第2章 わたしの絵本 1
わたしは今まで、何もない単調な生活を送っていた。昔からそういう生活が好きだったし、特別なドラマを求めているわけでもない。朝になれば嫌々目覚まし時計のベルを止めて、少し急ぎながら学校の準備をする。朝食はどちらかというと食パンのほうがいい。みんながやっている朝シャンを始めたのは、中学1年生の2学期から。タイミングを外すこともなく、いっぱしの女子中学生を演じきっているつもりだ。
昔から人に合わせることが多かった。輪の内にいる女の子の気持ちを考え、言いたいことを自粛することもよくある。わたし自身、それがおかしな気遣いだという感覚もなく、ただの優しさだと思っていた。あえて自分の意見を貫きとおし、友達の間で波風を起こすことは馬鹿げている。それなら大して興味のない話題を、うんうん、と調子よく聞いている方がよっぽど利口だと思う。そう考えているのは、きっとわたしだけじゃない。むしろ、こういう考えを持った人がほとんどなのではないか。
わたしの趣味は、こうやって文章を書くことだ。自分の考えたことや、感じたことをこうやって書き連ねるだけ。地味な趣味で、よく考えれば趣味というのもおかしい。しかし、こうやって文章を書き続けてもう3年になる。わたしの感情や考えをこうして書き出し、わたしは自分の机に鍵をかけてしまっている。決して他人には見せない、自分の心の穴を、こうやって自分で整理しているのだ。こういった儀式のような行為を、図々しい他人に干渉されることだけは許せない。わたしはわたしを理解するために、変だとは思うが、こうやって自分を記録しているのだ。
そんなわたしにとっての苦痛は、毎年恒例のクラス替えだ。今まで慣れ親しんだ友人たちと別れ、新たな他人とともに一年間、家族よりも多くの時間を共有する。それがいかに大きな行事であるか、先生たちは残念ながら無知だ。4月の始業式、わたしはいつも逃げ出したくなる。この一年間を無事に乗り切れるのか。誰にも嫌われずに過ごしていけるのか。わたしにとってのクラス替え、進級は、とても胃の痛くなる行事だった。
しかし、今年のクラス替えは違った。2年4組、彼と同じクラスになれたからだ。1年生のときから憧れ、遠くでずっと見つめていた。
笹部くんは、わたしのことをどう思っているのだろうか。こんな平凡で面白味のない女を、彼は好きになってくれるのだろうか。
文化祭が近づいていた。もともと、ダンスをしようと言いだしたのは、金田くんと、クラス委員の水川さんだ。2人とも元気で明るく、クラスをまとめるリーダー的存在だった。わたしとは違い、彼らはいつも輪の中心にいる。そしてわたしは、その輪の中に紛れ込み、ただ愛想笑いを浮かべているだけだった。2人の機嫌を取っていれば、クラスで浮くこともないし、平和に過ごせることは約束されていた。だからわたしは、人並みにできないダンスが文化祭の出し物に決まった時も、何一つ意見することはなかった。
わたしの母親の話をしよう。
わたしの母親は、ひと世代前に活躍した、あまり名が知られていない女優だった。一流ではない。かといって、二流でもない。三流女優とでも言おうか、それほど人気もなかったので、今や普通に近所のスーパーへ出かけても気づかれることはほとんどない。
花園レオナ。失礼だが、芸名が三流っぽい。母は、外見だけなら超一流の女優というほど美しいのだが、残念なことに芝居が下手だったらしい。彼女が三流女優となったのは、外見に追いつかない演技の技量が問題だったのだ。
そんな母は、26歳のころに父と出会い、さっさと結婚して芸能界を引退した。医者の父に惹かれたのか、交際から3カ月の電撃結婚だったらしい。
結婚後は念願のマイホームを10年のローンで購入。夢だった東京郊外での閑静な生活を手に入れたのだ。
美人できれいな母。わたしはそんな母があまり好きではなかった。小さいころから、ささいなことでよく叱られたことを覚えている。服を汚せば正座で何時間でもお説教。母の言いなりで小学校の児童会長に立候補し、案の定落選して数時間に及ぶ反省会。
美人で昔からちやほやされ、三流ながらテレビドラマや映画にも出演したことのある彼女は、とてもプライドが高かったのだ。自分はもちろん、娘のわたしでさえ、日の当たるところに置いていなければ気が済まない。スポットライトに照らされ、華やかである生活をアピールしたいのだ。
昔からわたしは、そんな母の自尊心を埋めるための道具でしかない、と分かっていた。母とは違い、わたしは父に似て美人ではない。垂れた目や、お団子のような鼻はコンプレックスの塊。先ほどから示しているとおり、平凡を好む地味な性格。母の自尊心を埋める道具としては、あまりに不出来だった。
母のつまらない虚栄心を満たすために、わたしは10歳のころ、子役育成スクールに週5回で通わされていた。こうして基礎からの演技を教え込ませ、自分の叶えられなかった女優としての人生の成功を、こうしてわたしになすりつけているのだ。放課後は友達とも遊べないし、好きなアニメも見られない。小さなビルの一室で、何者かも分からない演技指導の講師を中心に、短い芝居を延々と練習する。それはまるで、おままごとだ。わたしにとっての娯楽をすべて取り去った、苦痛でしかないおままごとだった。
彼女のそういった行動が、わたしの平凡への執着を一層大きくした。わたしは日陰で、のんびり暮らしたいだけ。べつに目立ちたいとも思わないし、特別な仕事に就こうとも思わない。定時に帰り、たまに残業する、そんな仕事に就きたい。
しかし母は、そういったわたしの願いを聞き入れようとはしない。
あなたはわたしの娘よ。もっと華やかで、きれいでいなきゃダメなの。
小学校5年生だったわたしに、メイクの仕方を教える母を、やはり正常な母親だとは思えなかった。
今になって思うが、ずいぶん前に母と父の間の夫婦愛は崩れてしまったようだ。あのような母に父がついていけるとも思えない。もともと、ルックスだけでいえば、母と父は全く釣り合っていないのだ。そんな父を、母は道具として認めないのは当たり前だった。医者と言う肩書と、目の前にある金と、母は結婚したのだ。そんな母が、3年前から父が不倫していることに気付いているのかは分からないが。
わたしは両親を心から軽蔑している。
わたしの夢はこうだ。母のような人生を送りたくない。