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両親は職場結婚の教師だった。父は理科、母は国語の教師。ともに同僚の教師で、秘密裏の恋愛の果てに結婚。ぼくが母のお腹に宿ったことがきっかけで、父はついに、結婚に踏み切ったらしい。
結婚出産後、母は教師を辞め、専業主婦になった。両親は教育のプロだ。誰も、父でさえ、母の子育てに口を出すことはなかった。しかし、それは大きな間違いだったのだ。母が父に隠していた秘密。実は、母は不妊症に悩んでいて、父にはそれを付き合っていた当初から秘密にしていた。ぼくを妊娠したと知り、母は天上の幸せだったらしい。
それが災いし、母の教育は失敗した。できないと思っていた子ども。ぼくが生まれたことが嬉しくて、母はぼくに何でも与えた。小さい頃のぼくは、どんなわがままを言っても聞いてくれることが嬉しくて、それに甘えていた。そもそも、学校における教育と、子育ての教育はまったくの別物である。それを一緒くたに考えていた父も、その周囲の大人たちも、母が誤った道を歩んでしまった起因のひとつであろう。
母は自身の経験から、公立学校にまつわる様々な諸問題を知っていたから、ぼくをエスカレーター式の私立小学校へ入学させた。父も母の方針を受け、それを承諾したのだ。
辛いことなど、何もなかったのかもしれない。母親が決めた道の上を歩くのは、とても安全で歩きやすい。先生に怒られたら、母がわざわざ学校まできてぼくの味方をした。どれだけぼくが悪くても、母は決してぼくを叱ろうとはしなかったのだ。
小学校も高学年になれば、いよいよ母の愛情がただの愛ではないことに気付き始めた。どうして母はぼくを叱らないのか。だんだん、ぼくの中での母が崩れ始めていた。彼女がぼくに抱いている愛情とは、果たしてどういうものなのだろうか。
中学へ進学しても、母の愚行は衰えることを知らなかった。むしろ、余計にひどくなったように思えた。野球部に所属していたぼくがスタメンに入らなければ、当然のごとく学校へ乗り込む。文化祭では、ぼくを演劇の主役にするまで学校へ通いつめた。完全なモンスターペアレントである。当時はそのような言葉も一般的ではなかったから、単なる親バカと称されていた。
言葉通り、母はモンスターだ。ぼくにまとわりつく母の愛情は、もはや愛ではなく、ただの執着のように思えた。家庭におさまり、教師というやりがいのある仕事を捨て、専業主婦としての友達もいない退屈な毎日。彼女が覚えたことは、子どもを大切にすること。かすり傷すらつけず、自分の手の中に入れておきたいという執着心。本来は素直で純粋な愛情だったかもしれないが、それはもはや原形をとどめていないくらい歪んでしまった。中学2年生のぼくは、異常な母の行動を目にし、彼女の愛情がもはや愛情ではないことに気がついてしまったのだ。それと同時に、ぼくはたった一人の味方だった母を失ってしまった。大きな孤独感とともに、母への愛憎は日に日に強くなっていた。
このドロドロした感情をどこにぶつければいいのか。ぼくは考えた末に、弱者を攻撃するという行動に手を染めてしまった。
最初は、学校の行き道にある家の犬だった。軽く蹴ってやると、低い声で威嚇してくる。それが面白くなくて少し力を入れて蹴ると、不思議なことに、犬は少しせき込むのだ。犬を蹴りながら覚えたのは、犬がぐったりする直前でとめるということ。あまり派手にやってしまうといけない。犬が苦しそうにせき込む姿を見て、ぼくは少し笑うのだ。
ぼくのせいなのか、犬が死んだあとに見出したゲームは、学校で飼っていたニワトリがターゲットだった。インターネットで簡単に買った塩酸を、ニワトリの羽に少しかける。ジュワっという音とともに、ニワトリの生々しい悲鳴が聞こえるのだ。それは少し、人間の悲鳴と似ているような気がした。飼育係になったのは、誰にも見られずにゲームを行うためだ。週3回、ぼくは飼育係の仕事が楽しみでしかたなかった。もう一人の飼育係の仕事も代行で引き受けた。もともと、フンや異臭などで迷惑を被っていた生徒からすれば、飼育しているニワトリに特別な感情を抱くわけがなかった。冗談で、早く食べてしまおうという生徒もいたくらいだ。したがって、ぼくの行為に気付く者はまったく皆無だった。
