竜の息吹の些細な喧嘩
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「おじいちゃんのバカーーっ!」
立て付けの悪い扉が外れるんじゃないか、と思うほどに勢いよく扉が叩き開けられる。
普段はパタパタと軽い足音なのにも関わらず、今回は怒りがこもっている様でドタドタと重い足音が遠ざかっていった。
くすり屋「竜の息吹」の店内、ギィギィと間抜けな音を立てる扉に手を伸ばしているキリュウは、ゆっくりとその手を下ろして腰に当てる。
その後、近くに置いていた椅子に腰を下ろすと、スゥ とため息をついた。
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怒りに身を任せて竜の息吹を飛び出したピックは、頬を膨らませながら商店街を見渡す。
なんとなくで果物が並ぶお店の前に立ち、リンゴを一つ掴むとその赤い実を見つめた。
ツヤツヤとしたリンゴの皮に、眉間に皺を寄せているピックの顔が写っている。
それを見るなり更に頬を膨らませたピックは、リンゴを元の場所に戻すと、ぶっきらぼうに隣に並んでいたオレンジを手に取って、
「これください!」
と、その果物屋の店員であろうおじいさんに話しかけた。
「なんだいピックちゃん、今日は不機嫌だな。またお兄さんとなんかあったのかい」
「そうなんです!もう!おじいちゃんは私のくろうをなにも分かってなくて……!」
「はっはっは」
ポケットに入れていた皮袋からお金を取り、手渡しながらこの様な会話を繰り広げる。
ピックはお釣りを手のひらに受け取り、人差し指でお釣りを数えていると果物屋のおじいさんは買ったオレンジを紙袋に入れて差し出してきた。
「急がなくていいからね」とおじいさんは微笑みながら、ピックを待っている。
やがてお金を数え終えたピックは皮袋にお金をしまうと、ポケットに皮袋を戻し、おじいさんの手から紙袋を受け取った。
……のだが、その紙袋が明らかにおかしい。
口の部分が折り畳まれている紙袋を開けて、中身を覗き込む。
すると、やはり紙袋の中には二つの果物が入っていたのだ。
一つはピックが手に取って買ったオレンジ。
そしてもう一つはまたしても手に取っていたリンゴだった。
「え!これ買ってない……」
「ピックちゃんいつも良くしてもらってるからね、サービスだよ。」
「さあびす」
「ああ、お兄さんと食べるといいよ」
ピックは紙袋の中からリンゴを掴み、写っている自身の間抜けな顔を見つめる。
「ありがとうございます」とおじいさんにお礼を言うと、果物屋を後にし、紙袋を揺らして歩みを進める。
「仲直りするんだよー」
おじいさんの優しい声が聞こえて、歩みを進めていたのを止めて振り返る。
すると、おじいさんが優しく微笑みながら身を乗り出して手を振っていた。
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リンゴの入った紙袋を抱えながら、買ったオレンジの皮を剥く。
ゆっくり歩みを進めつつ、オレンジを一切れ摘み口に含むと、オレンジの甘味と柑橘系の香りがふわりと広がる。
おいしい!おじいちゃんにもあげよう
自然と頭に浮かんだ言葉に歩みを止め、身が一つ欠けたオレンジに視線を向ける。
同時に先ほどのおじいさんの言葉を思い出した。
__「仲直りするんだよー」
ピックは、キリュウに「バカ」と怒鳴りつけて飛び出した時の様子を思い浮かべる。
困った様に眉を下げ、落ち着かせるように声をかけてきて、なんだか、ものすごく悲しそうな顔をしていた気がした。
それを見向きもせずにヤケになって大きな声で怒鳴り、力任せに竜の息吹を飛び出したのは誰だっただろう?
「……仲直り、しなきゃ」
進めていた足を止め、竜の息吹へと振り返り、足を踏み出す。
が、その時視界の隅に入ったのは、ひとりの小さな女の子が路地裏に引っ張られていく光景であった。
女の子は涙目になりながら、「たすけて」とか細い声で言っており、細く小さな手で抵抗をしていたが、女の子を掴んでいた腕はガッチリとしていた男性の手であったため、抵抗も虚しく路地裏に引っ張られていく。
その瞬間、ピックは吸い込まれるように竜の息吹とは真逆である路地裏へと駆け込んていた。
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路地裏に駆け込み、少し走ると、すぐに女の子の姿が見えた。
女の子はガタイの良い男の腕に担がれており、わんわんと大粒の涙をこぼして泣いている。
「ママ、ママ!たすけて!」と大口を開けて泣く女の子に苛立ちを覚えた男は、拳を振り上げると、「うるせえ!」と怒鳴り、拳を振り下ろす。
「待ちなさい!このきんにくゴリラ!」
「……ああ?」
拳が当たるのを防ぐべく、咄嗟にピックは声をかける。
焦りからか声が裏返ってしまったのだが、男の拳と足を止めることには成功した。
男はゆっくりと振り返ると、青筋をビキビキと浮かばせてピックを睨んでいる。
あきらかにイライラしているのは明白であったが、ピックは更に煽りを入れて男を挑発した。
「その子をはなしなさい!泣いてるじゃないの!」
「第一ゆーかいなんて今時ださいのよ!へん!」
「えーと、えーと。そ、そんなリンゴみたいなアタマしてなによー!」
リンゴみたいな頭、男はスキンヘッドだった。
