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それから、わたしたちへの制裁がより激しくなったのは言うまでもない。
そんなある日、わたしと笹部くんは一緒に学校を休んだ。笹部くんが休もうと言いだし、わたしがそれに同調したのだ。笹部くんはわたしを例のマンションの一室に招きいれてくれた。
制裁の日から、わたしは毎日、彼の部屋へ足を運び続けた。いつも笹部くんは、わたしを抱きしめてキスをするのだ。彼にとって、わたしはどういう存在なのか未だにわからない。この部屋の謎も、未だにわからないままだ。
笹部くんはいつものように、あの曲を流し始めた。
「どうして、学校休んだの?」
「それは……片桐と、いろいろ話したかったからだよ」
そんなことを真に受けるほど、わたしはバカではないつもりだ。彼がこうしてわたしを呼び出し、話したいことがあるということは、それに対応する何かが起こったという証拠なのだ。彼はわたしにキスをしてくれるし、しっかりと抱きしめてくれることもある。しかし、彼はわたしに、何も教えてくれない。この部屋のことや、わたしをどう思っているのかも。いろいろ話したいのは、わたしのほうだ。もっと、彼のことを知りたい。
「何かあったの? 今日の笹部くん、ちょっと変」
笹部くんは意外そうな顔をして、小さく笑った。
「この前の、眠れる森の美女の話。小さい頃、母親に話したことがあったんだ」
わたしはこのとき、少しだけ笹部くんに近付けた気がした。彼から感じることができなかった人間味というものを、彼の言葉から初めて感じることができたのだ。まるで人形のように、不気味に整った顔。そんな彼もわたしと同じ、まだ14歳の中学生ということに気がついて、わたしは素晴らしい発見を見出した気持だった。
「その話をしたら、母さんにすごく怒られた。そんな歪んだ考えを持つんじゃありませんって。そのときは何で怒られたのか分からなかったけど、今なら分かる気がする」
「どうして?」
「オレの母さん、なんとなく片桐に似てる」
「わたしに?」
笹部くんのお母さんだからすごく美人なんだろうなって、勝手に想像していたから、彼の言うことがにわかに信じがたかった。
「オレの両親は、職場結婚だった。父親はもともとその会社の跡継ぎだったらしくて、母さんはただの受付嬢。父さんには婚約者がいたらしいんだけど、婚約者から父さんを略奪したらしいんだ。それで、ただの受付嬢にすぎなかった母さんは社長夫人になった」
どうして。どこが、わたしと似ているのか。笹部くんが悪い冗談を言っているように聞こえた。話を聞く限り、彼の母親はわたしとはまるっきり正反対の女性だ。わたしは婚約者のいる人と結婚しようとは思わない。むしろ、わたしではなく、水川さんのような女性ではないか。
「どこが、わたしと似てるの?」
「オレには分かる。母さんは、本当はすごく臆病な人間なんだ」
「どこが臆病なのよ。すごく肝が据わってる」
「臆病なんだよ。もともと、母さんはいい家の育ちじゃなかった。子どものとき、金銭面ですごく不自由をしたって、何度も聞かされたよ。だから、それがすごくコンプレックスになってるらしくて、父さんと絶対に結婚しようと思ったらしい」
それでも、わたしは婚約者から略奪しようとは思わない。コンプレックスがどうかなど、わたしには全く理解できなかった。
「やっぱり、わたしとは違う。わたしには婚約者から略奪する勇気なんてないもん」
「そうかな?」
笹部くんは少し意地悪く笑った。わたしを見据えて、まるで無垢な少年のようだった。
「水川にコックローチスプレーをかけるなんて、よっぽど肝が据わってると思うけど」
「だって、あれは……」
そのとき、わたしは笹部くんの言っている意味がわかった。彼の母親がそうであるように、わたしもまた、自分へのコンプレックスに苛まれてきたのだ。彼の母親は、好きになった人の婚約者を。わたしは水川さんを。おそらく、自分へのコンプレックスを、自分とはまったく正反対の彼女たちに重ね合わせねることで、自分を変えようともがいているのだ。今になって、わたしは笹部くんの母親の気持ちを理解できるような気がした。わたしは水川さんにスプレーをかけたあの瞬間から、悩まされ続けた自分へのコンプレックスから解放されたのだから。
「そうかも……しれない」
「でも、母さんはもう、オレのことなんてなんとも思ってない」
急に笹部くんの表情が暗く、かげりを落とし始めた。
「こうやって、オレをこの部屋に追いやったんだ」
わたしと彼の母親は、たしかに似ているかもしれない。けど、これだけは違う。わたしは絶対、彼を見捨てたりしない。わたしをわたしの主人公にしてくれたのは、紛れもない彼なのだから。
「どうして、お母さんはあなたをこの部屋に追いやったの?」
「好きな人ができたからだよ。3年くらい前から」
「それって……不倫ってこと?」
笹部くんは黙ってうなずく。そして、うっすらと笑いながら、わたしに一枚の写真を手渡した。
「花園レオナっていう女優、知ってる? その人の旦那と不倫してるって、自慢してた」
わたしは彼から手渡された写真を見つめ、愕然とした。そこにはすらっとした女性と、平凡という言葉が似合いすぎるわたしの父親が一緒に手を組み、ホテルへ入っている瞬間がおさめられていた。
「驚いた? これって、片桐の父親だよね?」
愕然とし、何も言えないでいるわたしと違い、笹部くんはとても気丈そうに見えた。笹部くんは震えているわたしの手を握って、優しく微笑みかけてくれた。
「片桐、この前言ったよな。オレと共犯でも、悪くないって」
わたしは彼が何を言いたいのか、すぐに理解することができた。わたしも、その衝撃の中で同じことを思っていたからだ。
「本当に、共犯になってくれないか?」
こうして、わたしと笹部くんは本当の共犯者となったのだ。
その日、家に帰ると、母にこっぴどく叱られた。学校をサボったことがバレたのだ。本当のことも言えずに黙っていると、母の怒りはさらに増したらしく、久しぶりに母に殴られた。本当のことなど言えるはずがない。あなたの夫がわたしの好きな人の母親と不倫しているのよ、なんて口が裂けても言えない。できることなら、この真実を知らないであろう母にぶちまけてやりたい気分だったが、これから始める復讐のために、楽しみをおいておくことにした。
「聞いているの!? なんとか言いなさいよ!! 黙って学校を休むなんてつまんないことして、わたしは有名人なのよ!! 周りの人間がどう思うか分かるでしょ!?」
あなたはもう、自分で思っているほど有名でもないし、周囲の人間があなたに興味を持っているわけでもない。いつまで女優気分を引きずっているのか。花園レオナがすでに死んだということに、彼女は何年経っても気がつかない。わたしは半ば呆れながら、彼女の叱責を受け続けた。
「なんとか言いなさい!!」
ヒステリックなのは、誰も自分の相手をしてくれないから?
