所折れているだけみたいです」
「じゃあ、こっちの方が状態が悪いみたいだね。折れているというより、割れているみたいだ」
左右の脚の状態は、それぞれ異なっているようだった。
「正解よ。2人とも、よく視えているわね」
リュシアは満足そうに目を細める。
ウェルティアは、骨が割れているなど、もはや再起不能なのではと考えかけた。
それでもリオスたちや、なによりティナが動じていないことに気が付く。
それはつまり、治る、という確信を持っているということだ。
「次は、魔力を使って、骨を正しい位置に整えるイメージを持ちなさい。
これをやると痛みが走るから、鎮痛の魔法も一緒に使うものだけど、今は私がやるから、形を整えることに集中して良いわ」
その指示を受け、2人は集中を深めた。
魔力の手で、パズルを組み合わせるように、慎重に骨を誘導していく。
「そう、いいわ。最後は、身体の自然回復力を強化するの」
リュシアの声に従い、2人は一気に魔力を送り込んだ。
淡い光がティナの脚を包み込み、消えていく。
「……終わったよ」
リオスが手を離した。
「……本当に、治ってしまったのか?」
ウェルティアが、驚愕のあまりティナの脚を凝視する。
「ティナ、脚を動かしてみなさい」
「――はい」
ティナが脚を動かした。
足首を回し、膝を立て、戻す。
何度か動きを確認したのち、身体を起こし、シエラとリオスに支えられながらも寝台から立ち上がる。
そのまま自分の力で立って見せた。
「一度で成功させるなんて……
リオス様、シエラ様。本当にはじめてなのですか?」
「うん、はじめてだよ」
「私もです。リュシア姉様の教え方がわかりやすかったので」
2人の回答に、ウェルティアは呆然と立ち尽くした。
「ま、魔法というのは、誰でもこれほど簡単に扱えるものなのですか……?」
もはや、治癒の力が神の奇跡などではないということは疑いようもない。
それでも、これほどまでに容易に使いこなせるものなのかという驚きは大きかった。
「まさか。このレベルでこなすのは、この2人が特別だからよ」
リュシアは肩をすくめる。
「私だって、骨折の治療を覚えるのには何日もかかったわ。才能に、嫉妬してしまうわね」
そう言うリュシアは、言葉とは裏腹に誇らしげに2人を見つめていた。
◇
ティナの肩の治療は、その後、領軍の治癒術師たちの実技演習という名目で行われた。
砕けた骨の再生は、脚の骨折を接ぐよりも難度が高い。
リュシアも加わり、術師たちが慎重に魔力を流し込んだ。
バラバラになった骨の破片を拾い集め、本来の形へと再構築する作業が繰り返される。
連日の治療を経て、ティナの肩は完治に至った。
彼女は再び剣を握り、開拓村となった流民の拠点で、狩りと警備に身を投じている。
開拓村は、名目上は「リオスの愛妾」のティナのための村となるが、実態としてはウェルティアが率いることとなる。
周辺警戒のための領軍の詰め所も兼ねることになるので、周辺の治安も落ち着くことだろう。
季節が巡り、熱を帯びた空気が引いていく。
リオスたちは、王都へと戻る馬車に揺られていた。
車窓の外には、往路よりも深く、濃い緑に彩られた景色が流れていく。
日差しは勢いを失い、空の青が一段と高くなった。
新しい季節の気配。
馬車の車輪が立てる音と共に迫っていた。




