0:絶望の淵に現れた“魔”の救い
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薄暗い洞窟の奥深く、松明の火だけがゆらめき、その頼りない光が壁に奇妙な影を踊らせていた。
質が悪く、ただ木を適当に切っただけの松明は、煙と刺激臭を撒き散らしている。
しかし、その鼻を突く煙の臭いなど、ここでは取るに足らなかった。
男たちの汗の、むせ返るような生臭さが洞窟に充満していた。
そして、それに混じり合う、甘く、それでいて吐き気を催すような女の体臭。
この薄汚れた洞窟をアジトとする盗賊どもの中にいる、たった一人の女。
いや、女と呼ぶにはまだ幼い。
そのか細い身体は、まるで細枝のように折れてしまいそうだった。
だが、その幼い娘には、年相応の温かさや安らぎは与えられていなかった。
その身体も、そして心も、あらゆる意味で泥濘のように汚され切っていた。
少女は、辺境の小さな村に咲く、一輪の野花のような平凡な村娘だった。
村は人口が少なく、同じ年頃の娘は他にいなかった。
それなり以上に整った容姿を持っていた彼女は、村の男の子たちの淡い憧れの的だった。
特定の想い人こそいなかったが、このまま村の誰かと結ばれ、子供を産み育てて一生を終える。
そんな物語のような未来を信じていた。
しかし、そのささやかな平穏は、あっけなく砕け散った。
少女が住む村は、平和に暮らすにはあまりにも僻地過ぎたのだ。
国境付近の開拓村で、せいぜい低級の魔物に対応できる程度の、粗末な防備しか備わっていなかった。
その頃、国は拡大政策に酔いしれ、あちこちに開拓村を乱造していた。数多く村を作れば、当然一つの村にかけられる資金も資源も軍備も、薄く引き延ばされることになる。
盗賊どもはそういった手薄な村を狙うようになり、少女の村はその無残な標的となった。
名もない彼女の村は、まるで燃え盛る絵のように盗賊によって蹂躙され、焼き尽くされた。
その名もない村は、名もないまま、ただ焼け焦げた跡だけを残して、この世から消え去った。
住民も皆殺しにされた。
盗賊は財産だけでなく、魂まで奪い去った。
通報を恐れたわけではない。賊どもにそこまでの知恵はない。
ただ、遊びのために村人を殺したのだ。
誰が一番多く殺せるか、そんな血塗られた遊戯だった。
少女は奇跡的に生き残った。
だが、その後の過酷さを思えば、むしろあの時命を絶たれていた方が、どれほど幸運だったかと思う者もいるだろう。
少女の幸運は、生き残ったこと。
そして不運は、彼女が「それなりに」というには整った容姿だったこと。
そのために、盗賊の頭の目に留まってしまったこと。
少女は襲撃以降、肉体的にも精神的にも蹂躙され続けた。
朝、昼、夜、時間など意味をなさず、この洞窟の頭と呼ばれる男の奔放な欲望が、彼女の身を弄んだ。
他の盗賊どもは、時折、羨望と下卑た欲望に濡れた視線を少女の細枝のような身体に投げるが、彼らの頭の睥睨するような視線が、それ以上の手出しを許さなかった。
この娘は、あくまで頭の『獲物』であり、彼らの気まぐれな『遊び道具』とは一線を画していたのだ。
目が覚めていようと、深い眠りに落ちていようと、あるいは意識を失って虚ろな生人形と化していようと、関係などなかった。
頭の気まぐれ一つで、彼女の尊厳は踏みにじられ、身体は容赦ない扱いを受けた。
初めての日は、喉が張り裂けるほどに惨めな悲鳴を上げ、全身で拒絶を繰り返した。
だが、今ではもう、魂の火が消え尽きたように無気力に、ただ荒い息を吐くだけだった。
頭の汚れた口移しで与えられる、生温く、臭みの混じった粥。
或いは、穢れた逸物に塗りたくられたものを、力任せに喉奥へと押し込まれた。
その度に、胃の腑が痙攣し、嘔吐感を催したが、吐き出すことさえ許されなかった。
彼女は男たちの嘲弄と執拗な仕打ちに晒され、女性としての尊厳を奪われていた。
肌には無数の痣と傷跡が刻まれ、彼女の身体は乱暴な快楽のために繰り返し弄ばれていた。
彼女の肉体は、痛みと屈辱に、まるで朽ちた人形のように反応を停止していた。
ああ、この生温い地獄はいつまで続くのか。
彼女の薄い胸に去来するのは、ただそれだけの、絶望的な問いだった。
ただ、ひたすらに、翻弄される日々。
まだ幼さが残る少女が、その身に命を宿すには十分すぎるほどだった。
頭の陵辱は、少女が身籠った後も止まることはなかった。
そんなことは意に介されることなく彼女は扱われたが、腹の中の命は静かに成長していた。
赤子の性別はどちらかという賭けが洞窟の中で行われるようになった頃、その出来事は起きた。
妊婦であることなどお構いなしに、少女は繰り返し弄ばれていた──そんな折、手下が地面を揺らすような足音を立てて、頭の元まで慌てた様子で駆け寄って来た。
