ガッツとハート
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『お父さん、わたしにはもう無理だよッ……』
『どうした?また誰かにいじめられたのか?』
少女は泣きながら目元を真っ赤に腫らして、大好きな父へと歩み寄る。
忙しそうに書類の山を抱き寄せていた父は、その書類の山を下ろすと、少女に視線を合わせる様に膝をついて、そっと抱き寄せた。
耳元でぐすんぐすん、と涙ぐむ中、背中を優しく撫でてやりながら少女の返答を待っている。
肩を震わせながら、しゃっくりをする少女は、父の大きなペンだこだらけの手に撫でられていくうちに落ち着きを取り戻すと、そっと小声で話し出す。
『隣の席の子に言われたの、出来損ないは学校に来るなって』
『うん』
『先生も、出来ないなら手をあげるなって怒鳴るの』
『うん』
『みんな、私を駄目だって言うから、私もう……!』
『……そうか。』
聞いている父も、よく見たら震えている様だった。
悔しさからか、悲しさからか、怒りからか、抱き寄せられている少女には表情が見えず、分からない。
……が、聞こえる声は何に変哲もない、優しい父の声であった。
『辛いか?』 『……うん。』
『悔しいか?』 『うん。』
『じゃあやめるか?』 『ッ……』
少女は言葉を詰まらせる。
抱き寄せていた手を離し、顔を見てやると、それはもう心底嫌そうな顔をしていた。
そんな表情を見るなり、父は思わず吹き出す。
少女は首を傾げる中、父は「ちょっとまって」だなんて言いながら、口元を手で覆っていた。
が、すっかり震えがおさまった父は、改めて少女の方を見て、肩を掴む。
そして、言った。
『おまえがやめたいと思うなら止めはしないさ、いじめられるのは辛いだろう。』
『だがな、やめたくないんだろう?続けたいんだろう?』
『うんッ!』
少女の返答を聞くと、父はにっこりと笑う。
そして右手で頭を撫でてやると、少女は灰色の髪をぐしゃぐしゃにされながら釣られて笑った。
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ふと、昔父に言われたことを思い出した。
そういえば、図書室でも思い出したな、なんて思いながら震える右腕をなんとか左手で支えて前に出す。
……出来るかどうかは分からない。はっきり言って出来る可能性の方が確実に低いのだろう。
何故なら、出来ないから「出来損ないのトーガ」だと呼ばれ続けたから。
だが、トーガは手を伸ばしていた。ただ、「自分のやりたい様に」やるために。
ガッツとハートがあればなんとかなる!
_おまえはただ、やりたい様になりなさい。
大好きな父の声が脳裏に響き渡る。
それとほぼ同時に、トーガは腹の底から声をあげていた。
「ガッツとハートがあればなんとかなァァァる!!」
「壊助!!!」
眉間に皺を寄せながら、目を閉じて叫ぶ。
視界が真っ暗な中、トーガは右腕に違和感を感じた。
帯びていた熱と痛みが、指先に集まって行き、抜けていく様な感覚。
何事かと思い、ゆっくりと目を開くと、そこには幻想的な光景が広がっていた。
トーガの腕を染めていたはずの紫色は、淡い光を放ちながら指先へと集まっていく。
その光はどこか暖かさを抱いており、いつの間にか差し出している右腕の指先に満ちていた。
すっかりいつもの血色を取り戻した腕は、未だ淡い光を放っている。
そしてそのまま……淡い光は閃光を描き、ボットの元へと飛び込んでいった。
同時にウイルスは紫色の炎をボットに吐き出し、辺りに大きな地響きと、土煙が舞う。
トーガの耳には、炎の飛び散る音と、地響きのこだまだけが聞こえる。
そんな中、ゆっくりと晴れた土煙の先には……
「やるじゃん、お前!」
震える腕を高々と掲げ、カッターナイフを構えるボットがたしかに立っていた。
_「空振りバグ」の症状である、左目を覆う真っ黒なアザが消えた、綺麗な瞳を輝かせて。
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トーガの目の前では、激しい攻防が繰り広げられていた。
ウイルスの攻撃をボットが受け流し、受け流した後カッターナイフの持ち方を変えて大きく振りかぶる。
そのまま風を切る様な音を鳴らしてカッターナイフがウイルスの腕を叩き切るも、腕はあっという間に治ってしまった。
いくら「空振りバグ」が治ったとはいえ、今まで戦っていた疲れが癒えるわけでもなく、突然超強力な力を得られるわけではない、あくまでも「攻撃が当たる様になっただけ」である。
これでは埒が空かない、とトーガは思考を巡らせた。
顎に手を当てながらトーガが考えている間も、当然ながら攻防は続いている。
唇に人差し指を当て、焦った様に唇を突きながら考えるが、時間は刻一刻とすぎてしまっていた。
ウイルスの攻撃により、ボットの武器であるカッターナイフの刃の部分が黒ずんでいき、一枚、また一枚と刃を落としていく。
