誰が阿呆よ
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トーガたちにとっては刺激的な1日だったのだが、昨日の出来事が起きたのは人通りの一切ない廃都近くの路地裏。
ピュリフィケーションに通う生徒はもちろん教師の中ですら、昨日の出来事を知っている人は一人もおらず、いつも通りに授業の時間が過ぎていた。
中等部一年A組の教室では、現在実技の授業をしており、教室にある黒板の前に置かれた教卓の上には実践用のデコイ人形が置かれていて、相変わらずプスプスと音を立てている。
教師が手に持っていたチョークを粉受けに置き、生徒たちの方へと振り返ると、「この術式を使ってデコイ人形を治せ」と生徒たちに語りかけた。
すると、一人の包帯を巻かれた手が一直線に手を挙げており、それは他の生徒の視線を一点に浴びる。
なぜなら、手を挙げているのがあの「出来損ないのトーガ」だからであった。
本来なら、トーガは実技の授業で手を挙げることなど絶対ない。
理由は簡単であり、トーガは実技の授業で必ず使う壊助能力を使えないからだった。
しかもたった一日前に「できないなら手を挙げるな」と叱られていたのにも関わらず、できないはずの実技の授業で手を挙げているトーガは、視線を浴びるには十分すぎる理由である。
「トーガ・ジュラルド、気は確か?」
「はい!」
自信満々に返事をすると、椅子を引いて立ち上がる。
いつもの暗い雰囲気とは違い、凛々しい表情をしたトーガが教卓に向かって歩みを進めると、周りの生徒たちはこそこそと疑問を投げ合っていた。
「どういう風の吹き回しだ?」
……と生徒たちが言い合う中、トーガは教卓の前で歩みを止める。
プスプスと音を立てるお馴染みのデコイ人形を目の前にすると、トーガは右手を伸ばしながら、左手で支えて息を吸い込み、壊助能力を使った。
……のだが。
「……あれ、なんで。」
トーガの視線と手の先には、いつも通りの紫色のデコイ人形がプスプスと音を立てている。
まるでバグが治った様子のないデコイ人形は、昨日、壊助能力が使えたおかげで浮かれていたトーガを現実に引きずり戻した。
デコイ人形をただ見つめ、教卓の前に立っているトーガの耳には、相変わらず嘲笑う声が聞こえて、静かに伸ばしていた手を下ろすと、呆然とその場に立ち尽くしている。
「昨日はたしかに出来たはず」と、トーガは頭の中を疑問一面で埋め尽くしているのだが、教師は痺れを切らした様に貧乏ゆすりをして、大きくため息をついた。
教師の履いている靴についたヒールの音が教室内に響き渡ると、我に返ったトーガは視線をあげる。
わなわなと手を震わせるトーガをよそに、教師は投げる様にトーガに言った。
「もういい、戻りなさい。」 「……はい」
教卓に背を向けて、トーガは自分の机に歩みを進める。
一歩一歩足を進めるたびに教室の中では小さな笑い声が聞こえており、それは皆がトーガに視線を向けていた。
だが、それは突然壊れる。
バリンッ!
突然、大きな音を立てて教室の窓ガラスが割れたのだ。
大きな音と共に、トーガを笑う声は悲鳴に変わり、向けられていた視線は全て窓ガラスの方に向く。
半透明のカーテンが風に揺れ、ガラスの破片が飛び散る中、トーガがそちらへ視線を向けると、そこには人影が見えた。
その人影は見覚えのある明るい太陽の様な色の髪を揺らしており、背中に大きな鞄を背負っていて、トーガ含む生徒たちと同じ制服を身に纏っている。
「ボット!?君なにやって……!」
「おぉ!やっぱりここにいた!」
窓ガラスを割って部屋に侵入してきた人影の正体は、ボットであった。
「次いつどこで会うか約束してなかったからな!」
そう言って嬉しそうに頬を染め、落ちている破片を踏み潰しながらトーガに駆け寄るボットの前髪が揺れると、昨日治したはずの左目が見えたのだが……治ってなどおらず、左目は元通り黒ずんでいる。
何故かをボットに聞いてみるが、「そんなの俺が聞きたい」とトーガに言い返し、悩ましそうに眉間に皺を寄せて腕を組んだ。
周りの視線を全く気にもせず、表情をころころ変えながら悩んでいるボットを見て、トーガは自然と強張っていた表情が緩み、気持ちも楽になっていくのを感じる。
思わず口元に手を当てて笑うと、その雰囲気をぶち壊す様に、イラついた教師の手が伸びてきた。
「なんなんですかいきなり!制服……はうちのものですが……学生証は!?」
教師はボットの肩を掴みながら怒鳴り、同時に学生証の提示を要求している。
学生証はピュリフィケーションに通っている生徒なら皆貰える校章が描かれた手帳である。 開くと生徒の写真、学年、名前などが書かれているいたってシンプルなものだ。
まあトーガと同じ制服を身に纏っているのならピュリフィケーションの生徒であるのは間違いないだろうし、なら学生証は持っていて当然。
……だが、ピュリフィケーションは壊助師を育成するための壊助師専門学校なのにも関わらず、討罰士であるボットがいる理由は不明であり、トーガは顎に手を当てながら首を傾げた。
するとボットは、教師に視線を向けながら予想もつかない言葉を発したのだ。
「え、俺ここの生徒じゃねーし学生証なんて持ってねーよ」
「そもそも俺、討罰士だし」と言うボットを見るなり、教師は大きくため息をついてからボットの肩を掴んだまま引きずりながら教室の壁際に向かう。
教師が壁際に立て付けられている電話を取ると、不法侵入者がいる、とだけ告げて電話を元の位置に戻した。