息は切れ切れで、顔は土気色に染まっている。
「か、頭! ゴ、ゴブリンだ! ゴブリンの群れが攻めて来た!」
「………あん? ゴブリン程度でいちいち騒ぐんじゃねえよ。黙って蹴散らせばいいだろうが」
気怠そうに言葉を吐きながらも、頭は少女への行為を続けていた。その目は、獲物を狙う捕食者のように爛々と輝いていた。
「そ、それが、やけに数が多くて……武装もしていて……」
「はぁ!?」
手下の言葉に、頭は苛立ちを隠せない声を上げた。たかがゴブリン。駆け出しの冒険者が相手にするような雑魚だ。
数が多かろうと、この盗賊団の敵ではない。それに、武装といっても、冒険者から剥ぎ取ったような中古のボロ武器を使う程度だろう。
その程度の相手に狼狽え、己の「お楽しみ」を邪魔した部下に、頭は煮えたぎるような怒りを覚えた。
次の瞬間、鈍い音と共にその手下を殴り殺していた。
死体はまるで人形のように崩れ落ち、洞窟の地面に血溜まりが広がる。
「つまらないことで騒ぐんじゃねえよ」
事切れた手下に向かってそう言い放った頭は、再び少女に手をかけようと向き直ったが……
「……随分と汚くなったな。そろそろ替え時か」
手下への怒りが獣のような欲望を冷ますと、己の体液で汚れ切った少女への執着が、潮が引くように急速に失せた。
この賊にとっては珍しくもないことだった。
ある程度の時間、異様な執着を覚えたものに対して、何かのきっかけで、その熱が急速に冷める。
そんなことを繰り返してきたのだ。
少女の身体は、まるで使い古された玩具のように、彼の目に映ったのだろう。
「まあ、新しい女でも攫ってくるか」
そういえば、ゴブリンが攻めて来ているのだったか。
ならば、出かける前の景気付けに、あの忌々しい緑の小鬼どもを蹴散らしてやればいい。
そんな風に考えながら、賊の頭は、洞窟の入り口へと向かっていった。
彼の足音は、少女の心臓を直接叩くかのように、重く響いた。
数日ぶりに拘束から解放された少女は、しかし、何か行動を起こすことはなかった。
すでに、その細い魂の火は、風前の灯のように揺らいでいた。
手の届く範囲に、ボロではあるが布も落ちていた。
だが、それで身体を拭うことも、穢れを隠すこともなかった。
彼女の瞳は、何も映さない虚空のようだった。
程なくして、少女の元に何者かがやって来た。
小さな体躯。苔のような緑色の肌。尖った耳と鼻。口から覗く、獲物を引き裂くための鋭利な牙。
少女の虚ろな瞳が捉えたのは、ゴブリンの姿だった。
その異様な存在は、まるで悪夢から抜け出してきたかのようだった。
ゴブリンがここまで来たということは、賊が敗れたということだろう。
ほとんど壊れてしまった思考の片隅で、少女はその事実を理解した。
だが、それが何だというのだろう。
今さら相手が賊だろうがゴブリンだろうが、彼女にとっては何の違いもなかった。
少女の思考は、そんな冷え切った結論を出した。
──この時、もう少し少女の気が確かなら、もっと他に考えたことがあっただろうに。
賊どもは、村をいくつも壊滅させるほどの、それなりの集団だったのだ。
それが、たかがゴブリンなどに負けるなど、普通ならあり得ないことだ。
その上、目の前のゴブリンは、武装までしている。
よく見る、駆け出しの冒険者から剥ぎ取ったようなボロ装備ではなく、かなりしっかりと整備された装備だった。
……もっとも、そこまでは、少女の気が確かであったとしても察することはできなかっただろう。
せいぜいが、「ちょっと立派な装備だな」くらいにしか思えなかっただろう。
それでも、ただのゴブリンではないことは察することができただろう。
目撃すれば、怯えの声を上げるくらいはしただろう。
逃げる努力もしただろう。
だが、少女は、まるで蝋人形のように、虚ろな瞳でゴブリンを見つめるだけだった。
もし知らない者が見れば、よく出来た人形だと思っただろう。
少々──いや、かなり悪趣味な人形ではあるが。
若しくは、ただの死体だと。
彼女の顔色は、白い石膏のように生気がなく、指先は氷のように冷たかった。
──ゴブリンもそう思ったのだろう。
震える手で、ゴブリンは少女の胸に手を触れた。
そして、生存確認というには長すぎる時間が過ぎた後、ゴブリンは踵を返して、来た道を戻るようにどこかへ向かって行った。
その足音は、意外なほど静かだった。
──さすがに。
この行動には、少女も微かな疑問を抱いた。
人形か死体に見えて、無視するのなら理解できる。
心音を確かめるという行為も、理解できる。
実際に死んでいるのなら、放置するというのも、理解できる。
だが、彼女は生きているのだ。
思考は停止していたが、心臓の鼓動まで止めた覚えはなかった。
ならば、殺すか、犯すか、どちらかだろう。
何故、立ち去るのか?
