他に誰が
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「……。」
「中等部一年A組、トーガ・ジュラルド。前へ!」
観客と他生徒、空を舞う宝石がトーガを囲って見つめている。
宝石はトーガとステージであるグラウンドを映し、スクリーンに投影しているようだ。
……そんな中、トーガは大きなデコイ人形を目の前にして立ち尽くしていた。
わあ、バグだけじゃなくて外傷も酷いわ!
こんなに苦しそうで……早く治してあげなきゃ!
……ううーん、でも
「どうしようかしら……」
見ている人たちに聞こえないよう、かつ宝石が音を拾わないように小さく言葉を溢す。
そう、トーガは本番を目の前にしてとある難題に躓いていたのだ。
それは、壊助能力を使えるようになるための条件である「痛い思い」をする術がないということであった。
ピュリフィ・フェスティバル当日までに空いていた一週間、ほとんどを特訓に費やしたトーガはあの戦いでたしかに壊助能力を使う方法を見つけることができたのだ。
だが、肝心の発動条件を揃える術がない。
ふと、歓声をあげている観客たちに視線を向ける。
皆が期待を寄せる眼差しを向けており、トーガには荷が重すぎた。
何もできないだろう、という考えから観客に向けていた視線を少しずつ逸らすと、一人の鋭い視線が刺さり、振り返る。
その視線の先には、トーガの母親であるシエルが座る観客席であった。
あいも変わらず虚な瞳をした母親を見て、諦めかけていたトーガは思い出す。
そうだ、私はなぜこの日のために頑張ってきたの?
お父さんに少しでも近づくためじゃないの
もしお父さんが、バグにかかってる上に怪我までしている人をどうせできないからと放っておくと思う?
……そんなの、絶対にあり得ない。
できないじゃない、やるしかないのよ!
トーガは、父親譲りの青い瞳を釣り上げてデコイ人形に視線を向け直す。
そして、相変わらず生徒たちから聞こえるコソコソとした話し声を背に、両手を突き出した。
「……っすう……!壊ッ」
ドオオオオオオンッッッッッ!
その瞬間、デコイ人形が吹き飛ぶほどの豪風とともに重量あるものがグラウンドのど真ん中に落下してきたのだ。
耐え切れるはずもなく、その場に立っていたトーガは吹き荒れる土煙と共に吹き飛ばされる。
耳に痛い人々の悲鳴が飛び交う中、なんとか重い体を持ち上げてその場に立て直して落下してきた何かに視線を向けた。
ゆっくり、ゆっくりと土煙が晴れていく。
だが、それを待つ間もなく土煙からは大きな化け物の顔が飛び出してきた。
「っな!」
化け物、例えるならば「獅子」だろうか。
眉間にシワが寄った、真っ赤な獅子の顔に、大きな口からは黄金色の不揃いな歯が覗く。
頭部には長く白い毛が不気味に伸びており、胴は泥棒頭巾のような柄の布が覆っていた。
足はあるのかないのか、紫色の霧のようなものが布の下から覗いている。
そして何より、首にはあの銀色のネックレスが光り輝いていた。
「ウイルスだ!」 「キャアアアアアアア!」
観客たちは慌てふためき、悲鳴をあげる。
グラウンドの真上を飛び回り、紫色の炎を吐き出すウイルスから逃げ惑うように皆が揉みくちゃに暴れまわっていた。
観客席やステージは炎やウイルスの突進により崩壊し、瓦礫がボロボロだ。
出入り口である階段では、人が密集しており、皆がいち早く逃げ出そうとしている。
そんな時、ウイルスは炎を吐いていたのをぴたりと止めた。
瞬間、藤色の唾液をぼとぼとと垂れ流しながら大きな口を開く。
うおおおおっぉおおお!
地面が震えるほどの咆哮と共に、ウイルスは人々が密集している階段目掛けて飛び付いた。
「き、来てるぞ!」 「助けて!ここを通して!」
悲鳴が一際大きくなる。
その様子を虚な目で見つめるシエルは観客席から一歩も動くことなく、ただ黒いドレスを握りしめて座っていた。
ガチガチガチ! 黄金色の歯を合わせる音を激しく立てながら襲いかかってくる。
観客たちが襲われるまで残りわずが
トーガは思った。
一週間の間、バグに出会えずに野宿三昧。体力ばかりがついた時間は決して無駄では無かった、と。
崩れた観客席から適当に重そうな瓦礫を両手両腕で掴み、力任せに地面を踏みつけて飛び出す。
そのままウイルスの胴部分を囲う布目掛けて突進し、瓦礫の重みでなんとか足止めをしようと踏ん張った。
「ックソ……動くんじゃないわよ!止まりなさいったら!」
だが、たかだが瓦礫一つと少女の体重では微動だにせずにウイルスは動き出してしまう。
止まれ!止まりなさい!私が止めれなきゃ皆バグにかかってしまう!ウイルスに襲われちゃう!
……お父さんみたいに、死んじゃう人が、お母さんみたいに辛い思いをする人が、出てしまう。
トーガは、力任せに布を引っ張る。
止まれ!止まれ!!
「トーガ・ジュラルド!逃げなさい!何をしているの!」
逃げ惑う観客の中には生徒は勿論、教師も入っていたよう。
ウイルスに掴みかかっているトーガに怒鳴りつけているが、トーガが逃げる様子は全くなかった。
それが気に入らないようで、教師はトーガに対してさらに怒鳴る。
「命を無下にしてはいけません!今すぐ逃げなさい!」
「嫌です!」
「出来損ないのあなたに何ができるっていうの!」
「出来損ないの私がやらなかったら他に誰がやるって言うのよ!!」
トーガは声が裏返る程に怒鳴った。
そう、ここはピュリフィケーション、人々をバグから救うための壊助師を育成するための学校。
なのにも関わらず、誰一人人々を救うために飛び出すことなく逃げ惑う人々に混ざっているのだ。
そんな中、トーガだけが身を挺して守ろうと奮闘している。
この場にはトーガ以外、守ろうと奮闘している者はいなかったのだ。
……そう、この場には。
「「トーガ!!!!」」
一人の片目を隠した少年はカッターナイフを片手に、高く飛び上がる。
一人の毛先が不揃いな少年は紫色の翼を羽ばたかせて飛んでいた。
「ボット!ユゥ!」
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