悪口が浮かばなかったということもあり、最後にはよくわからないことを言っていたが、男を挑発することには成功。
「なんだとこのガキ!」と男は怒鳴ると、担いでいた女の子を床に叩き落とした。
指をパキパキと鳴らして近寄ってくる男の背後には、泣きながら腰を抜かしている女の子が心配そうにこちらを見つめている。
瞬間、男は地面を踏み付けて走ってきた。
ぐしゃ
が、男はピックの目の前で足を止める。そして、痛そうに目を擦り始めた。
足元には、チタチタとオレンジの果汁と潰れたオレンジの身と皮が落ちている。
そう、ピックは男の顔面目掛けて、食べかけだったオレンジを潰してぶつけたのだ。
オレンジの果汁が目に染みているのだろう、男は痛そうに目を擦り、余計に青筋を立たせる。
敵の視界が塞がれているこの有利な状況、逃す術はない。
ピックは男から距離をとりながら、紙袋からリンゴを取り出し、お金の入った皮袋に入れる。
するとそのまま、ぐるぐると袋を回転させて男に向かって走り出し……
「やーーっ!!」
男の股下へと滑り込み、リンゴとお金が入った皮袋の一撃を男の股間へとぶつけた。
振り回した上に助走を付けた一撃、おまけにリンゴだけでなく硬貨も入っていたこともあり余程痛かったのか、ヒュッと喉を鳴らしてその場にうずくまる。
全身を震わせ、顔を真っ青にしている男を前に、ピックは皮袋を掲げて睨みつける。
皮袋からはリンゴの果汁が滴っており、中身が潰れていることは容易に想像できた。
「ック、クソ……この……このっ」
男は声と体を震わせながら、股関節を両手で抑え、ゆっくりと体を起き上がらせようとする。
歯軋りを鳴らし、みっともなく内股のままピックを睨みつけた。
その男の身なりは、着ている衣服もところどころほつれてぼろぼろな上、髪もボサボサ。見える素肌も泥だらけであることから、おそらく貧民街に住んでいることが想像できる。
身代金目当て、又はピックの真後ろで怯えている女の子を売りにでも飛ばそうとしたのだろう。
男はもともと女の子を連れ去ろうとした自身が悪いにも関わらず、ぎょろりとピックを睨みつけ、ようやく痛みも引いたのか、地面を強く踏み付けた。
……否、踏みつけようとした。
がん!
起きあがろうとした男の股間に、またしても強烈な一撃が入り、男はうずくまる。
ピックと女の子は、その一撃をくらわせた、珍しい衣服と履き物を見に纏う人物を目で追った。
「おじいちゃん」
「おうピック、探したぞ。」
男の股間へと蹴りを入れた右足を、不満そうにぷらぷらと揺らしている人物の正体はキリュウだった。
余程感覚が気に入らなかったようで、何度も何度も太腿の裏や脹ら脛の裏に足を擦り付け、なんとか感覚を拭おうと奮闘している。
しかし、感覚が取れることはそうそうなく、諦めたのか大きくため息をついてキリュウはピックの元へと歩み寄った。
そんな中、ピックは尻餅を付いている女の子を起き上がらせて容態の確認。
特に怪我や病気等は無さそうであり、安心したようにお礼を言いながら泣きじゃくる女の子の頬を撫でている。
ざり、とキリュウの履き物が地面に擦れる音が近くに聞こえ、ピックが振り返ると、そこには右手を差し伸べているキリュウの姿があった。
「帰るぞ、俺だけで帰り道がわからん。」
「……もう。」
ピックは少しばかり目を見開いたあと、呆れたように笑った。
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先に女の子をなんとかしようと商店街へと戻ると、なにやら顔を真っ青にしている女性があたふたと慌てており、その女性が母親であることはすぐに分かった。
女の子は「ママ!」と泣きながらその女性に飛びつき、女性も「探したのよ」と同じく泣きながらその女の子を抱き寄せる。
母親である女性に事情を説明すると、それはもう感謝された上、お礼をとまで言われてしまったが、ピックは全力で遠慮した。
それはもう頭が滑り落ちるんじゃないかと思うほど、頭を左右に振り回して遠慮しまくった。
流石にその様子を見た母親は渋々引き下がったが、歩みを進めながらも、姿が見える最後の最後まで振り返り、感謝として頭を下げ続ける。
女の子も大きな声でお礼をいい、元気に手を振ってくれていた。
「……さて、私たちも帰ろっか。」
「そうだな、帰り道はこっちか」
「おじいちゃんそっち逆」
「そうか」
女の子へ手を振りかえし、姿が見えなくなったのを確認してから、自宅である竜の息吹のある方向へと足を進める。
小柄なピックの歩幅は狭いため、当然進みは遅いが、気怠げに腰ポケットに両手を入れ、キリュウはピックに合わせるようにゆっくりと歩く。
そんな様子を横目に眺めると、ピックはリンゴの果汁でどろどろになった皮袋を握りしめて、ボソリと言葉をこぼした。
「おじいちゃん、ごめんなさい。」
しばらくの沈黙。
ただただ、ざりざりと地面を擦る靴底と商店街の賑わいだけが聞こえた。
が、その沈黙を壊すようにキリュウはすんと鼻息を一回。
そして、
「なんのことだか覚えてねぇな、まあいいんじゃないか。」
……と、笑って見せたのだった。
「もう、すぐ忘れるんだから。」
「そうか?」
「そうだよ。でも、好き嫌いして野菜炒めのピーマンだけのこしたのは許さないからね!」
「……なんのことだか覚えてねぇな」
「うそつかない!!」
番外編・竜の息吹の些細な喧嘩【完】
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