滴る大粒の汗と、ふらつくボットの足元を見て、思考が焦りだしたその瞬間、トーガはとある本の内容を思い出した。
それは、ウイルスの詳細、見た目、倒した際の記録が書かれていた本。
読んでいた時には、情報が何一つ共通しておらず、首を傾げるしか無かったが、今はこの情報を頼りに動くほかなかった。
そうと決まれば。トーガはその辺に落ちている握り拳ぐらいの大きめな石を掴み、ウイルスに向かって投げつける。
「どぷん」だなんて音を立てながらウイルスの足に呑まれていく石を見て、トーガは顔を歪ませながら足を踏ん張り、その場を駆け出した。
「こっちだデブ!のろま!とっとと来い!」
中指を立てながら、擦り傷だらけの足をなんとか動かすと、ウイルスはその挑発に乗ったのか、はたまた先程投げた石に反応したのか標的をトーガに変える。
汗を手の甲で拭いながら「なにッやって……」とふらつく足でなんとか立っているボットを見て、トーガはただひたすらに走り出し、その場に手をつけた。
その手をつけた場所には、長い蔦が地面に波線を描く様に伸びていて、それは手入れのされていない低木に繋がっている。
そんなことは知らないウイルスは、通った足場に大きな亀裂を作りながら、恐ろしい声で鳴き散らして走ってきた。
ウイルスの足が、目的の場所に近づく。
今だ、とでも言うかのようにトーガは力任せに蔦を引っ張った。
「転べえええええッッッッ!!!」
蔦を引っ張る手が擦り切れる、見えてはいないが恐らく血まみれなのだろう。
そんなことは気にせず、腰を踏ん張らせて両手で蔦を引っ張ると、その蔦は思っていたより成長していたようで、地面を埋めているレンガを弾きながら、ウイルスの近くにある低木に向かって線を描いて飛び出した。
トーガの腕よりもずっと太く成長している蔦がボコボコと音を立てて地面から飛び出すと、案の定ウイルスはそれに躓き、転び、そして絡まる。
作戦通りに行った、そうトーガが口角を上げて歯を見せながら笑うが、ウイルスに触れている蔦が少しずつ紫色に染まっているのがわかった。
「これではすぐに蔦が駄目になる」トーガは思うと、疲れからか動こうとしないボットに、怒鳴りつけたのだ。
「胸元のど真ん中!!!!背中から狙って!!!!」
「は!?」
「いいから早く!!根性見せなさいよ!!男でしょ!?」
本に載っていたウイルスは、みな揃って弱点を持っていた。
だがその弱点に共通性はなく、おまけに色、形、鳴き方、全てが違うせいもあり、トーガは本を開くたび頭を悩ませていたのだ。
疲れ果てている少年と、傷だらけの少女、明らかにこの状況はよろしいものではないし、確信がある訳ではないのにこの賭けに体を張るのは我ながら無謀だな、としか言い様がない。
でも良いじゃないか、無謀だろと、バカ丸出しだろうと、出来損ないだろうと、
_やりたい様にさえやれれば。
大きな瞳に濃色の体、これに似たようなウイルスが本に載っていた。
それの弱点は、胸元のど真ん中、例えるなら心の位置だろうか。
ウイルスが暴れる度に、蔦の黒ずみは広がりながら波を描いて動く。死んでも離すものか、と言いたげな尖った目線をしたトーガは、その勢いに飛ばされそうになりながら、がっちりと蔦にしがみついていた。
カッターナイフの刃が、また一枚「ぱきり」だなんて音を立てて落ちる。
それとほぼ同時に、ボットは大粒の汗を流しながら、ふらつく左足を力強く踏み込み、ウイルスの大きな体に届くよう飛び跳ねた。
そのままカッターナイフを突き立てるように持ち替え、狙うは胸元のど真ん中。
ウイルスの大きな叫び声とともに、ボットの喉をビリビリと鳴らす咆哮が路地裏にこだました。
「う゛ら゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛ッッッッッ!!!」
カッターナイフが刺さると、ウイルスは動きをぴたりと止める。
大きな背中に突き刺したカッターナイフにやっと掴まっているボットは、足が地面に付くことないままぶら下がっていた。
肩で息をするボットを他所に、血だらけの手で蔦を握るトーガは蔦をマジマジと見る。
ウイルスの動きが止まったと同時に、進行の進んでいた黒ずみも止まったのを確認できた。
目を見開きながら、ゆっくりとウイルスに視線をやると、ウイルスは薄紫色の光を放ち、泡のように天へと消えていったのだ。
「うべっ」
ウイルスが消えると、刺さっていたカッターナイフも重力に従うように落ち、もちろんそれに掴まっていたボットもうつ伏せで地面に倒れる。
その際顔面を強打し、鼻血が出たのか、右を向いた顔には赤い鼻をはじまりとして血の線を描いていた。
辺りは先程の賑やかさと反して静かであり、トーガとボットの荒い呼吸だけが聞こえてくる。
「やっと倒せた」という途切れ途切れのボットの声を聞き、我に返ったかのようにトーガは自分の血だらけの手を見て、大粒の涙を流しながら泣き出した。
_バグを、治せたんだ。
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