大好きな父と
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目を開くと、そこは辺り一面真っ白であった。
足場なんて見えやしないのに、不思議と地面があり、そこに立っている。
トーガは訳もわからず、首を傾げるが、その場に立ち尽くしていても話は始まらない。
飛び交っていた本のページで擦り切れてしまった手首や足首から流れる血を軽く拭うと、トーガは何もない場所をただ歩み進めた。
しばらくすると、心地の良い時計の音と共に、一つの大きな扉が見えた。
真っ白な世界に不自然に浮かぶ木製の扉。
その扉の構造はトーガの知っている物と瓜二つであり、そっと息を呑んで喉を鳴らす。
何処か既視感のある扉のドアノブに触れると、そのままドアノブを回した。
ガチャリ
鍵がかかっている様子などはなく、当たり前のように開く扉を見て、トーガはそっと目を閉じる。
……変わってないなぁ、私に優しいの。
心の中でトーガはそう思うと、開けた木製の扉の中へと顔を覗かせた。
開いたカーテンから覗く、暖かな光がその室内を照らす。
室内には壁一面の本棚と、そこに敷き詰められた本。
部屋の真ん中には大きな机。
……そして、その机の目の前には、大きな男性の背中。
「ねえ、どうして通してくれたの?」
トーガは、涙ぐんでいる声でそう問いかけると、男性の背中はゆっくりと動きを止める。
机に向き合い、本を読んでいた手を止めると、ギシリ と音を立てて木製の椅子を引いた。
この世界に来てから、トーガの中では疑問があった。
それは、軸の記憶を頼りに世界を作っている……という点について。
トーガを軸として、この世界を作っているなら、トーガの知らないものはこの世界にはないはず。
というより、トーガの知っているものしかこの世界には作られていないはずなのだ。
だが、何故かその時の記憶にあるトーガには知り得ない本や部屋の内装、そして邸の門の外の世界。
幼いトーガでは知っていなかったはずの背景が、遥か遠くまで繊細に再現されていた。
つまり、この世界を作った際、軸となった人物……この世界が最も都合の良い記憶である人物が少なからずもう一人いる……ということ。
実際複数人いるかもしれない、何もわからない状況であったが、自然とトーガは頭の中で確定させていた。
「……お父さん。」
そっと、トーガは呼ぶ。
振り返った男性は、何処か悲壮感を漂わせ、トーガと同じ灰色の髪を揺らしていた。
その姿は、見間違えることのない大好きな父の、ハンスの姿だった。
「トーガ、久しぶりだな。」
「そうだね」なんて相槌を取り、トーガはその場から足を踏み出して進む。
机の近くまで歩み寄ると、机に両腕を預け、寄りかかる。
話をしづらいのか、ハンスは口元を歪ませて言葉を詰まらせている。
そんな様子を見てか、トーガはポツリポツリと話し始めた。
「私、つい最近もの凄くいい出会いがあったの。」
「まず、ボットっていう男の子。凄く賑やかで、頼り甲斐があって、私がピンチの時、絶対助けに来てくれるのよ。」
「でも、討罰士なのに攻撃が当たらないのよ。おかげで毎回戦いがてんてこまい。」
「……」
「次にキリュウっていうよくわからない男の人。初めて会った時はすごく驚いたわ、だって突然手を握ってきて私を阿呆呼ばわりするのよ?私、勉強だけは取り柄なのに失礼だと思わない?」
「しかもずっと手を離してくれないものだから焦ったわ!でも、そんな時に助けに来てくれた女の子がいたのよ。その子はピックって言ってね、こおんなに小さな子なのにお店を経営してるのよ!」
「トーガはその人たちが大好きなんだな」
「ええ!」
ピックの身長を表すためにジェスチャーをしていた手を止め、元気よく肯定をした後すぐに恥ずかしそうに頬を染める。
