「暴食の本」
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ウイルスの紫色の血飛沫が舞い、万年筆から漏れるインクと混ざり合う。
やけにスローモーションで見える光景は、何処か違和感があることに気がついた。
……ウイルスが、苦しんでいる?
所詮万年筆で刺した程度、大した攻撃にもならないだろうと思っていたのだが、なんと万年筆を突き刺したウイルスの顔が、まるで溶岩のようにブクブクと泡立ち始める。
おまけに苦しそうにもがき始めたのだ。
突然の事にトーガが戸惑っている中、ウイルスは黒い吐瀉物を吐き出し、噛み付いていた右腕から口を離す。
吐瀉物をモロに浴びてしまったトーガは体勢を崩し、地面に倒れ込んでしまった。
「っっっいったああぁ……」
右腕が無くなり、浴びた吐瀉物の影響で体がバグに侵されていく。
全身隈なくバグによる紫に染まっていることもあり、痛みは洒落にならない。
まるで全身に火傷を負いながら針山に体を押し当ててるような痛みに涙ぐみ、視界が歪む。
震える体をゆっくりと起こしウイルスへと視線を向けると、ウイルスは黒い吐瀉物を吐き散らしながら、観客席、グラウンド、ステージに体を打ち付けて暴れまわっていた。
一体何があったのだと言うのだろう。
未だ疑問が脳裏を過ぎる中、その疑問すらも痛みに書き換えられた。
痛い、せっかく「条件が整った」のにこれじゃあ動けない。
右腕から漏れていくトーガ自身の血液。段々と体から血液が抜けていき、貧血で目眩がしてきた。
……ヤバい、寝そ……う。
「お姉ちゃん、がんばって!!」
突如、グラウンドに鈴を震わせた様な声が響き渡る。
驚愕のあまり目を見開いて、トーガは声の元を探るためにグラウンド内で視界を巡らせる。
「あんなやつに負けないで!」と、更に声が聞こえてようやく声の元が分かり、観客席の方を見つめた。
そこには小柄で可愛らしい女の子が立っていたのだが、その姿に見覚えがあり、少し考え込む。
意外にもすぐにその顔は思い浮かび、トーガは目を張った。
……なんと、ウサギとの触れ合いの際に庇った女の子がそこには立っていたのだ。
女の子のすぐ隣にはあの時の保護者も立っており、こちらを不安そうに見つめている。
大粒の涙を溢しながら見ている女の子と、その女の子を抱き寄せる保護者の目は不安一色であり、トーガの脳内が痛みから一変した。
……お父さんは、助ける人たちを不安にさせる様なことはしない。
こんな所で寝てる場合じゃないでしょう、何をやってるのトーガ・ジュラルド。
あの時の女の子、あんなに不安そうにしてるじゃない。
自身の血の池に滑りそうになりながらも、ゆっくりと体を持ち上げる。
震える右手を持ち上げ、肩で息をしているユゥとボットに向けると、息を吸い込んで吐き出した。
「ユゥ!ボット!気張んなさい!根性の見せ所よ!」
「ッ、わあってるよ!」
「!トーガ、条件揃ったのか!」
「ええ!」
左手の指先に身体中のバグが紫色の光となり集まっていく。
血液で万年筆を落としそうになる中、死んでも落とすまいとがっしり握りしめて、その手をボットに向けた。
「壊助!!!」
その瞬間、紫色の光が閃光の様にボットの方へと飛んでいく。
光がボットに当たると、勢いよく風が吹き土煙が舞った。
風でボットの前髪が揺れ、その前髪から覗く左目を覆っているバグが光を吸い込んでいく。
そのままバグが消えてなくなると、ボットはカッターナイフを握りしめて、足を踏みしめながら立ち上がった。
「ユゥ!こっからが本番だ!」
「……おまえが足手纏いだったんだろうが。」
ボットの「空振りバグ」は完治。
そう、トーガが壊助能力を使う条件……「痛い思いをする」とはトーガ自身がバグにかかることだったのだ。
貧血で顔を真っ青にして、トーガは未だ暴れているウイルスを睨む。
さあ、反撃の時間だ。
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ボットとユゥは地面を強く蹴ると、その場を飛び出す。
ウイルスの咆哮が響き渡り、地面がビリビリと揺れる中ボットは飛び上がりカッターナイフを振り下ろした。
だが、そう簡単に一撃を喰らわせることは叶わず、ウイルスはボットめがけて吐瀉物をぶち撒ける。
カッターナイフで吐瀉物を防いだボットは、バグでダメになってしまったカッターナイフの刃を地面に叩きつけて、5、6枚ほど落とすと突き立てる様に追撃。
ユゥはというと、自身のバグを操作して羽を生成し飛び回りながら羽をウイルス目掛けて飛ばしていた。
「二人とも!動きを止めるだけでいいわ!時間を稼いで!」
「っおう!」 「了解!」
トーガの声を聞いて頷くと、ボットは地面を踏みつけ飛び出し、ユゥは空から勢いよく飛びつく。
ボットがウイルスに向かってカッターナイフを向けて走り、暴れているウイルスの体に吹き飛ばされそうになりながら逃がすまいと体を包む布に向かって刃を突き立てる。
ギリギリ刃が届かず、苦々とした表情をしたボットは空いた手を布へと伸ばす。
何度か空を掴み、ようやく布を掴むと力任せに青筋を浮かばせて引っ張ったまま刃を突き刺し、地面に押し込む。
この動きが止まった一瞬をユゥは逃さず、手から鞭を出すと……
「転べオラァァ!」
「うおおおお!」
ウイルスの首に鞭を絡め、仰向けの状態で地面に突き飛ばした。
それと同時に、一人の荒々しい足音が聞こえてくるのをトーガは聞き逃さない。
足音が聞こえる方……観客席の方へと振り返ると、トーガは叫んだ。
「シグ!今よ!!」
「っもおおおお!!人使い荒いんだからああ!」
シグはウイルス目掛けて飛びつく、手に広げた一冊の本を持って。
その本はピュリフィケーションの魔導保管室にて厳重に保管されており、世界で貴重品と呼ばれると同時に危険視すらされていた。
___「暴食の本」。
太く頑丈な鎖に包まれ、南京錠で頑丈に閉じられていた本は、獣の様な尖った白い歯を見せ、唾液を飛ばしながらウイルスへと噛みついた。
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