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春を描く  作者: ふあ
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 結局、渚は断りの一報だけを入れたらしい。そのおかげで僕はなにもせずに済んだわけで、あの日はなかったかのようにサークルでも結子と普通の会話ができている。だけど僕が彼女に告白することもされることも、決してあり得ない未来なのだと確信する出来事だった。

 渚と僕は変わらずバイトを続け、いつしか季節はすっかり冬になった。通学途中に道端で配られていたチラシを見せると、渚は露骨に嫌な顔をし、絶対に来るなよと釘を刺した。

 それは渚の通う専門学校が主催する、クリスマスイベントの案内だった。在校生による展覧会が市の施設を借りて開催され、もちろん学外の人間も観覧することができる。子どもにはサンタからのプレゼントが配られるらしい。なんとも楽しそうなイベントじゃないか。

「絶対来るなよ」

 念を押す渚に生返事をしながら、絶対に行ってやると僕は手帳に予定を書き込む。

「来たら絶交する」

 けれど、そこまで言うのに流石に戸惑った。彼の必死な形相に、余程見られたくない展示があるのかと想像した。だが仮に彼がヌードデッサンをしていても、僕はなんとも思わない。

 迷いは、珈琲研究会の友人が打ち砕いた。同じチラシを手に入れた彼らは、学外の女の子とお近づきになれるチャンスに食らいつき、ついでに僕も誘ってきた。もし会場で渚に会ってしまっても、仲間に誘われたのだと言い訳ができる。罪悪感を緩和させる術を得、僕はクリスマスに展覧会へ向かった。

 僕に芸術はわからない。それは友人たちも漏れなく同じだったが、自分たちには到底創造できない作品たちに圧倒された。油絵、彫刻、版画等々、とても同年代が創ったとは思えない作品がずらりと並び、僕らを迎えていた。

 絵心のない僕には生涯描けそうにない絵を観覧しつつ、更に芸術一本で食べていけるのがこの中のほんの一握りだという事実に、厳しい世界だと痛感する。文系だから就職先がないなどと言い訳をしているのが恥ずかしくなる。渚は僕の知らない世界で、生活の基盤を築こうとしているのだ。

 壁伝いに歩く僕の足が止まった。

 夏の田舎の風景。ひまわり畑と傾きかけた平屋、後ろにこんもり茂る山と入道雲の湧く青空。額の中から蝉の鳴き声が聞こえそうな、爽やかな夏の風が吹いてきそうな美しい水彩画だ。

 額下のプレートには、「桜川渚」の名前がある。間違いない、これは彼が描いた作品だ。

 あいつ、こんなに綺麗な絵を描いていたのか。感心しつつ、プレートの説明を読む。作品に関する短い説明と、講師のコメントが記載されている。

 それを読んで、僕は混乱した。女性らしい繊細なタッチ――。講師のコメントにはそんな言葉が含まれていた。


 翌日の夜勤で、僕は平静を保っていたつもりだった。けれど挙動不審さが滲んでいたのかもしれない、渚が微かな変化に対し人一倍敏感なのかもしれない。

「昨日、展覧会、行ったろ」

 雑誌を整理してカウンターに戻ってきた渚が静かに言った。まさか目撃されていたのか。身体を硬直させる僕を見て、渚はふっと笑った。

「最初から、絶対に行くって顔に書いてたもんな」

 顔から火が出そうに恥ずかしくなり、僕は俯いた。サークル仲間に誘われて。そんな言い訳もできないほど、申し訳なさでいっぱいになった。

 深夜二時。有線放送だけがやかましい店内で、肩に触れる感触に僕はびくりと身を震わせた。振り向くと、軽く肩を叩いた渚が、眉尻を下げて笑っていた。

 彼……いや、彼女は女の子だったのだ。男だと信じていたが、女子だと知ると、そうにしか見えなくなる。身体のラインを隠すためか、ゆったりとした男物の服を着て、荒い言葉と一人称を使う彼女は、もう顔の綺麗な男ではなかった。

 性同一性障害という言葉が、僕の頭に浮かんだ。もしかすると、渚は女の身体と男の心を併せ持っているのかもしれない。友人である僕には、その葛藤を知られたくなかったのだろう。

 僕はなんてことをしてしまったんだ。

「……ごめん」

 渚の台詞に、はっとした。

「弘也とはこのままが良かったから、知られたくなかったんだ。けど、いつまでも誤魔化せるわけないよな」

 いやいやいや。僕は慌てて首を振る。

「なんで渚が謝るんだよ。無断で行ったのは僕の方だろ」

「頭の固い先生でさ、それにコメントを勝手に書き換えるわけにもいかなかったんだ」

「いや、ほんとにごめん。勝手なことした。ほんとごめん」

 ぺこぺこと頭を下げ合う僕らは、いつしか笑い合っていた。僕には渚が男でも女でもどっちでもいい。友人のままでいてくれるなら、これ以上有難いことはないのだから。

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