教室の壁際では、離して欲しそうにもがくボットを、意地でも離すまいと教師が肩を掴んでいる。
しばらくしないうちに、鎧を見に纏った警備員がぞろぞろと五、六人入ってき、ボットのことを連行していった。
「痛いな、優しくしろよ!」なんて警備員に話すボットは両腕を掴まれて足が浮いている状態であり、側から見たら結構みっともない。
トーガは思わず笑いそうになるのを必死に堪えて、口元を手で抑えているとボットが振り返り、トーガに話しかけた。
「校門前の噴水んとこいてくれ!」
「えっ」
いつ頃、いつまでかは聞く暇もなくボットは連行されていってしまう。
唖然と警備員たちが出ていった教室の扉に視線を向けていた。
……マジでなんなの、あいつ。
トーガの思う、「空振りバグ持ちのボット」に対する疑問は深まるばかりだ。
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突然のボットの乱入により、トーガを嘲笑っていた雰囲気が見事なまでに壊れたうえ、連れ去られていくボットの間抜けな姿を見てすっかり元気になったトーガは、授業の合間に思い出して笑ってしまいそうになりながらもなんとか抑えていた。
きちんと授業を受けるべく、やる気を出そうと頬を緩く叩くと、叩いた頬の方ではなく包帯を巻いている手のひらが痛みで悶絶する。……が、目的のやる気は無理矢理ではあるものの出せたため、意外にも時間が経つのが早く感じ、気がつくと放課後になっていた。
手際良くノートと教科書、万年筆を纏めて背負い鞄に詰め込むと、小走りで教室を後にして階段と廊下を駆け回る。
たまに躓きそうになりながらも、トーガは校門飛び出して一直線に約束の場所である「校門前の噴水」に辿り着いた。
……噴水の周りをぐるりと見渡すが、ボットはまだいないようだ。
仕方がないので、ボットが来るまで時間を潰そうと背負い鞄から本を取ると、本を捲って読み始める。
……否、読み始めようとした、が正しいだろう。
トーガは、本を読むのを中断するかの様に何者かに掴まれた手首を見ると、大きくため息をついた。
「ここにおったか阿呆め」
「は?」
出会い頭に「阿呆」だと罵られた挙句、突然手首を掴まれたこともありトーガの口からは思わず不機嫌そうな低い声が飛び出す。
手首を掴む病弱そうな白い手はトーガの声を聞いても離そうとはせず、面倒そうにトーガが視線を相手に向けるが、当然ながら知らない顔であった。
女性受けの良さそうな凛々しい顔立ちに、足首まで伸びている深緑色の髪の毛は白いリボンで雑に結われてあり、ここらでは見たことない服装で身を纏っている。
肩部分に網目があり、七分袖の袖口幅はやけに広く布は薄い。
同じく袖口幅が広い半ズボンに、紐の様なものが括り付けられた靴を裸足で履いているこの男はかなり異質であり、トーガはかなり引いていた。
……が、辺りにいる女性からは小さな歓声と桃色の視線を総取りしている目の前の男は何も言わずにただトーガの手首を掴んでおり、ただ黙々と眉間に皺を寄せながらトーガを見つめている。
「あの、どちら様ですか。」
「なんだいきなり。俺の名前を忘れたのか、俺は……」
目が見えないのか、じわじわと顔を近づけてきた男の顔を持っていた本で阻止しながら問うと、男は言葉を止めて黙り込んでしまった。
その沈黙はかなりの間続き、噴水の水の音がその分大きく聞こえる。
トーガが痺れを切らし、心の中で急かすと、男はその声が聞こえたのかは知らないがゆっくりと口を開く。
「あれ、俺名前なんだっけ」
「は?」
だが、男の口から出てきたのはずっと焦らされていた名前ではなく、自分の名前を忘れたというまさかの言葉だった。
阿呆はあんたでしょ、とトーガが頭の中で思いながら、男に問いかける。
「じゃああなたは何を探しているんですか?」 「お前しかいないだろ」
「お前って誰ですか、人違いですよ」 「お前はお前だろ」
こんな会話をしていれば、いくら色男でも女性は冷める。
すっかり男を狙う人集りは無くなっており、それどころか二人を避ける様に噴水の周りだけ大きく距離を置かれていた。
だが、男の相手をしているトーガは冷めるどころかメラメラと心を燃やしていた。
もちろん恋心などでは断じで無く、ただただシンプルに怒りの炎である。
そんな時、トーガの肩が後ろから叩かれた。
「トーガおまたせ!」
「本っ当に待ったわ」
「……どうした?」
叩かれた方を振り向くと、そこには待ち望んでいたボットが笑顔で立っている。
のだが、トーガの手首を掴んでいる男を見るなり笑顔から困惑した表情に変わった。
「誰?」とボットは指を差すが、トーガは分からないものはわからない。
素直に「知らない」と返答していると、男は突然トーガに顔を近づけてくる。
……というよりトーガの顔を見ようと近づいたのだろう、瞬きすら惜しんで目を見開いて見ると、男はトーガに対してこう言った。
「お前、ピックじゃないのか」
しばらく続く、長い長い沈黙。
首を傾げる男をよそに、トーガは呆れた表情を見せながら、本を口元に寄せている。
だが、沈黙はそう長くは続かず、何食わぬ顔をしたボットによって壊されたのだった。
「ピックって誰だ?」
全くその通りだ
トーガは首が千切れるんじゃないかと思うぐらい、首を縦に振っていた。
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