教室でのぼくはいたって普通だった。特別目立つわけでもなく、無口で孤立しているわけでもない。しっかりとした友達のグループに所属し、少しひょうきん者。授業でも手を挙げるようにしていたから、先生からの信望もよかった。普通に明るい、ムードメーカーまでは言わないが、そこそこ友達も多い男子。よくいるタイプの男子生徒だ。
そんな仮面をかぶっていることにも安心をおぼえてしまい、ぼくはあの怪物と一緒にいても精神の均衡を保てていた。
そんなある日、とうとうぼくの行動がある生徒に知られてしまった。飼育委員でもないのに、その男子生徒はニワトリの世話を親身にしていたらしい。名前は大澤。クラスでも目立たず、無口で孤立している。言ってしまえば、クラスのぼくとは正反対の人間だ。そんな大澤に放課後呼び出され、ぼくのしていることを問い詰められたのだ。
大澤はニワトリ小屋の前で、ボロボロになったニワトリの羽を指差して言った。
「お前だろ? クックをいじめてんのは」
クック。ニワトリの名前だ。誰にも愛されず、義務として機械的に育てられている哀れなニワトリにつけられた、面白味のない名前。クック、このニワトリをそう呼んでいる生徒を、ぼくは初めて見た。それが面白くて、こいつにはぼくの全てをぶつけてもいい、そんな風に思えた。
「クック……か。ハハッ!! おもしれー、お前」
大澤は仮面をはずしたぼくを見つめた。その目は驚きもせず、怒りもしない、まるで哀れんでいるような、そんな視線だった。
「何がおもしろいんだよ……」
「お前だよ!! 友達がいねーんだろ? そんなきたねーニワトリしか、友達がいねーんだよな? アハハハッ!!」
「お前、狂ってるよ」
その目が語りかけているのは、もはや哀れみでもない。慄然とした呆れだ。ぼくの姿を見て、呆れているのだ。そんなこと当たり前なのに、そのときのぼくにはひどい屈辱だった。蔑まれ、呆れられている。今まで感じたことのない視線。母の後ろに隠れて生きてきたぼくには、今までその視線を肌で感じることはなかったのだ。こんなときでさえ、母の呪縛はぼくにまとわりついている。
「オレがお前の友達になってやる」
こうして大澤は、ぼくのゲームの友達になった。
仮面を外すと、不思議と体が軽くなった。母の歪んだ愛から逃れる最後のゲーム。それは大澤イジメだった。ぼくの心を覗きこんだ他の生徒は、ぼくをどう考えるだろうか。ぼくが反対に、クラスからの排他を受けてしまうのかもしれない。
しかし、ぼくの不安とは裏腹に、他の生徒もぼくに便乗し、大澤イジメが本格化したのだ。もともとクラスに馴染めていなかったから、余計に彼をいじめやすかったのかもしれない。今になって思うが、彼らもまた、ぼくのように心に植えつけられた闇を持て余していたのかもしれない。
犬、ニワトリ、最後はニワトリをかばった人間。ぼくのゲームは、いよいよクライマックスに入っていたのだ。女子も含んだ、クラスメイト全員による陰湿なイジメ。全員が共犯者だから、もちろん教師も気がつかない。完璧なゲームであり、何よりもクラスメイトとの一体感を感じられた。今までの冷たい孤独感とは違う、とてもあたたかい一体感。
大澤の手足を縛り付けて掃除道具箱に閉じ込めると、彼は恐怖のあまり失神し、小便を漏らしていた。彼の給食はゴミだらけで、とても食べられるものではなかった。ニワトリと同じように、ぼくは大澤の腕や背中に塩酸を垂らした。すると、ニワトリとは全く違った、生の人間の悲鳴が轟いた。彼の皮膚はただれ、痛々しい悲鳴は誰かの手によってさえぎられる。彼が痛みを訴えることすら、ぼくたちは禁止した。
ぼくはようやく、自分の居場所を見いだせたような気がした。大澤という存在を軸に、ぼくたちは結束を強くしたのだ。心の穴を埋め合うように、イジメを通して互いの心の穴を覗いているようだった。彼らはぼくにとっての仲間であり、同士だ。異常な繋がりであることは認識している。しかし、それ以外にぼくには、他者との繋がりを見いだせないでいたのだ。
結局、ぼくが覚えた自分を守る方法は、弱者を攻撃するということだった。傷つきたくないから、母という存在から逃避するため、いろいろ理屈をつけてみたが、大澤をいじめているときの感情とどれもリンクしない。それをするしかないのだ。理屈では片づけられない何かが、ぼくを突き動かしている。
そして、ある日。大澤は死んだ。