肘を机に当て、頬に手を当てると「やだ、ごめんなさい」と机に顔を伏せた。
「それでね、うちの邸に新しい使用人を雇ったのよ。シグとユゥっていう兄弟。」
「弟のシグ、食べるのが大好きで、すぐに泣くしすぐに騒ぐのよ。せっかくやればできるのに、勿体無いのよね。」
「と、兄のユゥ。なんでもこなしちゃうし、バグを操れる不思議な子なの。でも少し見てると頭が痛くなる時があってね……」
絶え間なく喋っていたトーガは、未だ机に顔を伏せたまま。
だが、先ほどの話を最後に、トーガはだんまりを決め込んでしまった。
長い沈黙が続く。
ハンスがトーガへと視線を向けると、伏せたままのトーガの背中が震えているのが分かった。
震えを心配したハンスは、そっとトーガの肩に触れようと手を伸ばす。
が、触れることは叶わず、トーガは勢いよく顔を上げた。
「お父さん、私、大丈夫よ。」
「ッ……!」
なんとなく、曖昧すぎる感ではあるが、トーガはそれを信じていた。
「私が転んで泣いた時も、」
この世界の「軸」が私で無いと知り、でも私の周りを自分よりも知っている人の記憶を「軸」にしている物と知って。
「私が壊助を使えないってわかって泣いた時も、」
「軸」の都合のいい世界になるなら、私に優しいのは可笑しい、だからこそ、信じていたのだ。
「学校の皆にいじめられて、「出来損ないのトーガ」なんて呼ばれて大泣きしながら帰ってきた時も。」
___いつだって、お父さんは私の事を誰よりも心配していた。
記憶の中では、ハンスが心配そうに眉を下げ、不細工な顔をしたトーガが鼻水と涙で顔を濡らし、それを苦笑いしながら自身の袖で拭ってくれている。
「汚いよ」と言いながら無理に手を離そうとしたが、離れることはなく、トーガが泣き止むまで、優しく拭うのを辞めなかった。
思い出しただけで涙が溢れそうになり、それを必死に堪える。
私は、今泣かずに笑えているのだろうか?
「私、もうお父さんに助けられなくても大丈夫だから!」
名一杯、今出来る最大限の笑顔を、大好きなお父さんに見せた。
視界が歪んでいる、目元が熱い、涙が溢れないように抑えるのだけで精一杯。
だが、思いは伝わった様子。
ピシッ とヒビ割れたような音と共に、大好きなお父さんの頬から一粒の涙が伝った。
「学校は楽しいか?」 「……まあまあ」
「毎日ちゃんと食べてるか?」 「当然!」
「お父さんがいなくて、苦しい思いしてないか?」 「……」
口元が歪む、これにYesと答えようものなら、この世界が終わってしまう気がしたから。
先程までの嘘っぱちの世界とは違い、目の前のお父さんは紛れもなく本物。
一体どうやってこの世界にいるのか、なんて疑問はどうでもいい、1秒でも長くここにいたかった。
……でも、それじゃあダメ。
「ええ、勿論。なんてったて私は、あのジュラルド家の一人娘だもの!」
ピシッピシッ 一際大きな音が聞こえる。
辺りを見渡すと、地震が起きているかのようにグラグラと揺れ、本棚からは本が抜け落ち、壁がパラパラと砂を落としながら崩れていた。
「良かった。」
ハンスは声を震わせながら、一本の万年筆を手に取る。
するとそれを持ちながら、トーガの左手を優しく包み込み、万年筆を握らせた。
この世界から脱出するには、「軸」の破壊が必要。
今この瞬間だけは、どんなバグにかかっている時よりも痛く苦しかった。
「お父さん、私、絶対お父さんみたいな皆を笑顔にしちゃうような壊助師になるから。」
「見守っててね」
コクリ
大好きなお父さんが頷き、万年筆を心臓に目がけて振るう。
刺さった万年筆は深々と大好きなお父さんに刺さって行く中、お父さんはそっとトーガを抱きしめてくれていた。
そして、世界は薄紫の泡となって消えていく___
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