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「崎田さん、この子、新人の桜川さん。よろしくしてあげてね」
店長に紹介された彼がぺこりと軽く頭を下げたので、僕もぺこりと礼を返した。僕と一緒に夜勤に入っていた先輩が就活に専念するためバイトを辞めることになったので、新しく夜勤の人員を補充したのだ。
桜川渚という彼は僕と同じ十九歳で、近くの専門学校に通っているらしい。不愛想な顔つきで僕は心配になったが、彼はすぐに仕事を覚え、接客も難なくこなす優秀な人材だった。
「専門って、絵描いたりするのか」
「ああ。俺は専ら水彩で、風景画が多い」
二人きりの夜勤で暇を持て余す僕が尋ねると、彼は棒金を割って十円玉をレジスターに補充しながらつまらない顔で返事をした。
その横顔を僕はついじっと見つめる。長いまつげが白い肌に影を落としている。細い指先が硬貨を操り、服の上から身体の華奢な線が覗える。まるで女の子みたいなたおやかさで、美形とはまさに彼のことをいうのだと僕は確信する。
睨まれているのに気付き、僕は慌てて視線を逸らした。まるで恋する男子の振る舞いに、大袈裟なため息が聞こえる。
「なに、弘也、男好きなの?」
そう言うハスキーボイスも、彼の特徴を際立たせるのに一役買っている。
「そんなわけねえし」
「俺に見惚れてたくせに」
にやつく彼の足を軽く蹴り、僕は自動ドアをくぐって入ってきた客に間延びした挨拶を投げかけた。
夜勤が終わると、二人で近くの公園に向かった。朝焼けの広場を眺めながら、ベンチで駄弁る渚はのんびりと煙草をふかしている。ふうっと長い息と共に、紫煙が揺らめいて朝の冷えた空気に溶けていく。僕が煙の行き先を眺めていると、渚は指に挟んでいる煙草の吸い口を僕に向けた。
「ほれ、旨いぞ」
「禁煙中なんだ。悪い」
「なんだよ、つれないこと言うんじゃねえよ」
ありがたく吸えとばかりに腕を近づけてくる。七分丈の袖から伸びる細い腕は、朝陽に白く輝くようで、僕は釣られる魚のようにぱくりと煙草の吸い口を咥えた。
「鯉みたいだな」
手を離してけらけらと笑う渚を横目に、僕は煙を深く吸い込む。吸いかけのそれをやけに旨く感じることに罪悪感を覚え、思いを打ち消すように大きく息を吐いた。渚のよりもずっと長く太い煙が、初秋の青空に吸い込まれていった。
秋が深まる頃、僕は自分の大学の学祭に渚を招待した。招待といっても、LINEで「学祭あんだけど来る?」と送っただけだ。暇なら行くという信用ならない返事だったため全く期待していなかったが、彼は午後一時ぴったりに、学校の正門前に現れた。
僕は珈琲研究会という謎の会に入っていた。様々な店の珈琲を研究するという名目で、あちこちの喫茶店で駄弁って時間を潰すだけのサークルだ。せめて学祭ではそれらしいポーズを取ろうというわけで、Amazonで仕入れた珈琲豆を使い、空き教室で喫茶店を開くことになったのだ。
渚は初めて足を踏み入れた大学という施設を、興味深そうに眺めて歩いた。クリーム色のパーカーにジーンズという出で立ちのくせにサマになっているのは、なんだかズルい気もする。すれ違った女の子が振り向き、「モデル?」と隣りの友人に囁いているのが聞こえたが、連れが冴えない僕だと気付くと、更に不思議そうに首を傾げていた。ルッキズムここに極まれり。僕は内心でため息をついた。
軽音サークルが演奏する音、屋台の呼び込みの声、ゴスロリやキャラクターのコスプレをした生徒たちとすれ違う。まさにお祭りの風景が広がっている。
講義棟の二階に上がり、珈琲研究会のプレートを掲げる教室に入った。メイド姿をした女子会員が、いらっしゃいませーと甲高いアニメ声を作って席に案内してくれる。
窓辺の席につき、渚がおすすめを尋ねるので、僕はカプチーノを二人分注文した。やがて一人の女の子がお盆に載せた二つのカップを運んできてくれる。きちんとミルクフォーマーで立てた真っ白な泡。シナモンの風味も香ばしく、なかなかの味だと僕らは自負している。
明らかに渚の方が丁寧に泡立てて作られているのに嫉妬しながら、僕は衝立の向こうから顔を覗かせる女子たちへ、しっしと犬を追い払うように手を振った。べーっと舌を出し、急に現れた美青年へ名残惜しそうな視線を残し、彼女たちは頭を引っ込めた。
「普段、弘也はこういうとこ来てんだなー」
窓から中庭を見下ろしながら、感慨深げに渚が言う。中庭の屋台には外部からの客の姿も多く、小さな子どもが風船を持ってはしゃいでいる様子が見える。
「ま、文系だし、あんまし先は明るくないけどな」
「文系だと明るくないのか?」
「理系の方が有利だろ、多分。就職とか」
「俺にはよくわからん。高卒だし」
「絵が描けるならいいじゃんか。手に職ってやつ」
うーんと呻り、渚はカプチーノをすすった。カップの持ち手を握る細い指は、まさに絵を描くためにあるのだと僕には思える。
僕らは数年後、どうなっているんだろう。漠然とした不安を覚えつつ、僕もカップに口をつけた。明るい展望よりも暗い将来を想像してしまうから、僕らは気が合ったのかもしれない。互いに不安を打ち消す馬鹿話のできる相手が、僕にとっては渚で、渚にとっては僕なのだ。