もしかして、お父さんの不倫も知っているから?
そうだとしたら、これからの楽しみが半分になってしまう。
次の日、わたしの予想通り、総長の教室ではショーの準備が整っていた。わたしと笹部くんが一緒に学校を休んだことが、今回のネタらしい。これだけ早起きなクラスも珍しいだろう。わたしは水川さんの怒りを買ったことで、クラスメイト全員を敵に回したのだ。昇降口から女子のグループに捕まり、連行されるように教室へ向かった。
この前と同じように、教室内の机はすべて後ろに追いやられ、笹部くんは教室の中心で男子生徒何名かに押さえつけられていた。もうすでに、彼は幾度もの暴行を受けていたらしく、カッターシャツには赤黒い血痕が滲んでいた。そんな笹部くんを積極的にいたぶっていたのは、ダンス委員の金村くんだった。金村くんはトイレ用の汚いモップで、笹部くんの端整な顔をぐちゃぐちゃにした。
「トイレの味はいかがですか?」
金村くんは下品に笑う。
あまりにも陰惨な彼らの心の内を見て、わたしは吐き気がした。そんなわたしを快く思わなかったのか、水川さんはわたしを押し飛ばし、笹部くんがいるところに追いやった。
「昨日、学校休んで2人で何やってたの?」
水川さんがわたしたちに近づくにつれ、クラスメイト全員の輪が同じように近づき、輪は意思を持ったかのように小さく縮む。彼らは常軌を逸した目でわたしと笹部くんを見つめて、クスクスと笑う。
「どうせ2人でエッチなことだろ?」
ヒューヒュー……。
いまどきヒューヒューか。
水川さんは得意げになり、声を張り上げて訴えた。
「あたしたち、カップルは応援してるのよ。ほら、ここで同じようなことしてみせてよ」
これは水川さんの復讐だった。わたしに対する最高の復讐だ。よっぽど、あのスプレー事件がショッキングだったらしい。
「早く、2人とも服を脱いで」
あははははっ……。
顔に似合わない彼女の下品な笑い声が合図となり、クラスメイトがわたしと笹部くんを取り囲んだ。男も女も関係ない。イジメという娯楽を楽しんでいる、狂った観客だ。
わたしはその人が男か女かもわからないまま、ブレザーの制服を脱がされた。さすがに叫ぼうとしたが、誰かがティッシュを丸めて口の中に入れたから、それも無理だ。わたしはクラスメイト全員に犯されているような気がして、知らず知らずのうちに涙を流していた。
きゃー、すごーい。マジでやらせる気?
わたしは理由のない涙をぬぐって、前を見た。同じように、下着だけになった笹部くんが、やはり焦点の合っていない人形のようなまなざしをわたしに向けていた。
下着だけの男女が教室の中央で見つめ合っている。お笑いのコントでもあり得ない、とんだ茶番だ。
「ほら……ラブラブしてよ」
わたしは腕を掴まれ、笹部くんの間近に連れて行かれた。彼との距離は、十数センチ。同じように、彼のきれいな唇がわたしに近づく。すると、ものすごい力で頭を押された。
きゃーっ!! キース、キース!! 舌も入れなさいよ。
押し付けられて、無理やり笹部くんとキスさせられた。こんな辱めが、他にあるだろうか。
それが終わると、観客は興奮した声で「次は!?」と尋ねる。
「あはははっ!! アツイね、あんたたち」
水川さんは涙が出るほど笑っていた。すると、笹部くんはむっくりと立ち上がり、黙って服を着始めた。わたしも我に返り、急いで自分の服をかき集める。
着替えている笹部くんを見て、金村くんはそれを邪魔しようと動く。
「なに着替えてんの? 次はしねえのかよ」
笹部くんは静かなまなざしで金村くんを見つめると、彼の顎を持って、自分の唇を重ね合わせた。
教室に戦慄が走り、イヤッ、という叫び声が聞こえた。
誰もが笹部くんの行動に慄然として、息を呑んでいる。笹部くんにキスをされた金村くんは腰を抜かし、わなわなと震えていた。
「こ……こいつ…」
笹部くんはニヤリと笑い、次は水川さんに近づいた。まさか、とわたしが思った瞬間、金村くんと同じように水川さんの唇を奪った。今度は、さっきよりも大きな悲鳴があがった。
笹部くんは呆然としている水川さんと金村くん、そしてクラスメイト全員に向かって言った。
「また、片桐の服を脱がしてみろ。男だろうが女だろうが、関係ない。一生、誰にも言えないようなことしてやる」
その日以来、ショーが開催されることはなくなった。