少女は未だ、夢の中
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父が仕事に行っている間、少しでも賢くなれればと思ったトーガは、コツコツと軽い足音を立てる。
小さな両の手でドアノブを包み込むと、そのままドアノブを回して扉を開いた。
「んーよいしょ!」
扉の先に見えるのは、あたり一面本棚、本、本棚、本棚。真ん中に机と椅子が一つずつ。
ここはジュラルド家の書斎であった。
埃ひとつない手入れがされている書斎へと足を踏み入れ、近い本棚から本を適当に掴む。
そして机のすぐそばへと小走りで向かうと、椅子を引いて座り、本を広げた。
中に書かれているものは幼いトーガには到底理解し難い内容ばかりなはず。
本来習っていない言葉ばかりが並んでいるのだが、何故か読むことをできたトーガは首を傾げた。
「ぼうしょくのほん……りゅうのまんねんひつ?」
書かれている物の詳細こそは理解できなかったが、やはり学んでいない文字が読めることに違和感を持っていた。
まるで……この文字の、言葉の読み方、書き方、意味を知っていたかのような、もどかしい感覚。
そんな突っ掛かりを抱えたまま、読んでいた本を一ページ読み進める。
次に見えたのは、綺麗な付箋の挿絵だった。
「ときの……ふせん。」
付箋の束から一枚取り、日記帳や写真に貼り付けると、その思い出の中に入ることができる代物。
長く思い出の中に居座ることにより、自身の元あった記憶が薄れていく。
……と書かれているページ。やけに目入ってしまった。
なんだか、他人事ではない気がしたトーガは、そのページの挿絵を人差し指でなぞる。
……その時だった。
__……!
____!!
何か、か細く小さな音が聞こえたのだ。
まるで何かが被さっているかのように籠ったその音は、書斎の奥から聞こえている様子。
トーガは、読んでいた本を机に広げたまま、その音を頼りに書斎の奥へと歩みを進める。
すると、書斎の最奥、本棚の後ろに隠れるようにしまってある大きな何かを見つけた。
何かの絵だろうか?トーガの目の前にある大きな長方形の板のような物は、白い布を被っており、その姿は隠れている。
音が篭ってたのは、布を被っていたからだろう。
なんだか呼ばれているような気がして、吸い込まれるようにその布へと手を伸ばす。
そして、布に触れた……
「お嬢様、おやめください。」
否、触れようとした。
突然の呼び声に肩を震わせて驚いたトーガは、その声がする方へと振り返る。
そこに立っていたのは、自室で休んでいたはずのモロネであった。
……だが、目の前の彼女は本当にモロネだろうか?
目を見開き、狂気の瞳でトーガだけを見つめ、その瞳を隠すように瞼を閉じて笑う。
沈黙の書斎の中、モロネの歩みに合わせてヒールがゆっくりと音を立てる。
感じたのは、ただひたすらの恐怖。
恐怖のあまり、肩を震わせていると、それを察したであろうモロネは両の手を合わせてにこやかに微笑んだ。
「驚かせてしまい、申し訳ございません。そちらのもの、大変危ないものなのです。」
「……危ない?」
「ええ、とっても危ないものです。ですから、お部屋に戻っていましょう?」
近くに歩み寄ってきたモロネは、トーガの背中を支える。
そのまま、押されるように書斎を後にしたのだった。
「……うん。」
……書斎の最奥からの音は、まだ止まない。
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黒いカーテンのかかった、静かすぎる邸で二人の使用人はとある部屋の掃除をしていた。
一人は窓を拭き、もう一人は机を拭いている。
本来であれば掃き掃除もするのだが、ベッドで眠っている人物がいることもあり、砂埃が舞いそうな掃き掃除は避けていたのだ。
ベッドに眠る銀髪の少女のすぐ近くには、透明な付箋が付けられているアルバムが置かれている。
窓を拭いていた少年は、マフラーを揺らしながら、床に置いている水いっぱいのバケツに向かって歩み寄り、汚れた雑巾を投げ入れる。
じわり とバケツの中の水に汚れが広がっていくのを横目に、少年は視線をベッドに向けた。
「……」
そんな少年に気がついたのか、大きな帽子を被った少年は机を拭いていた手を止めて、眉をおろしながらベッドを見つめる。
「起きないねえ……」
「ああ」
マフラーの少年がバケツを持ち上げると、中に入っている水がちゃぷん と揺れ動く。
水面に揺れる自身の不機嫌そうな表情を見て、眉間に皺を寄せると、ぶっきらぼうに部屋を後にした。
立ち去る背中を見た大きな帽子の少年は、慌てて後を追おうと振り返る。
……が、その前にベッドの上で寝ている少女に語りかけた。
「トーガ、早く起きてねぇ。ユゥ兄心配してるよ」
少女の夢は、まだ覚めない。
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