(もしかしたら、もう死んじゃってるのかな?)
そんな奇妙な感覚さえした。
自分は生きているつもりではいたが、とうの昔に命が尽きていた。
そんな非現実的なこともあり得ると思えた。
世界は、まるで薄い膜の向こう側にあるようで、現実感がなかった。
しばらくして、洞窟の奥――いや、入口の方から、複数の足音が響いてきた。
先ほどのゴブリンよりもはるかに重く、地面を震わせるような響きだ。
その音は、まるで巨大な獣が歩くようだった。
やがて、松明の光が強まり、その足音の主が少女の視界に捉えられた。
「報告通りか……随分と荒れたものだな」
その声は、岩をも砕くような威圧感を持ちながらも、不思議と落ち着いていた。
そこに立っていたのは、巨躯を誇る漆黒の怪物だった 。
全身には無数の古傷が刻まれ、その威厳と風格は、まるでそびえ立つ岩山のようだ。
頭部には二本の角。その眼光は鋭く、しかし奥底に深い知性を宿しているように見えた。
彼女の知識にはないことだが、現れた怪物はダークオーガという種族である。
オーガという種族は、ゴブリンほどではないが、広く知られた種である。
その巨躯と知性により、冒険者どころか、正規軍にも恐れられる魔族である。
そのオーガの中でも、最上位とされる種こそが、ダークオーガだ。
漆黒の身体を持つオーガ。
冒険者や、正規軍の間では目撃証言がなく、民間人からの不明瞭な証言でのみ伝わっている魔族。
故に、人間の国では都市伝説として扱われている。
当然だろう。
なにせ、出会った戦闘要員は全て殺されるのだから。
圧倒的な暴力で、単体でも人間の一軍を瞬く間に壊滅させられる戦闘力を誇るのだ。
しかも、人間の国に出没する時はオーガも含めた部隊を率いているのだ。
並みの――いや、精鋭部隊ですら、目撃して情報を持ち帰ることなどできない。
だが、そんな悪夢のようなダークオーガ……いや、オーガ族全般には、気高い武人気質の者が多い。
故に、非戦闘員は逃がされるのである。
民間人の目撃情報が多いのはその為だ。
話を戻そう。
少女の前に現れたダークオーガ。
彼こそが、魔王軍の大魔将、バルトロメイ=グリムボーンである。
人間の国フォールムとの国境を越えた偵察および遠征訓練の最中、盗賊団を発見。
治安維持と実戦訓練の為にこれを壊滅したのだ。
バルトロメイは、血溜まりに横たわる盗賊の死体を一瞥し、その奥に倒れている少女の姿に目を留めた。
彼の部下であるゴブリン兵が、少女の生存を報告し、状況を説明している。
「弱者を守る」という彼の信念が、その心に深手を負い、腹に新たな命を宿している少女の姿に突き動かされた。
彼の厳格な表情の中に、微かな憐憫の色が浮かんだように、少女には見えたのだった。
「生きているのか。よくぞ耐えた」
バルトロメイは、ゆっくりと少女に近づくと、その巨大な手で優しく、しかし確かな力で彼女を抱き上げた。
その手は、手甲に覆われ、ゴツゴツとしていて冷たいはずなのに、何故か暖かかった。
少女は、怪物の胸の中で感情を取り戻し、泣いた。
彼女にとって、村を滅ぼし、自らを傷つけた盗賊――人間よりも、こうして温かい言葉をかけてくれる魔族の方が、より心安らげる存在となったのだ。
結局、行くあてのないその少女は、バルトロメイが妾として保護することとなり、腹の子もグリムボーン家の子として育てられることとなる。
図らずも、本来フォールム神聖王国が担うはずだった盗賊退治を、ヴァルゼルグ王国が代行する形になった。
本来であれば、なんら特筆することもない、事件とも呼べない出来事である。
腹の中の子が、勇者でさえなければ。
もう一度言う。
あの時、少女が命を絶たれていた方が、どれほど幸運だったかと思う者もいるだろう。
フォールム教団の幹部などは特に……。